『破天のディベルバイス』第18話 集合する自我④
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船内の様子についての報告を受け、それに対して評価を述べ終えると、どっと疲れが襲って来た。後の事をウェーバー先輩に任せ、恵留の元へ向かうべく一旦ブリッジを出る。
廊下を歩いている時、カエラが通り掛かり、「ねえ伊織君」と言った。
「何だ? 何か異常でも起こったのか?」
「いえ、そうじゃないんだけどね。ちょっと話があって」
彼女は、立ち話じゃ何だから、と言って近くにあったベンチに腰を下ろす。何故か少々躊躇してから、伊織もそこに座った。
「祐二君って、今まで千花菜の事、どう見ていたのかな?」
「何だよ、いきなり……?」
伊織はやや不意を突かれたような気がしたが、彼女の眼差しがいつになく真剣なものに思えたので、言葉を選びつつ答えた。
「守りたいって、ずっと言っていた。それは、カエラも知っているだろう? 俺はそれが、好きって事なんだと思っていた。だけどあいつが君と付き合い始めて、千花菜への気持ちは恋とは違うってはっきり言って、訳が分からなくなった。……俺自身、あいつが真面目にやっていないように思えたんだ。
俺も、恵留の事が好きだ。今ならはっきり言える。だけど、それまで気持ちを曖昧にしていた。っていうのも、昔好きな人が居て、それがちょっと、とんでもない終わり方をしたからさ。どうしてもその未練……いや、”執着”に近いものが断ち切れなくて、恵留に対して申し訳ないって思っていた。だからそんな祐二を見て、何処か自分と重ねていたんだと思う」
「じゃあ、やっぱり祐二君は本当に、千花菜が好きだったって事ね」
カエラは、考え込むかのように少々俯きながらそう呟いた。伊織は、カエラがまだ祐二の恋人なのだ、と思い出し、慌てて付け加えた。
「いや、祐二は君の事を愛しているって言っていたよ。俺の見え方の問題であって、千花菜とはそう単純なものじゃなかった可能性だって、十分にある」
言いながら、今まで散々祐二に、カエラは危険な女だ、というような発言を繰り返してきた事を思い出してつい気分が悪くなる。カエラについては、伊織も少なからず思っている事があった。だがそれを、面と向かって彼女に指摘出来ない自分を、臆病だと感じた。
「……祐二君ね、お兄さんが千花菜の事を好きだったんだって」
カエラは、伊織にとっては初耳の事を言った。
「それで千花菜も、祐二君のお兄さん、渡海嘉郎軍曹が好きだった。だから、千花菜は渡海軍曹がダイモスで死んだって聞いた時、護星機士になろうとしたの。それで祐二君も彼女を放っておけなくて、追い駆けて訓練生になった。失いたくなかったからって……それも、私は本当は愛だと思う」
「……それ、祐二から聴いたのか?」
尋ねると、彼女はこくりと肯いた。
「最初に、ブリークス大佐が私たちと敵対しているって知った時。ボストークの近くでガイス・グラと戦った時、祐二君は千花菜のお父さんの乗るメタラプターを撃墜したの。その事、誰にも言えなくて塞ぎ込んでいた。そして、私にそれを話した。千花菜に何て言えばいいんだろう、って。
私、ずっと祐二君と千花菜、恋人同士なんだと思っていた。それを聞いて、千花菜が好きだった人が渡海軍曹だったんだって分かった。その時私は、チャンスだ、って思ったの。そして、きっと祐二君の千花菜への気持ちは恋じゃない、って思い込ませようとした。簡単だったな、祐二君、あの時はまだ今みたいに自分で色々考えて、選択しようなんて思わないみたいだったから。それだけに、スペルプリマーに乗ったのも千花菜の為だけだったんだろうけど。
……今の祐二君は、祐二君じゃないよ。スペルプリマーの精神干渉で、感情が抑えられなくなっているだけ。感情のままに、自分の思っている事を行動に移してしまうだけ。私、このままじゃ祐二君を失ってしまう。祐二君を、千花菜に取られちゃう。千花菜は段々、彼の事が好きになっていくみたいだよ」
カエラの言葉に段々熱が籠ってくる。伊織は黙ってそれを聴いていたが、それで次第に、祐二の今までの行動が分かってきた。
彼は、自分の恋が叶わない事を悟っても尚、千花菜を諦めきれなかった。それは、悪い事ではない。むしろ、一途で素晴らしい事のように思う。だが、彼はその相手の父親を、彼女に気付かせずに奪ってしまった。それで彼女に近づく事が難しくなり、カエラに付け込まれた。
「……それが、彼自身の変化なら仕方ない。君の推測では、祐二はずっと千花菜の事が好きだった。君は、彼の逃げ場所として自分を利用させた。分かっているなら、何でそれ以上の事を求めるんだ?」
伊織は、不意に目の前の少女が恐ろしくなった。それと同時に疑問も浮かび、すかさずそれを口に出す。
「君は一体、祐二の何処が好きになったんだ?」
元アイドルグループのセンターであり、引退して多くの人から忘れられていても、日常では一際目を惹く美少女。不思議なカリスマ性を持ち、皆の憧れの的となるような彼女が、客観的に見れば何処にでも居るような、目立たず消極的な祐二に惹かれている理由が、今までずっと分からなかった。
伊織の問い掛けに、今度はカエラが黙り込む番だった。彼女は暫し口を噤んだ後、ゆっくりと首を振った。
「分からない。理由が分からないのが恋なんだって、ずっと思っていたけど、それとはまた違う。私は……私が、祐二君じゃない、恋愛そのものに求めていたものは、きっと……」
彼女の言葉は、独り言のようだった。
「ただ理由はどうであっても、それは私が彼を諦めていい事にはならない。私は、彼を絶対に何処にも行かせない。私の手元に置き続けてみせる。それが、私が私である為に大事な事だから」
伊織は、それ以上何か言葉を返す事も出来ず、カエラの横顔を見つめた。その目の光に、何処か昏い影が差しているように見え、つい覗き込もうとしてしまう。意識的なのか否かは分からないが、自分のその視線から逃れるように、彼女はベンチから腰を上げた。
「ありがとう、伊織君。これで、私のすべき事が分かった」
彼女はそう言うと、速足で立ち去って行った。
伊織は釈然としないまま、彼女のその背を目で追い駆けた。
* * *
恵留の病室に行くと、先に祐二が来ていた。
扉を開けると、その音で気付いたのか彼はこちらに視線を向けてきた。伊織は、今は彼と顔を合わせたくない気分だったので扉を閉めようとしたが、その時彼の方から「伊織」と呼んできたので思わず足を止めた。
無言で部屋に入ると、祐二はやや俯いた。
「……何だよ?」
「いや……伊織、最近ちゃんと話せていなかったからさ」
祐二は言うと、恵留の枕元を指差す。床頭台に、脱脂綿が敷き詰められたプラスチック容器が置かれており、その中に野の花のような小さな花が咲いていた。
それが置かれている事を知ったのは、この間恵留の見舞いに来た時だった。誰かが食糧のかいわれ大根に花を咲かせ、それを「見舞いの花」として恵留の所に持って来たらしい。
重力が地球やコラボユニットと同じディベルバイスの中では、花が咲く。花の種など当然ないが、誰かのその気遣いが、伊織には無心で、尊いもののように思えた。それを見てから、伊織は一日に一度は水をやるようにしていた。
「枯れないよね、ずっと。伊織、毎日来ていたんだな」
祐二の言葉に、伊織は「当然だろ」と返す。
「それが俺の……俺のせめてもの、罪滅ぼしだ」
「ならさ」祐二は、伊織の目と真っ直ぐ向き合った。「それだけでいいんじゃないのか。無理に力んで、皆を従わせて、戦おうとしないでもさ」
「……また、それを言うのか」
不快な騒めきが、胸の奥からざらりと体の内側を撫ぜた。
「恵留をこんな事にしたのは、フリュム計画だ。だから、俺は戦いを終わらせる事で彼女の仇を取る。結果として船の皆も救われる。それが、悪い事か?」
「僕には、それが分からないんだよ」
祐二は言った。
「何でラトリア・ルミレースを潰せば、フリュム計画に復讐した事になるのか。それでどうして、僕たちがフリュム計画から解放されるのか。それを何も言おうとしないんじゃ、自暴自棄になっているように見えても仕方ないだろう?」
「それが出来ないから、俺はこうして脅迫めいた手段を使っている」
自分が星導師オーズの分身であり、それでフリュム計画の恐ろしいプランに気付いた、などと言えるはずがない。
何も知らない祐二の言葉は、伊織には酷く呑気なものに思えてならなかった。
「そんな手段が、恵留を喜ばせる事になるの? 恵留が目覚めないって、決まった訳じゃない。仇討ちなんて……最終的に皆が救われるから、なんて理由で伊織が無茶な事するのは、きっと恵留も望んでいないよ」
「黙れ」
「じゃあ、理由を教えてくれよ。僕にも言えないような事なのか? 分からないまま皆を戦わせて、不満が出れば力で押さえ付ける。そんなやり方じゃ、いずれ限界は来る。押さえ付けられなくなるって意味じゃないよ。伊織が壊れてしまう。体も心も、全部……」
「黙れ! お前らしくねえんだよ、そういうの」
「らしくない事をしているのは、伊織の方だ。危ないと判断したら、僕は自分の意思でスペルプリマーに乗るのをやめる。君の脅迫も、僕には通用しない」
「親友だから、か? お前がその気なら、俺はお前の為にも、お前と友達である事をやめるぜ。……祐二、お前千花菜が恵留と同じような事になっても、そんな事が言えるのか? 俺と同じ事をしないって誓えるか?」
以前の祐二ならしなかった、いや、出来なかっただろう。
「今の、お前らしくないお前だからこそ言う。お前はいずれ、俺みたいになる。俺のする事が間違っていなかったと、ちゃんと言えるようになる。罪でも罰でも、何でもない事だ。これは、恵留や千花菜を大事にしようとして、それを後回しにし続けた俺たちの必然なんだよ」
「………」
祐二は、反論しなかった。その沈黙で、伊織はカエラの推測が正しかったと悟る。彼は自分から行動するようになり、そして気付いたのだろう。そのきっかけが自分の引き起こした反乱だったとしたら、皮肉なものだ。
「……明日の未明」
伊織は言い、身を翻した。最早、落ち着いた気持ちで恵留の傍に居る事は出来そうにない。今日は見送るべきだろう。
「ラトリア・ルミレースの、二個旅団級の大部隊とぶつかり合う」
「えっ?」
祐二は、虚を突かれたように呆けた声を出した。
「祐二、お前は俺と一緒に戦う事になる。動き出した事態は、途中で止める事は出来ないんだ。俺の覚悟も生半可なものじゃない。それだけは、何があっても否定させたりしないから」
伊織は言い終わると、彼の言葉を待たずに部屋を出た。
──皆、否定し合う事しか出来ないのだ。
何かを否定する事は、何かまた新しいものを作り出す事でもある。ディベルバイス内の秩序構築、そしてその崩壊も、希望の出現とその絶望への変化も、その一環として繰り返されてきたのだ、と思った。
星導師オーズの唱えたルミリズムは、重力子を操るモデュラスや、エスベックにも通ずるところがある。だがそれで人々が分かり合うには、あまりにも人の自我は強すぎる存在だ。歴史や進化が対立によって紡がれてきた産物ならば、そして自分たちが人類の進化形態なのだとすれば、これ程残酷なアンチテーゼがあるだろうか。
それでも自分は、この自我を貫かねばならない。




