『破天のディベルバイス』第17話 反攻の伊織⑤
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『……本当に、それをやるのね?』
伊織が話し終えると、ハープはそう尋ねてきた。彼女は伊織が話している間、自分の憶測が混ざった部分を否定しなかった。だから伊織は、自分が確信した事に、これではっきりと裏付けが取れたな、と思った。
「ああ。そして、全てを人類生存圏に公表する。それで旅は終わりだ。……俺も、ただじゃ済まないと思うけど」
『恵留さんって人の為?』
「そうだ。俺は瞳美義姉さんへの”執着”を断ち切れなかった……結局俺は、逃げただけだったんだ。だから、恵留の気持ちに本気で応える事が出来なかったんだ。そしてそんな自分が嫌で、千花菜に本気にならない祐二を自分と重ねて、勝手に苛立っていた」
『恵留さんはもう二度と、目を覚まさないかもしれない』
「それでも……いや、だからこそだ。これは俺のけじめで、罪滅ぼしなんだ。自己満足じゃない。ディベルバイスに居る皆だって、このままでは駄目だ。自滅する前に、俺が救う」
伊織が宣言すると、ハープはぐっと言葉を呑み込むかのように顎を引き、暫し沈黙した。やがてその姿が揺らいで消え、全方向のモニターに元の景色が戻ってくる。どうやら、四号機の方からシェアリングを解除したらしい。
決意が鈍らないうちに、と思い、伊織は足を一歩進めた。カタパルトデッキに出るシャッターが開いていき、誘導灯が点灯する。だが、今度は戦う訳ではないので、射出される必要はなかった。
(戦い……一応、そう言えるのかもしれないな。過去との戦い、俺が逃げ続けた、運命と決着を付ける事なんだから……)
伊織は外に出ると、ジェットエンジンを垂直に噴射する。自分の行動が本気である事を示す為、主武器の戦斧を抜き、重力操作を行う。通信機を操作し、ブリッジに居る祐二たちに通信を入れた。
「……第三次舵取り組。この声を、船内全域に中継しろ」
ブリッジの正面まで移動すると、中に向かってカメラをフォーカスする。舵取り組の皆が、一斉に自分の方を向いたのが見えた。
『スペルプリマー……五号機?』
『伊織……君、何やってるんだよ!?』
祐二が叫び、窓際に駆け寄って来る。艦長席の横にあったヒッグス通信の無線機から離れたからだろう、彼の声は段々フェードアウトしていくように聞こえた。
伊織は、抜き放った斧を振り下ろすように、その先端を祐二に向けた。彼は足を縺れさせたのか、腰を抜かしたように床に倒れ込む。それを見ながら、わざと冷めたような声を出した。
「清算が必要なんだ、この船にも、俺の過去にも。フリュム計画と、この宇宙戦争の本当の姿にも」
皆、黙って次の言葉を待っている。途端に、押し込めたはずの躊躇がまた心の表層に浮き上がってきたのを感じ、深く息を吸い込んでそれを再び落とし込んだ。
それから、その吸気を声に変えた。
「ディベルバイスの進路を、アモールⅠに定めろ。目標はラトリア・ルミレース旗艦ノイエ・ヴェルト。……星導師オーズを討つ」
『気でも狂ったか、神稲!』
最初に反応したのは、スカイだった。
『ノイエ・ヴェルトにいるオーズの親衛隊は、ダイモス戦線を敗走に追い込んだ連中だぞ。セントーもフリュム船を破壊対象として認識しているけど、オーズは俺たちをそこまで優先的に攻撃しようとしている訳じゃない。わざわざ俺たちから戦いを挑む必要なんて……』
『さっきは、自分からラトリア・ルミレースを倒して戦争を終わらせよう、なんて言いかけていた癖に』
グレーテが、スカイを睨むようにして吐き捨てる。彼はいきり立った。
『言ってないだろ、そこまで!』
伊織は唇を噛み、心の中で独白を零す。
(あるさ。オーズは本物の俺で、フリュム計画の一部……)
自分たちが倒さねばならない相手だ。だが、まだ自分の素性について本当の事を言う訳には行かない。全てを明かすのはオーズを倒し、この宇宙戦争の正体を世間に公表するその時。
伊織は首を振り、続けて言った。
「停滞が皆にとっていちばん良くないというのなら、目標を与えればいい。ここを抜け出しさえすれば、皆が爆発するまでの時間は稼げる。……これは”相談”じゃないぞ。旅を早く終わらせたかったら、俺に従え」
『脅す気か……!』
ナイジェルが、ブリッジに向けたこちらの斧を見て悔しそうに呟く。伊織は、その先端を更に窓に近づけた。窓が震える、ビリビリという音がこちらに伝わって来るまでになった。
「宗祇少佐が包囲網の形成を始めてから、俺はお前たちの日和見には正直飽き飽きしていた。行き先が定まらない、安全圏が見つからない。それはいい。仕方がない。だが、何故自分たちが導くべき生徒たちに怯える? 顔色を窺う? 現実が見えていない奴は、命を預けられている者として教育すべきではないのか?」
『伊織、聴いてくれ!』
そこで祐二が立ち上がり、再び叫んできた。
『恵留があんな事になったからか? 僕たちじゃ、皆の命を守れないって?』
「……そうだ、と言ったら?」
自分でも、嫌な言い方だな、と思った。
『悔しいけど、否定出来ない。だけど、守るのが僕たちの仕事だったのなら、君の役目は彼女の傍に居る事だった! この期に及んでもまだ、君は自分の成すべき事を履き違えるつもりなのか?』
「もう、遅いんだよ」言い放つのは、自分自身にもまた負荷を掛ける事だった。「恵留の事はもう、幾ら後悔しても取り返しが付かない。だけど、もう恵留みたいな犠牲者を出さない為に出来る事は、俺にはある」
伊織は操縦桿を握り直す。
「俺の意見に賛同しない者は、速やかにブリッジから退去しろ。従わない場合、居住区画をランダムに攻撃する。お前たちの日和見で仲間が死ぬ事を、分かりやすく見せる為にな。賛同するなら、手を後頭部で組んで床に座れ」
自分の日和見で、恵留もあのような事になった。だから、迷いは捨てた。
伊織の意志が固い事を読み取ったのだろうか、それとも従来の命惜しさが顔を出したのか、真っ先にアイリッシュが身を翻した。苛立ったように肩を怒らせながらも、その足取りは逃げるようだった。その後から、ナイジェル、グレーテ、ジュディ、イワン、スカイ、千花菜、カエラも続く。カエラは出て行く際、急き立てるように祐二の腕を掴んだが、彼は最後までこちらを見ていた。
「聞こえなかったか、祐二。従うか、出て行くかだ」
『何してるの、祐二君』
カエラは、焦りの滲む声で彼に言っている。
『伊織君が私たちと敵対する気なら、私たちのする事は一つでしょ。スペルプリマーで、彼を止めるのよ』
『……カエラ、ちょっと待っててくれ』
祐二は絞り出すように言うと、こちらを見上げてきた。伊織は油断なく、彼に向かって斧を構え続ける。
『伊織、頼むから馬鹿な考えはやめてくれ。この通り、現舵取り組での協力者は居なくなった。君一人で、どうにか出来る問題じゃないんだ』
オーズを倒せば、フリュム計画は挫かれる。その事を口に出せないのは歯痒かったが、だからこそ自分はこのような強硬手段を採ったのだ。運が悪かったのは、自分と祐二の間に溝が出来始めていた事か。
だが、伊織も生半可な気持ちではない。それを、第三次舵取り組となってからずっと真面な判断を下せず、左顧右眄しながら生徒たちに振り回されるばかりだった彼から無理だと決めつけられるのは、不愉快な事でしかなかった。
伊織は斧を振り上げると、ブリッジの上部に向かってそれを叩き付けた。自分が本気で攻撃するとは思っていなかったのか、祐二は目を見開いたまま地面に這い蹲るような姿勢になる。カエラが彼を庇うようにその肩に両腕を回したが、それもまた伊織には忌々しいものに見えた。
「信じられないなら、見せてやる。俺に従う者が、何人居るのか」
言うや否や更に上昇し、機体を旋回させる。マリネリス峡谷を取り囲むように布陣する、無数の宇宙連合軍が見えた。こうしている今現在も、あの群れの中には続々と戦力が追加されているのだろう。
「戦闘準備だ。あの大部隊を突破し、明日中にディベルバイスをこの火星本体から脱出させる」
恵留の日向のような笑みが脳裏に浮かび、目尻から涙が伝った。