『破天のディベルバイス』第16話 行く宛てのない船⑨
⑦渡海祐二
敵の主戦力であるメタラプターのうち、宗祇少佐以外のもの以外の全機が撃墜されると、宇宙連合軍は退却して行った。轍鮒の急が去った事で一時的な安心は得られたが、まだ敵戦力の多くが健在である事、宗祇少佐を討つ事が出来なかった事などは、今後も同規模の戦闘が起こる事を示唆していた。
宗祇少佐は、ニロケラス基地の壊滅以来慎重になっているようだった。少佐自身、計画に必要な犠牲であれば冷酷なまでにそれを払うものの、必要以上の消耗や人民に深刻な被害が出る事は避けたい考えのようで、僕たちに対して過剰な攻撃をしなかったのは、決して無理に踏み込まず確実に勝利出来る道を選ぼうとしているかららしかった。
すぐに、ディベルバイスをこのノクティス迷路から移動させねばならない。宗祇少佐はまたすぐに部隊を編成し、ここら一帯を包囲しようとするだろう。迷路地形は身を隠すのには最適だが、全方向から追い詰められれば脱出は困難という諸刃の剣でもあった。しかし今、僕には今後の進路についての速やかな決定に回せる頭が存在しなかった。
帰投し、スペルプリマーを降りるや否や、僕は声を上げて居住区画に駆け込んだ。擦れ違う生徒に恵留が何処に居るのか尋ねるが、彼らは多くが彼女の負傷について知らないようだった。千花菜が必要以上の情報公開を避けたのか、それとも皆船が攻撃された事で誰かの負傷に気を回す余裕がなくなったのか、それとも舵取り組の一人が死にそうになったところで構わないと思っているのか、どうしても僕には判断が付かなかった。
恵留の治療に関わった生徒たちに話を聴き、彼女が運び込まれた部屋が分かると、僕はすぐに向かった。入口では、丁度ブリッジから駆けて来たらしい千花菜が、部屋に入ろうとしているところだった。
「千花菜」
「祐二……!」
千花菜は、僕の胸元に額を押し付けた。
「何で……どうして、こんな事になっちゃうの? 恵留は、何も悪い事なんかしてないのに、どうして……」
「千花菜、落ち着いて。状況を教えて、恵留はどうなったの? 大丈夫なんだよね? 手当て、間に合ったんだろう?」
僕は、そっと彼女の肩に自分の手を添えながら言う。嫌な予感が時間経過と共に膨れ上がるのを感じたが、懸命にそれから目を逸らした。
ブリッジに居る者たちは、千花菜がこうして恵留の元へ行く為にブリッジを離れる事を許したようだった。重圧に圧し潰されそうな心の中で、彼らの気遣いが唯一の救いだった。
千花菜は無言で扉を開ける。中では、伊織だけがベッドの傍らに膝立ちになっていた。青白くなって目を閉じた恵留の手を取り、両手で包み込むようにしながら目を伏せている。ベッド脇のモニターにはメディカルチェック用の心電図が表示され、恵留は一応、脈があるようだった。
「伊織……」
少々安堵のような気持ちが込み上げたが、千花菜や伊織のやりきれないような表情に、それはたちまち覆い尽くされる。僕が歩み寄ると、伊織はゆっくりと顔を上げてこちらを見てきた。
「……意識が戻るかどうか、分からないらしい」
伊織は、ぽつりとそう零した。
「低酸素脳症のケンより、もっと酷い。もしかしたら、二度と目が覚めないかもしれないんだってさ。全身に深刻なダメージを受けた上、血液が抜けた時間が長すぎた。組織のあっちこっちが死んでいるって、先輩が」
「脳は……」僕は──不謹慎な言い方かもしれないが──、自分こそ呼吸が停止するのではないか、と思われた。
「分からない。ユーゲントにも訓練課程で医療を学んでいる人は居なかったし、応急処置以外にそこまで専門的な事は出来ない。脳死判定は、元々難しいものみたいだしな。……もし本当にそうなら、一週間も経たないうちに恵留の呼吸は止まる。そうでなくっても、恵留がまた目を覚ますのかどうか、誰にも分からない」
伊織は、ユーゲントを含む皆を部屋に帰らせ、恵留と二人きりになりたい、と言ったらしい。処置に参加した者たちは、そんな彼をそっとしておいてやろう、と考えたようで、誰もこの部屋に近づいてはいなかった。
僕は、眠り姫となった恵留をただ見つめた。彼女が伊織に求めていた事、それこそが今伊織のしている事なのだと思った。そう思うと同時に、何故これ程簡単な事を、彼は今まで恵留にしてあげなかったのだ、という、悲しい怒りが湧いた。
「あのさ、伊織……」
僕は、徐ろに口を開いた。
「君は散々、僕に言ったよな? 千花菜の傍に居ろ、守りたい程大切に思っているなら、それくらいしてやれって。カエラに現を抜かしている場合か、千花菜が可哀想だろう、って。それなのに、何で君はこんな事になるまで、恵留を大事にしなかったんだ。言い訳じゃないか、全部。僕を危険な目に遭わせたくなかった、とか言ってさ……そこまで、僕たちは信用ならなかったの? 言ってくれれば、いつでも君と恵留の為に、僕たちがその穴を埋めたのに」
「祐二……」
伊織は、顔を歪めて僕を見た。何だか、こちらを睨んでいるように見えた。
「君は根本的に、僕たちを頼る事の意味が分かっていない。だから、恵留が頼ろうとした形すらも分からなかったんだ。それで恵留も自分で、伊織と同じくらいに頑張ろうとして……こんな事になってしまったんだ!」
堪えきれなくなって叫んだ時、伊織の顔が赤黒くなった。
「お前に俺の何が分かる!」
すかさず、彼の拳が飛んだ。僕は顔面にストレートを受け、仰向けに床へと倒れ込む。千花菜があっと声を上げたが、彼はそこで止まらなかった。倒れた僕の胴を跨ぐように立つと、襟首を掴んで吊るし上げるような形になる。
僕は、同じような言葉を以前も彼が口にしていた事を思い出した。
──何も分かっていないのは、お前の方だ!
あの時も確か、僕は恵留に対する伊織の半端な接し方を詰ったのだった。
「綺麗事だけじゃ済まないなんて言いながら、理屈じゃない正論しか並べようとしない! お前がスペルプリマーに乗ったのは何の為だ? 千花菜の為だろう? なら、俺もスペルプリマーに乗らせろ! ディベルバイスを救わせろ! それが出来なかったから、俺は……俺は!!」
伊織の拳が、再び振り上げられる。その時、千花菜が背後から近づいて伊織の肩を掴んだ。反射的に伊織が振り向くや否や、彼女の手が伊織の頰を張る。伊織は恵留の方を見、堪えきれなくなったかのようにはらはらと涙を流した。
僕が起き上がると、千花菜は腕を伸ばし、僕と伊織双方の肩にそれを回した。僕たちはされるがまま、彼女に抱き締められた。
「ごめんね……千花菜……」
僕の目からも、伊織に釣られたように涙が溢れ出した。
「本当に泣きたいのは、千花菜の方なのに……」
「いいよ、祐二。……伊織」
千花菜は、首を振りながら僕たちを抱擁し続ける。僕たちは、どうしようもない程に弱く、脆いのだと実感せざるを得なかった。
時は、残酷な程に不可逆だ。
失われてはならない命は、刻一刻と摩耗していく。皆の疲弊も、時が流れる程膨らんでいく。そして宗祇少佐らは、こうしている間にも僕たちを滅ぼす準備を進めている。