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『破天のディベルバイス』第16話 行く宛てのない船⑧


          *   *   *


 船を襲っていたメタラプターを苦戦しながらも排除すると、伊織は船内に駆け込んだ。作業船格納庫の中に入ると、すぐにそこで足が竦む。

 そこに、ユーゲントのテン先輩やマリー先輩が居り、他数人の生徒たちと共に床に屈み込んでいた。彼らの中央に横たわったものに、必死に処置を施しているらしい。それが恵留であると、すぐに察しがついた。

「先輩方!」

 伊織は、一時的に軟禁を解かれたらしいユーゲントに声を掛ける。彼らの周囲に夥しい血痕や血塗れの金属片が見られたが、意図的にそれらから目を背ける。自分が近づくと、マリー先輩は「見ちゃ駄目!」と叫んだ。

「恵留は……恵留は、大丈夫なんですか!?」

 咳き込むように尋ねる。処置に当たっていた生徒たちや先輩方は、皆一様に(つら)そうな表情を浮かべた。誰も何も言わないので、伊織は返事も待たずに横たわる恵留を覗き込んだ。

「あ……ああ……そんな……」

 ひび割れた声が漏れる。恵留は、黒ずんだ傷口を痛々しく縫合されながら、目を閉じて呻いていた。ミサイルの破片が直撃したのだろう、脇腹の辺りが、獣に食いちぎられたかの如く抉られ、赤い血液をどくどくと吐き出していた。

「恵留! 恵留、嫌だ……駄目だよ、死ぬな!」

「デカい声を出すな、神稲。美咲の頭に響く」

 テン先輩が注意してきたが、伊織はぶるぶると頭を振った。

「だって……だって、恵留は俺の恋人だ。誰よりも大事な人なんですよ!」

「今、それ言う?」

 傷口を縫合する為、備え付けの救急セットにあった持針器を固定しながら、万葉がこちらを睨んできた。その目には大粒の涙が溜まっている。

「恋人なら、何で中途半端に接していたのよ? 恵留ちゃん、ずっと寂しそうだった……彼女は、神稲君が傍に居てくれるだけで良かったのに。そのせいで、恵留ちゃんはこんな事に……!」

 その言葉が、伊織の硬化した心に錐を打ち込んだ。伊織は、歯茎から血が滲む程に奥歯を食い縛り、気付けば叫んでいた。

「黙れよ! 俺が恵留の事だけを考えていれば……それでも、お前たちは俺を責めただろう。生きていなければ、何の意味もないじゃないか!」

 言ってから、はっと我に返る。万葉は怯えたように目を見開き、指先をぶるぶると震わせていた。持針器が震え、マリー先輩がきっと顔を上げる。彼女は、咎めるように「伊織君!」と鋭く声を放った。

「私たちは、美咲ちゃんが望んでいるだろうから、あなたを追い出したりはしない。だけど、あなただけが特別に彼女を想っているなんて、見当違いな事は絶対思わないで!」

 伊織は、俯きながら「……はい」と小さく答える。心の中では、自分がそのような傲慢な事を思う資格はない、という念が渦巻いていた。

 ディベルバイスを守る為に、躍起になっていたのは本当だ。だが自分のその、ある意味で身近なものが見えていなかった事に、船の皆を守る事で恵留の事も守ろうとした、などという言い訳は通用しない。自分は”執着”を断ち切れなかったのだ。宇宙に出たところで、悟りは得られなかった。

「俺が……今更何かを出来るなんて、そんな事は思いません。でもせめて……恵留の手、握っていていいですか?」

「してあげて」先輩は、間髪を入れずに肯く。「それがきっと、美咲ちゃんが今いちばん望んでいる事よ」

 止血や縫合を行っている生徒たちが、各々(おのおの)ほんの少しずつ体をずらして伊織の為のスペースを空けた。伊織はそこに屈み込み、なるべく揺らさないように気を付けながら恵留の左手を握った。

「恵留……ごめん……」

 喉の奥で小さく呟いた時だった。

「い、おり……君?」

 ぴくりとも動かず閉じられていた恵留の瞼が、微かに開いた。焦点が合わず、ぼんやりとしていた瞳が微かに動き、伊織の方を見つめる。伊織はつい身を乗り出し、またテン先輩に咎められた。

「伊織君だあ……良かった、あたし……もう、伊織君に会えないのかな、なんて……本当に、そう思ってた……」

 恵留の(まなじり)に、透明な雫が浮かび上がってくる。伊織は彼女の手を取り、自分の額に押し当てた。

「ごめん、恵留……約束したのにな。お前の傍で、俺が守るって……お前が本当にして欲しかった事、俺はしてあげられなかった……」

「謝らないで、伊織君……あたし、伊織君の頑張ってる理由、ちゃんと分かってたよ……」

「違う、違うんだよ恵留。俺は……」

「あたし、伊織君の事好きだよ」

 恵留は、ごく自然にそう言った。言ってから、少しおかしそうに笑う。その笑みは何処か寂しそうで、痙攣した傷口が痛んだのか、少々眉根が寄った。

「伊織君、分かっててくれたみたいで、嬉しかった……だけど、それでいいんだって思って、あたし、結局ずっとはっきり言えないまんまだった……ああ、言えて良かったな……こんなに簡単に言えるなら、もっと早く言っていれば、もうちょっとは満足出来ていたかもしれないのに……」

 自分はずるい、と思った。

 そうなのだ、恵留は自分に対する気持ちを、はっきりと口に出さなかった。だから自分は、心の中でずっと言い訳をしていた。恋人? よく、先程のような台詞を自分で口に出来たものだ、と思い、自己嫌悪が強くなる。

 だが、恵留は伊織のそのような心理には気付かなかったようだった。

「あたし、死ぬのは怖くないよ……伊織君がこうして、傍に居てくれるんだったら……境目が消えて、宇宙の粒子に還って……モデュラスの伊織君には、それでも感じて貰えるのかな……」

 彼女は言うと、目を閉じた。万葉が、涙ながらに叫ぶ。

「血圧、八十三の二十四……どんどん低下していきます! このままじゃ……縫合が間に合っても出血性ショックで死んじゃうよ……!」

「輸血だ! 美咲の血液型、誰か知っているか?」

 テン先輩が皆を見回す。伊織は、真っ先に答えた。

「O型です。……お願いです、先輩。恵留を……どうか恵留を助けてあげて下さい。俺はAB型で、彼女に血を分けてあげる事が出来ない……」

 何処までも、自分は彼女の助けになれないのか。これは、今まで彼女を顧みず半端に彼女の好意に応じていた自分への罰なのか。だとしたら、何故恵留の方が命の危険に瀕さねばならないのだ、と、不条理さが込み上げた。

「……俺、O型ですよ」

 器械出しを務めていた猫背の男子生徒、フランツが、恐る恐るというように手を挙げた。普段控えめで影の薄い彼に、皆の視線が集まる。伊織は、「頼む」と言いながら床に額を擦り付けた。

「頼む! 絶対に、この事を忘れたりしない! 後生だ!」

「いいよ、神稲。俺の血なんかで良ければ……」

 フランツが答え、袖を捲り上げる。先輩たちは残り時間に素早く見当をつけ、すぐに採血の準備に取り掛かり始めた。縫合は大分進んでいる、このまま血液の排出を抑える事が出来れば、間に合うはずだ。

 ──俺、絶対に諦めないよ。

 信じる事しか出来ないというのなら、俺は全身全霊でそれをする。

 伊織は、自分を圧し潰そうとする後悔や絶望を、打ち消すのではなく食い止めるように拳をぐっと握り締めた。思念がヒトの重力だというのなら、人間を超越した自分が念ずればそれは叶うだろうか、と思った。

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