『破天のディベルバイス』第2話 ディベルバイスの鼓動⑥
⑧渡海祐二
超巨大宇宙船ディベルバイスに入ってから間もなく、ユーゲントのマリー・スーン先輩が養成所から持ってきた名簿を手に、点呼を行った。その結果、リバブルエリアに居た護星機士訓練生合計六三二人は全員無事であり、誰も取り残される事なく船に乗る事が出来たと分かった。
僕は、ひとまずほっと息を吐いた。この段階で生徒の中に死者が出ていたら、それこそ恐慌が発生していたかもしれない。
「ノアの箱舟だな」
諸々の作業が一段落すると、伊織が言った。
船は五階建てで、一階に無数の個室があった。ユーゲントはてきぱきと、寮でのルームメイト同士でペアを組み、部屋番号順に入っていくように指示を出した。僕と伊織は、階段から廊下を見て左手側の、ほぼ真ん中辺りの一部屋に入っている。
荷物を運び込むや否や、伊織は二段ベッドの下に身を投げた。
「地球の生き残りが旅をする船。他のどんな船よりもヴィペラに耐性があるし、宇宙連合は何でこんなものを造ったんだろうな?」
「さあ……フリュムなんて系列、聞いた事がない。中も、戦艦って割には部屋がちゃんとしているし。リーヴァンデイン倒壊と同時に僕たちの所にあったのは、もうご都合主義というか何というか」
「ご都合主義? 誰の?」
「……宇宙の、かな?」
僕が言葉を選びながら言うと、伊織は口角を上げた。
「宇宙が俺たち中心に回っている訳じゃないけどさ、お疲れ様、って言ってくれているって思ってもいいよな? 死ぬところだったんだって思ったら、今更だけど疲れたよ」
「今のうちに、少し休んでもいいんじゃないかな? 激戦区に近づくまでは、もう少し時間あるだろうし」
「祐二は眠らなくていいのか?」
「僕は大丈夫だよ。伊織よりは……力、使っていないと思うし」
今日の事件に際して、僕は伊織に引っ張られてばかりだった。同級生たちの安全を確保したのも、過激派に特攻を掛けたのも伊織だ。
だが彼は、
「そういう事言うな、祐二」
目の上に、隠すように当てていた肘をずらし、僕を睨んだ。
「俺一人じゃ、オルト・ベータは操縦出来なかった。俺より頑張っていないとかそういう事言われると、俺の方が困る」
「ご、ごめん……」
そんな会話をしていると、入口の扉がノックされた。
「祐二、伊織」千花菜の声だ。「ちょっといいかな?」
「待って」
僕は小走りで扉に近づき、開く。
千花菜が、アンジュ先輩と一緒に立っていた。
「先輩……?」
「アンジュ先輩、私たちの事覚えてくれていて、一緒にお仕事お願いされたの」
「さっきはありがとう、祐二君。皆が無事にリバブルエリアを脱出出来たのは、あなたたちのおかげよ」
アンジュ先輩に微笑み掛けられ、僕は「いえ……」と曖昧に返事をする。先輩も、ひとまず危機を脱した事で、伊織と同じく滞納されていた心労が一気に襲い掛かってきたらしい、少しやつれたように頰の辺りに影を刻んでいた。
「千花菜ちゃんたちと、倒れている人も救出してくれたんですってね」
「カエラ……ミシェルですね。千花菜、彼女は?」
「恵留が面倒見てる。彼女、一人部屋だったみたいだから私たちの所に呼んだの。いざって時、誰かが一緒の方がいいでしょ? 寝る時も、私は床でいいし……」
千花菜は言い、それから「そうそう」と手を叩いた。
「アンジュ先輩のお仕事の話だっけ」
「この船の中、私たちユーゲントもよく知らないの。ブリッジの統括システムで、ディベルバイスっていう名前と一通りの武装は確認したんだけど……私、ジェイソンたちから頼まれたの、船内を把握しておくようにって」
先輩は言葉を探すように、制服の袖口を指で弄りながら言う。
「スペルプリマー、っていう聞いた事のない機動兵器が内蔵されているらしいんだけど、図面でその格納庫ってなっている場所が開かないの。見たところ外が戦闘機の発進デッキになっているみたいで、そこが手動で開きそうなのよね」
「ディベルバイスはまだ、ヴィペラの中を浮上中なんだって。で、ヴィペラへの潜航経験があるのは私たちだけだから……」
おや、と僕は首を捻る。
「ディベルバイスは、ヴィペラには触れないんじゃ?」
「表面から一メートル範囲だけなのよ。だから、事実上最大深度まで潜航は出来るけれど、外で活動するにはやっぱりヴィペラ耐性のある服が必要になるし、経験者が居ないとね」
「僕たちも、昨日が初めてだったんです。……でも、確かに経験ゼロの人を潜航させるよりは、訓練じゃないなら僕たちがやるべきなのか」
「ごめんなさいね、次々に色々頼んじゃって……」
「それは大丈夫ですよ。だけど、船外で活動する為の作業船はあるんですか?」
「SD系の、戦闘機サイズの小舟が二隻あったわ。船外活動が可能なものは、内蔵されている限りその小舟と、件のスペルプリマーだけみたいなのよ」
まあ、それはそうだろうな、と考えた。今日までの間、ディベルバイスは起動した事がなかったようだし、搭載されている機体が少ないのも肯ける話だ。
「小舟で外に出て、デッキ側からスペルプリマーの格納庫を開けるんですね?」
「祐二、私と一緒にお願い出来る?」千花菜が言った。「恵留はさっき話した通り、カエラにつきっきりだし」
「いいけど、僕よりも」
伊織の方が腕がいいんじゃないか、と言おうとし、部屋の中を振り返った。釣られるように室内へと体を差し入れてきた千花菜が、ああ、と溜め息交じりの感嘆詞を零す。
脱出の功労者・伊織は、早くも鼾をかいて眠っていた。
* * *
午後六時十五分、僕と千花菜は作業船ガンマを使い、格納庫に近づいた。
昼食を抜いた割に、気は張ったし普段の何倍も動き回った。生理現象には抗えずお腹を鳴らすと、千花菜にくすりと笑われた。
「今頃皆、おやつタイムに入ってるよ。お昼食べなかったし、状況を忘れられる娯楽はやっぱり食べる事だよね。保存食一気に減るだろうなー」
「カロリーは大事だよ、本当に。千花菜は潜航前に食べなくて良かったの?」
「だって今日の晩ご飯はレーションと水だけだよ、きっと。美味しく食べるには、出来るだけお腹をぺこぺこにしておかなきゃ」
「限度があるよ、さすがに……」
「祐二たちは大冒険したもんねえ。祐二こそ良かったの、カロリー補給しなくて?」
「わ、忘れたんだよ、単に」
ユーゲントから仕事を貰い、再び気を張った。それで、忘れた。
「簡単な作業だとは思ったけど、やっぱりでっかいね、この船。デッキ二つあるし、ガンマの倉庫からこっちまで遠すぎ。何で分ける必要があったんだろう? それにこっちだけロックされているなんて」
「スペルプリマーが、兵器だからなんだろうな。それも、ディベルバイス特有のものだから、やっぱりとんでもないものなのかもしれない」
サウロ長官はアンジュ先輩たちに、これを地球に降ろすように直接命令を出したんだよな、と考える。今のところ起動しても何も問題は発生していないようだし、これ程凄い戦艦があるのなら実戦投入すれば良かったのに、と疑問に思った。
そうすれば、ブリークス大佐が過激派にやられる事もなかった。リーヴァンデインは崩壊せず、ディートリッヒ教官たちも死なずに済んだのに……と思ったところで、僕は首を振る。
駄目だ。たらればの話をしてもどうにもならないし、起きてしまった事をあれこれ言っても気が滅入るだけだ。僕は少し、物事をわざと悲観的に捉えようとしてしまう節がある。
今、僕たちの所にはそのような、奇跡のような船がある。
そして、僕の隣には千花菜が座っている。二人きりではないか。わざわざ暗い方を見てどうするのだ、渡海祐二。
「ねえ、これカタパルト発進レールじゃない?」
千花菜に言われ、僕は視線を下に向ける。表面から一メートルの距離はヴィペラの影響を受けないので、シルエットだけではなくはっきりとした映像がメインモニターに映し出されていた。
確かにそれは、授業教材で見たDVDに出てきた、戦艦からケーゼを発進させる時のカタパルトに酷似していた。だが、形状は違う。ジャンプ台と思しきものが二つ並び、そのサイズはケーゼより明らかに小さい。
これはまるで……人型ロボット用のようではないか。
「三階部分の外壁の方から続いている……」
千花菜は、カメラを上げる。その行く手にはシャッターが下ろされた四角い入口があり、カタパルトへの誘導と思われる点線が続いていた。
入口のすぐ横の壁には回転式のハンドルがあり、これがアンジュ先輩の言っていたものだな、と分かった。
「アームの操作方法は、オルト・ベータやティコと同じだな。同じSD系だから、まあ当然か。捕捉シートは付いていない……」
「ガンマは、デブリ回収には使わないみたいだね。この船に付いていたのも、きっと船に絡まったデブリを取る為と、いざっていう時の脱出用でしょ」
話しながら、滑るように格納庫に近づく。畳んでいたランディングギアを立て、着陸して前進する間に、千花菜がアタッチメントを操作した。
アームが伸び、がちゃりという手応えが──という言い方が適切なのかは分からないが──あると、操作系の役割分担を千花菜と交代する。「お疲れ様」と躊躇いがちに声を掛けると、彼女はにっこりと笑った。
『祐二君、千花菜ちゃん』
ヒッグス通信による無線機から、アンジュ先輩の声が届いた。
船内外で電波は通じないが、ディベルバイスの中には携帯サイズのヒッグスビブロメーターもあったらしい。装置がどうしても大きくなる事は如何ともし難く、それでもスーツケースサイズにはなるのだが、作業船の三分の一を埋めるような機械を使っていた従来からすればかなりの軽量化がされていると言える。
本当に何でもありな気がしたが、一般的に用いられていないのは、やはり全ての船に普及するにはコストが掛かりすぎるという事だろうか。
「アンジュ先輩?」
『もうすぐ、ヴィペラの雲を抜けるわ。ビブロメーターには反応がないけれど、もしかするとエリアを襲った過激派の残党が居るかもしれない。十分に警戒して、危ないと思ったらすぐに戻ってくるのよ。私たちが指示しないうちに戻ってきても、誰も責めたりしないから』
「了解です。気を付けます」
答え、千花菜は小さな声で、祐二、と囁いてきた。
「周囲の警戒は私がするから、祐二は気にせず作業を続けて」
「り、了解……じゃない、アイ・コピー」
僕は、ハンドルをゆっくりと回転させる。ぎぎっ、という、長年動かされなかったものがその縛めを解かれたかの如き鈍い音を立てて、シャッターが上がり始める。中に籠っていた空気が出口を与えられて漏出し、ガンマの側面を漂っていたヴィペラを揺らした。
刹那、そのヴィペラが側面モニターからふっと消滅した。思わずそちらに視線を向けると、灰色の海面が遠ざかっていき、段々と深い藍色へ移り変わっていく空が画面の上から降下してきた。ヴィペラの雲を抜けたのだ。
「アンジュ先輩、大気圏突破まではあとどのくらいですか?」
『五分掛かるか掛からないかくらいよ。……大丈夫、ディベルバイスの上昇速度だったら、ダメージは受けないわ。ガンマも熱に耐えられる仕様だし、そのまま乗っていれば大丈夫。逆に飛ぼうとすると危ないから、しっかりギアを船体にくっつけている事』
「はい!」
大分遅く感じるが、やはりシャトル発射の速度と同じ速さで動いているのだ。僕はもう一度、流れていく側面モニターの映像を眺めた。確かに、目視で見ると体感よりかなり速い。Gをあまり感じないのもまた、ディベルバイス船体の重力発生装置の成せる業なのだろうか。
数分後、突如ガンマの内部が真っ赤に染まった。
光源は、全方向のモニターだ。いよいよ、というより、本当に五分も掛からず大気圏突破に入ったのだろう。ヴィペラを地球に押し留め続ける空気が、真紅の光焔を上げて燃え始める。
宇宙飛行の免許を取得する合宿の際、或いは先月の訓練課程入学の際、リーヴァンデインを使い、リバブルエリアに降りた時は籠の中だったので、この光景を見るのは事実上初めてだった。恐ろしい、と思う半分、綺麗だな、とも感じた。
世界が終わる時のように、厳かだった。
そんな事を考え、今日、地球はまた終わったのだ、と改めて実感した。実際の終わりは、空が燃えるようなロマンチックなものではない。全てを圧し潰し、血肉を蹂躙する灰色の霧がゆっくりと空から降りてきて、気が付けば僕たちの生きられる場所がなくなっていた。
「祐二」
千花菜が、僕の名前を呼ぶ。
彼女の方を見ると、彼女は僕を見ていなかった。ガンマを操縦する手は止まり、何処かうっとりとした表情で空を──宇宙を見上げている。
僕もハンドルを回す腕を止め、船体から燃える大気が剝ぎ取られていく様を淡々と見上げ続けた。
炎の奥に、幾筋かの流星のような光が見えた。