『破天のディベルバイス』第2話 ディベルバイスの鼓動⑦
⑨アンジュ・バロネス
大気圏を抜ける間、窓の外が真っ赤に燃え上がる光景が、アンジュには何より怖かった。リーヴァンデインを輸送船で降りてきた時もだったが、自分たちの居る場所を残して世界が燃えているかのような景色が何とも苦手だ。
目を瞑っても、太陽に顔を向けている時のように瞼の裏側が紅に染まっている。ごおおっ、という不気味な大気の咆哮が聞こえる。数分で抜けるはずだったが、早く過ぎてくれと思っている数分には体感時間が凝縮されるものだ。なかなか、恐ろしい時間は終わってくれない。
スペルプリマーなる未知の兵器の格納庫の前でそうして一人佇んでいると、このすぐ向こうの外壁付近に居る作業船から連絡が入った。
『アンジュ先輩!』
千花菜の声だ。何処となく焦っているようにも聞こえる。
「何……かしら?」
後輩の手前、怖がっている事を悟られないよう、意図していつも通りの声を作り、応じる。同時にインカムから、ウェーバーの『アンジュさん』という声も届いた。
『ビードルがあった辺りに、何かが接近しています!』
『ビブロメーターに、正体不明機多数確認されました。距離、およそ八十キロ』
二つの通信は被せ合うように、ほぼ同じ意味の事を告げた。
「過激派……?」
『分かりませんが、動きが直線ではないようです。交戦中かもしれません』
ウェーバーが言い、千花菜が『もしもし?』と続けてきた。
『アンジュ先輩、聞こえていますか?』
「あ……ええ、大丈夫よ。ユーゲントの仲間から、同じような事言われて」
過激派らしいが、何かと交戦中のようだ、と告げると、千花菜がはっと息を呑む音が聞こえ、あちらに応答するアンジュの声を拾ったらしいウェーバーが
『まだ確定した訳ではありませんよ』
と、細かく付け足してきた。
『どちらか一方は宇宙連合軍だろう』ジェイソンが、通話に割り込む。『やはり我々は助かったんだ!』
そうだといいけれど、と独り言を言った時、窓の外の赤い光が消えた。どうやら、無事大気圏を突破したらしい。
『アンノウンとの距離、更に接近。登録外の機体の模様、映像を確認します』
ウェーバーの声が聞こえ、数秒後におおっ、というどよめきがマイクに入った。ガンマとの通信の方でも、千花菜と祐二が何かを言い交わしている声が聞こえてくる。
アンジュは、取り残されたような気分になった。
「何? 何が見えたの?」
『集団はラトリア・ルミレース、バーデ。状況からして、月面制圧部隊の残存勢力全てと思われます。そして、やはり交戦している船が』
『攻撃空母ドラゴニア……ダークギルドです!』
「ダークギルド……? 何それ?」
初めて聞く単語に、アンジュは首を捻る。ユーゲントたちも所属不明船の映像に黙った気配があったので、「オープンチャンネルに繋ぐわよ」と一言断ってから、ヒッグス通信装置にインカムを近づけた。
『あの宇宙船に乗っているのは、僕たちと同世代の少年少女です』
『不良集団ですよ。この春からリーヴァンデイン周辺に出現して、宇宙海賊の真似事のような略奪を行っていたんです。首魁はダーク・エコーズ、衛星軌道上の護星機士団を悩ませてきた厄介者です!』
祐二に被せるように続けてきた千花菜の声には、酷く憤慨した様子があった。不良集団という、軽薄ながら恐ろしい響きを反芻しながら、彼らも被害に遭った事があるのだな、とアンジュは思った。
『まさか、過激派にまでちょっかい出しているなんて! 実際もうここは戦場で、人が死んでいるっていうのに……』
『だが、これは好機だ』
ジェイソンが、状況にそぐわない歓喜の声を上げた。
『過激派の目は今、奴らに引き付けられている。この隙に我々は戦場を迂回して、ボストークを目指そうではないか』
『ジェイソン、それは楽観しすぎよ』
無線の向こうで、マリーが彼を窘める。
『不良集団が割り込んだのは偶然に違いない。あんなに多くのバーデがこっちに来ているのよ、絶対に何か目標があって、それに向かっているの。それなのにここには、連合の機体が何も見えないじゃない』
『狙われているのは、俺たちのディベルバイスだな』
ヨルゲンがぼそりと言い、ジェイソンが慌てた気配があった。
『ヴィペラから出た時に見つかったのか!? こっちに来るのか!?』
『リーダー! 何とかしてくれよ、ディベルバイスなら奴らとも余裕でやり合えるんだろう!?』
テンの喚く声が聞こえ、ジェイソンは増々しどろもどろになる。
このままではいけない、とアンジュは頭を回した。
ディベルバイスはいつの間にか、過激派へと接近していく事に恐れを成した彼らが上昇を止めたらしく、水平に軌道を揺蕩っていた。テンの言う通り、ざっと見た限りディベルバイスの武装であればあのバーデ群を殲滅する事は難しくない。艦首の重レーザー砲を使えばいいのだ。機銃室には、ビームマシンガンもあるようだし、訓練生たちに指示を出せばきっと戦闘態勢は整えられる。
だが、ここから撃つ事には迷いがあった。理由は主に二つ。
まず、重レーザー砲のエネルギー消費量が不明である事。
そして、もし撃てばドラゴニアを巻き込んでしまう事。
千花菜は不良集団とは言っていたが、あそこで戦っているのはここの訓練生たちと……否、自分たちと殆ど変わらない子供たちなのだ。何のつもりで略奪を行っていたのか、また今何のつもりで過激派と交戦しているのかは分からないが、護星機士である自分たちが彼らを巻き込むと分かった上で大規模攻撃を行うのは、私刑と変わらない。
「……訓練生たちの、現時点での成績データを読み込んで」
アンジュは、長考の末に口を開いた。ガンマの方にも通信で尋ねる。
「祐二君たち、もう射撃訓練はやった?」
『えっ? はい、機銃だけですけど……』
良かった、と思う。ビームマシンガンのように、スコープで覗き、座標を合わせて撃つのはどちらかと言えば訓練課程での機銃での射撃に近い。
「その成績が高い人から順番に、放送で呼び出し掛けて機銃室に向かわせて。射撃の指示はシオン、あなたにお願いするわ。それからディベルバイスを接近する集団に近づけて。ガンマに居る二人は、有線通信でドラゴニアに呼び掛けを。この船に着艦するように、って」
『アンジュ! 君、本気で言っているのか!?』ジェイソンが叫ぶ。
「この状況で、冗談は言えないわ」
『彼らは不良だぞ! しかも盗賊だ、迂闊にこの船に入れて、余計な問題でも発生したら……』
「余計な問題はあるかもしれないけれど、今はそれ以上の大問題よ」
『先輩……』千花菜が、小さく零す。
「怖いかもしれないけど、お願い。彼らもまだ少年よ、この非常時に、私たちを襲うような事はきっとしないわ。それに……ドラゴニアが味方になってくれたら、戦力も増える」
『バーデ、ドラゴニア、更に接近! 距離、二キロ!』
ウェーバーが言った時、頭上で物凄い音がした。同時に、回線越しに祐二たちの悲鳴のような声も。
「何が……あったの?」
『ドラゴニアが被弾しました。バランスを崩し、落ちてきます!』
祐二の言葉に、アンジュの焦りは募る。
「お願い皆! もうこの船も攻撃される、今だけは私の我儘を聴いて!」
誰も見ていないというのに頭を下げ、叫ぶように言った時、船が揺れた。どうやらもう、外壁に被弾があったらしい。
判断が遅い、と皆を批判する気持ちにはなれなかった。自分たちも、全てが手探りの状態なのだ。だが、今の震動は船中に伝わっただろう。放送はないが、脱出の時から警戒心を強めている生徒たちはきっと反応が顕著だ。このままではパニックが起こり、誰も自分たちを信用しなくなってしまう──。
絶望的な気持ちになった時、ガンマとの通信回線から千花菜の声が届いた。
『ユーゲントの皆さん、聞こえていますか? 船を、地球への降下軌道に戻して九十度回頭して下さい』
「千花菜……ちゃん……?」
『ダークギルドは大気圏への落下を始め、重力に引かれています。あのままでは燃え尽きてしまう。私たちが通信を試みます、デッキに着陸出来るよう、準備をお願いします!』
『千花菜……』
『伊織、ダークを殴るって言ってたじゃない。彼が死んだら、昨日の恨みを晴らせなくなっちゃうよ、祐二』
千花菜が、冗談めかしながら祐二に言っている。
一瞬の後、アンジュはブリッジに言った。
「聞こえた? 早く、彼女の言うとおりにしましょう! 私たちが動かなきゃ、この危機は脱せない!」
──千花菜ちゃん、ありがとう。
絶対に皆を安全に、連合に送り届ける。
アンジュは、仲間たちは誰もがそう思っているはずだ、と信じた。