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『破天のディベルバイス』第17話 反攻の伊織⑨

 ⑥ピョートル・シャドミコフ


 無色のディベルバイスの中に、新人類が発現した。

 情報庁長官モランが報告してきた時、シャドミコフは耳を疑った。スペルプリマーの中に仕掛けられていた、モデュラスを超越する本物の”新人類”──シャドミコフが将来、スペルプリマーを使って真の意味で生み出そうと思っている存在──が出現した時、情報を転送するシステムが動いたのだ。一体、あの船の中で何が起こったのかは定かではない。だが、その直前に火星の協力者である宗祇隼大が、五年前にニロケラスで確保した、モデュラスの子供を宿した少女の兄が接触してきた、という情報を伝えてきた事を思い出し、何らかの関連があるような気はした。

 少女サイス・スペードの兄ジョーカー。彼はダーク・エコーズを名乗り、ここ最近地球の衛星軌道上で、ダークギルドという徒党を組んで海賊行為を行っている不良だった。ディベルバイスに、ユーゲントや訓練生たちと共に同乗していた民間人というのは彼らだったようだが、偶然にもそのダークが、フリュム計画に於いて重要人物であるサイスの身内だった訳だ。

 モランは、SBEC因子の出所について「現在使用されている因子は第一世代モデュラスの子供から採取されたもの」と文書に記録している。それは、本来のSBEC因子が、第一世代モデュラスの生き残り、シン・クマシロに暴行を受けたサイス──当時まだ十三歳の少女が身籠り、フリュム計画が摘出手術に失敗して流産させてしまった子供から来ている、という事実を隠す為の措置だった。

 シャドミコフは、第二回シェアリング試験の失敗後のシン・クマシロについて、彼が行方不明になった後の記録を最低限の人物にしか教えていない。自分たちが、彼を探し出すまでの二年間の空白を境に、連合データベースにその後の彼や、サイスに関する記録を残す事はしなくなった。

 エスベック──Singular Biological Evolutive Creature──、新人類。

 無色のディベルバイスの中で、モデュラスへと変貌した者たちが居る事は知っている。だが、スペルプリマーを起動した者たちがなれるのはあくまでモデュラスに留まり、感情の増幅や凶暴化を起こさない完全な新人類は、今までずっと概念上の存在に過ぎなかった。それが、何故あの船の中に現れたのか。宇宙に出る事で始まると思われていた人類の更なる進化だが、それがたまたまこのタイミングで起こった、などという都合のいい事を信じられるはずがなかった。

「……結果が出ました」

 十一月三十日、午前一時三十分丁度。関係者たちの居なくなった閣議室で待っていると、モランが資料を手に部屋に入ってきた。シャドミコフはぼんやりと顔を上げ、口を開く。

「それらしい名前は見つかったか?」

「ええ。その少年は、恐らく被験体L – 2と同姓同名の別人ではないでしょう。偽のIDで連合軍内に潜り込んでいた、L – 3のクローンではないかと。それが、既に年度初めのプロトSBEC因子移植で、モデュラス以上の存在になっていた可能性はあります。それがスペルプリマーに搭乗し、エスベック検出機構に捕捉されたのだとすれば……」

 神稲伊織、という名前をモランは口に出した。シン・クマシロという名前が最初に発見されなかった事で想像はしていたが、やはり本当にその名前があったか、と思うと、シャドミコフは汗腺が絞られる気がした。

「宗祇は、ディベルバイスには逃げられたと言ったな?」

「はい。また、機会を待たねばならないでしょう」

 フリュム船二隻を失い、ディベルバイスに対抗し得る戦力が見つからない以上、この宇宙戦争が続く間あの船を追う事は中止するほかない、というのが、自分が関係者たちに出していた命令だった。そして、自分のとある計画が成就した時、全戦力を結集して捕獲作戦を再開する予定だった。

 火星にあるニロケラス基地が崩壊し、エスベックが検知されたという報告を聴いてからは、船の居場所が分かった為宗祇にもう一度だけ攻撃を行うよう指示を出した。が、約一週間後に船は逆に宗祇の部隊に攻撃を仕掛け、主力を壊滅させた後でワームピアサーを使用、再び行方を晦ませたそうだ。

 計画に関わる気掛かりは、もう一つあった。

 アポロ作戦に成功し、月の奪還を果たしたブリークス。彼は予測通りなら、既に到達したであろうラトリア・ルミレースのバイアクヘーと決戦に入り、ここ一ヶ月間戦い続けている事となる。宗祇は、ブリークスが業火のエルガストルムに搭乗させたユーゲント、ベルクリ・ディオクレイを味方に引き入れ、ブリークスの暗殺役として送り込んだと報告してきたが、その後はガイス・グラからも、宗祇からも何の報告も入ってきていない。それが、暗殺が成功したからなのか、ベルクリが意図を悟られて返り討ちにされた事によるものなのかは不明だった。

 ブリークスには、何としてでも死んで貰わねばならない。あの男の狂気と、そしてその優秀すぎる指揮官としての能力のせいで、フリュム計画の進退は狂いに狂いすぎた。

「私の推測ですが……SBEC因子はレシピエントの元の細胞にモデュラスとしての遺伝情報を組み込みます。モデュラスの細胞は、現人類と新人類の染色体をどちらも有するものです。モデュラスとなった者に更にSBEC因子を摂取させると、染色体分配の法則により、完全に新人類のもののみを持つ細胞が誕生する。隔世遺伝のように、新人類の形質のみが現れる……それは脳を、モデュラスの次の段階へと改造させた形で発現する……」

 モランは、自分で咀嚼するようにゆっくりと仮説を語った。

「それが、三度目のSBEC因子移植で、完全な新人類が誕生するメカニズムではないでしょうか。そして今回の場合、この伊織の名を名乗るシン・クマシロのクローンが、その新人類になったと」

「……モラン。よく、そこまで考えられたな」

 シャドミコフは感心する。科学者ではない、官僚であるモランが自分なりの仮説を述べた事に、素直に驚いていた。

「一応、私は議長の片腕です。フリュム計画の全貌について理解している数少ない人間であり、科学的な事柄を含め、計画にまつわる全ての情報については把握しています」

「ブリークスに、この”全貌”を明かせたらどれだけ良かった事か。彼とて、狂気的な言動はあれ、私欲の為にフリュム計画の主導権を奪おうとしている訳ではない。……それが、悔やまれてならない」

「過ぎた事は、仕方がありません。今はただ、当面の作戦が成功する事だけを祈りましょう。それに、シン・クマシロのクローン──便宜上、偽名通りに神稲伊織と呼ぶ事にしましょう──が現在ディベルバイスに乗っている事は、大きな発見となったはずです」

 彼は言うと、印刷してきた訓練生たちの名簿を机上に置き、『Iori Kumashiro』と書かれている欄に爪で印を付けた。

「伊織が、何の目的で護星機士訓練課程に入学してきたのかは不明です。しかし、この伊織という名を偽名に使っているところから推測するに、彼は自分の出自、引いてはフリュム計画の存在を知っていた可能性もあります」

 シャドミコフは聴きながら、軽く唇を噛む。

 シェアリングの限界値を知り、スペルプリマーを現在の形に近づけた、七年前、ダイモスでの起動試験。それで本物の神稲伊織は命を落とし、あのシン・クマシロは錯乱し、二年後に自分や宗祇が接触して記憶が蘇った瞬間理性を失ってしまう程のトラウマを植え付けられた。

 息子たちを失った神稲夫妻は、自分たちに厳重抗議をしてきた。金銭の為に、計画に被験体として提供する為に生み出された双子で、結果的に経過観察という形で育てる事にはなったものの、彼ら夫婦が息子たちにそれ程の愛情を抱くようになっているとは、シャドミコフには想像もつかなかった。子供が居なかった事も、自分がこのような子供を使った人体実験を行う事を良しとさせてしまったのだろうか、とその時は思った。

 シン・クマシロの、モデュラス回路の一部欠陥を修正するべくクローンが作り出されていた事は、そこで幸いに働いた。彼らはそれによって、個体は違うとは言え我が子を取り戻す事が叶った。だが、その子供はフリュム計画に関わらせない、という夫婦の意向から、シャドミコフも現在伊織と名乗っているシンを、里子として彼らの家に送り出す事になった。

 シン、否、伊織は、どのようにして真実を知る事になったのだろうか、とシャドミコフは考えた。夫婦も、あれ程我が子を計画とは無縁に生きて欲しい、と願っていたのに、何故彼に真実を明かしてしまったのだろう。そして伊織は、今自分たちの行っている計画の全貌について、何処まで知っているのだろう。

「ディベルバイスが起動して以降、神稲夫妻は何も言ってきていないか?」

「ええ、彼らは伊織が訓練課程に入った事も、知らないようですから。一応フリュム計画関連の資料や報告書の記録も調べましたが、彼らとの交渉は計画内の誰もが完全に断たれているようです」

 そこまで言った時、モランの顔がやや曇ったような気がした。

「……? どうした?」シャドミコフは問う。

「いえ……些細な事なのですが、データ管理室長の泡坂が、ここ四ヶ月程の間に度々スペルプリマーの起動試験、及びダイモスでの事故があった七年前の記録文書に、頻繁に目を通しているのです。アクセスログには不自然な空白があり、あたかも閲覧履歴を消去したかのようにも見えました」

「……何?」

 シャドミコフは、無意識に声が低くなった。泡坂冲櫂、宇宙連合のデータ管理を司る男で、モランと共にフリュム計画に参加している情報庁の人間だ。彼が、何かを調べようとしているのだろうか。もしスペルプリマーの件で感じる事があったのだとしたら、一体何が彼に勘付かせたのだろうか、と思った。

 モランは「まだ確定情報ではありませんよ」と言った。

「一応彼は、データベース内に保存されている情報であれば全て閲覧する権限があります。たまたまフリュム計画の過去の記録を見たのだとしても、取り立てておかしな事がある訳でもありません。ですが……」

 彼が続けて言いかけた時、突然閣議室の入口が開いた。

 シャドミコフとモランは、思わずぎょっとしてそちらを見つめる。今自分たちの話していた内容は、計画内で知っている者は自分たちしか居ない、というような最重要機密だ。だから、これ程人が居ない時間帯を狙って話をしているのだ。

 入って来たのは、事情を知らない者からすれば意外と思われそうな人物だった。だが、そこでシャドミコフの胸中には、安堵と疑念が同時に湧き上がってきた。

(彼は……)

「どうしたんだい、こんな時間に?」

 モランが、普段はあまり使わない砕けた口調でその人物に話し掛けた。彼はつかつかと歩いて来ると、立ち止まって自分たちを見つめる。

 そして次に取られたのは、シャドミコフたちが思いもしなかった行動だった。

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