『破天のディベルバイス』第18話 集合する自我①
①ベルクリ・ディオクレイ
十月二十六日。火星を出発した往還シャトルは、月面、静かの海に隣接するクレーター都市コリンズに到着した。
オルドリンが制圧されてから、月への往還シャトルの運転は停止されていたが、今回ベルクリが用いたシャトルは宗祇少佐が特別に軍用のものを手配して下さった。月面でブリークス大佐が作戦を進めている為、無論直接オルドリンへ入港する事は出来ず、すぐ近くのコリンズに開放されている港へ降りる事にはなったが。
大佐には、直接連絡を入れていた。業火のエルガストルムが撃沈された事、スペルプリマー・レインのパイロットであったガリバルダ・カバルティが戦死した事、自分はフリュム計画の宗祇少佐によって保護された為、関係者以外に機密は漏れていない事などを報告すると、大佐は、了解した、コリンズでベルクリを回収する、という旨の返信を送ってきた。
シャトルを降り、ブリークス大佐が控えている場所まで向かう間、ベルクリは銃を握り締め、逸る心を必死に宥めていた。
サウロ長官が死亡した現在、ブリークス大佐は地球圏防衛庁のトップだ。宗祇少佐によると、自分たちユーゲントを取り立てて下さったサウロ長官もまた、大佐に暗殺されたのだという。だが、この事は決して公表してはならない、と言われた。そのような事が公になれば、連合に不要な混乱を与え、このラトリア・ルミレースとの戦いにも支障を来す事になるだろう、と。
正当な手段でなったものではないとはいえ、現在宇宙連合軍の最高司令官となり、ボストーク防衛の要であるその大佐を、自分はこれから殺害するのだ。そう考えると、彼が最早連合にとって生かしておいてはならない人物だとしても、体に緊張が走るのを止められなかった。
(大佐は、俺たちを仲間たちと戦わせたんだ……その結果、ガリバルダを死に追いやった。宗祇少佐は、代わりの司令官は手配出来ると言っていた。俺が、大佐をやらなきゃ駄目なんだ)
何度も、自分にそう言い聞かせた。
ブリークスは現在オルドリンを奪還し、過激派の月面制圧部隊を殲滅したらしい。間もなく月には、自分も無色のディベルバイス捕獲作戦の際バッティングし、交戦したセントー司令官のバイアクヘーが迫っており、最終決戦が行われる事になるだろうとの見方があった。このタイミングでブリークスを殺す事は、月面に集結させられた大部隊を混乱させる事にもなりかねないが、それについてはフリュム計画関係者である代打の司令官、勿論腕は優秀で人望もある人物が派遣されるらしいので、心配しないように、とベルクリは伝えられた。
港を出ると、ブリークスはたった一人で待っていた。月の住民たちは、占拠されていない街の者たちは集団疎開したのか、姿が見えず、港も閑散としていた。過激派が隠れているような事は考えられなかったが、彼は油断なく辺りに神経を張り巡らせているかの如く、緊張した空気感を漂わせていた。
ベルクリが近づき、敬礼すると、大佐は敬礼を返しながら言った。
「ラザロ・レナートス艦長始め、業火のエルガストルムに乗船した者たちはかの船、無色のディベルバイスを捕らえるべく奮闘し、ここで迎え撃つべき過激派師団の戦力をも割いてくれた。カバルティ准尉の事は残念だが、『業火』と命運を共にした護星機士の諸君には皆、二階級特進の措置を与えよう」
「自分は……」
「無論君にもだ、ディオクレイ准尉。君が責任を取る必要はない」
一瞬、ブリークスの瞳に危険な色が輝いた。その言葉の本当の意味が、名誉の戦死による二階級特進を指したものである事は明白だった。やはり自分は、作戦が成功しようがしまいが、事が終わった後は口封じされていたのだろう、と思った。
ブリークスが、それを実行に移そうとしたのか腰のホルダーに手を掛ける。だが銃が抜かれる前、ベルクリは「恐れながら」と声を上げた。大佐の動作に、一切気の付かぬ風を装いながら。
「それでも自分には、問われるべき責任があります」
「ディベルバイスを捕らえ損ね、部隊を失った責任であれば……」
違います、と打ち消す。
「同胞たちの命を──比喩表現でなく実際に──多く奪った事。そして、その原因を作ったあなたを、早い段階で止められなかった事」
言うや否や、ベルクリは思考領域をモデュラス回路に切り替えた。自分の言葉の意味を悟ったのか、ブリークスが目を見開く一瞬、いつでも抜けるように構えていた右手を先程の彼の如く、腰に持って行って銃を引き抜く。
次の一瞬、ブリークスは反射的に同じくらいの速さで銃を抜き、こちらに向けて構えていた。引き金が引かれる更にもう一瞬、ベルクリは体を横に倒すように回避しながら、コンマ数秒先に発砲する。銃声がほぼ同時に、だがモデュラスの感覚では聞き分けられる僅かな時差で港の空気を切り裂いた。
感覚の鋭敏化により、スローモーションのように見えていた世界が再び元の速度を取り戻した時、ベルクリの放った銃弾はブリークスの肩を掠めて後方に飛び、ガラスケースに飾られていた壺を穿った。回避を同時に行おう、と思っていたせいで、腕が動いて照準が見ていた部分より僅かに逸れたらしい。一方で、発着場に続く扉からすぐの位置に、それに背を向けて立っていたベルクリに悲劇は起こった。
鋭敏化した感覚が元に戻るほんの一瞬、ブリークスの弾が扉で爆ぜた音がした。跳弾か、と思う間もなく、宇宙服の左肩に当たる生地が弾け飛んだのが見えた。
その中に、自身の血液の雫と肉片を認めた途端、左腕がちぎれ飛んだかのような激痛が全身を貫いた。狙撃よりも、ランダムな回転の掛かる跳弾の方が恐ろしい。これは、軍人であれば常識的な事だった。ベルクリは、足元に血の池を作りながらがくりと膝を折った。
「ぐああああっ!!」
「……ベルクリ・ディオクレイ准尉。一体、誰に頼まれた?」
ブリークスの声が、そこでぐっと低くなった。地の底から響くような迫力に、ベルクリは重圧を錯覚する。左手は既に感覚を失くし、自分の肉体が欠損するという恐怖に、その大佐の声が追い討ちを掛けるようだった。
辛うじてそれに抗い、その重圧を跳ね除けるように上体を起こす。痛みを忘れられるよう、彼に対して抱いていた、爆発するかのような感情をそのまま声に乗せて叩き付けた。
「ガリバルダの仇だ! ジェイソンも、ウォリアも……皆、死ななくていい奴が、あんたのせいで死んだんだ!」
「……つまり、私怨という訳か」
ベルクリの糾弾を正面から受けても、ブリークスは動じなかった。
「違うな。ならば、貴様が情報を何処から得たのか、という事になる。計画は、関係者以外に明かされていない。フリュム計画の中に、裏切り者が居たという事か? 私を殺そうとする、何者かが」
「それは……」出血多量のせいか、霞む視界の奥に見える大佐の影を無理矢理捉え、ベルクリは尚も言う。「言えない。少なくとも、俺の目的は復讐だ。あんたは……殺されなきゃいけない人間だ」
「言わなくて結構だ」
ブリークスはあっさりと答え、銃口を再びこちらに向けた。
「私は、別に貴様から情報を聞き出す必要はない。恐らく、私が計画内で発言力を強めている事に危機感を抱いた連中の仕業だろう。だが、そういった〝雑音〟を消す為にも……私は、ディベルバイス捕獲を成し遂げる」
大佐が言った瞬間、銃口が火を噴いた。空中にS字の軌道を描くようにその銃口が動き、ベルクリの四肢で血飛沫が爆ぜる。耐えきれなくなり、ベルクリは仰向けに床に倒れ込んだ。
──どのような手段を用いてでも。
彼の台詞の最後に、そのような言葉が聞こえたような気がした。無念さを噛み締めながらも、せめて抗おうと、ベルクリは首を擡げた。
過敏になった痛覚が、意識に段々靄を掛けてくる。その靄の中、三度破裂音が響いた、と思った瞬間、ベルクリの意識は暗中へと落下していた。