『破天のディベルバイス』第16話 行く宛てのない船⑤
『伊織!』
一号機の回線から、ブリッジに居る祐二の声が聞こえてきた。どうやら、格納庫内の損害と一号機、四号機の発艦に気付き、通信してきたらしい。
『何をやっているんだ? 何でこのタイミングで登録した? 四号機は何で動いているの?』
「説明は後だ!」
伊織は叫ぶと、ディベルバイスから二キロメートル程の位置まで移動した。押し込んでいた四号機の両腕を捻り、一号機を同じ方向に向かせると、柔道の背負い落としの要領で投げ飛ばす。「ケン、座席にしっかり掴まれ!」
『何をする、神稲!?』
「喋るな、舌を噛むぞ!」
絶対に助けてやる、と決意し、砂地への落下を開始した四号機に向かって急降下する。自発的な動きが出来ない状態の現在、槌を奪い取れば脅威はなくなる。それからであれば、封印方法など幾らでもある。
「ケン、大丈夫だ! 絶対に大丈夫だからな!」
『おい伊織、どういう事だよ? 四号機の中にケンが居るのか?』
伊織の叫びを聞きつけ、祐二が尋ねてくる。その声は、勝手にスペルプリマーを動かしたこちらを責めているようだった。
四号機がシェアリングを求める点滅信号を放ち始めた時、伊織たちに調査を任せてきた祐二は、「もしも四号機の内外を調べても原因が分からなかったら、自分がシェアリングを試すから何もしないように」と言った。だが伊織は、それを無視して一号機に乗り、死んだはずのハープと接触した。その結果、ハープが錯乱し、四号機が暴走を始めてしまった。
伊織が祐二の指示を無視したのは、自分がスペルプリマーに乗り、ダークの話を聞いた時に思い浮かんだ自分自身の過去との不思議な符合を、自分の目で一刻も早く確かめたかったからだ。完全に私情だ。
その私情で、この事態を招いてしまった。あの正体不明のハープは、自分の姿を見て錯乱を開始したのだから。
「本当に、ダークの妹なのか……?」
心の中で言ったつもりが、口に出てしまっていた。
残留思念、魂などというものが、本当に肉体を離れた後に存在し続けるなどとは信じられない。だが、本当にそれが実在するものだとして、それがスペルプリマーをこのように動かすなどという事が可能なのだろうか。死後に人間が物質世界に干渉出来てしまったら、この宇宙は大変な事になる。
では、自分と対話していたハープが悲鳴を上げた瞬間、偶然四号機が今までに見た事のないような誤作動を起こしたという事なのか。そのような都合のいい偶然があって堪るか、と思った。
『避けろ! 避けてくれ!』
ケンの悲痛な叫び声が響き、続いて信じられない事が発生した。
槌を捥ぎ取ろうとして伸ばした一号機の左腕を、ジェット噴射で体勢を立て直した四号機がまさにその槌で痛撃したのだ。手首に当たる接合部が砕け、血液の如く赤黒い、粘度のある液体が漏出する。そちらに気を取られた瞬間、四号機は上体を捻るようにして反対方向に槌を振るってくる。側面モニターのカメラが砕かれたのか、物凄い衝撃と共に左側のモニターが暗転した。
『伊織!』
「故障なんかじゃ……ないよな」
『今カエラを向かわせる! もう少しだけ耐えろ!』
祐二が叫んだ時、カエラの声がブリッジで彼に言うのが聞こえた。
『祐二君、四号機を破壊せずに止めるのは無理よ』
『無理? スペルプリマーが二機あれば、最初からそうとも言えないよ。見捨てるなんて出来ないだろ、あの中にはまだケンが……』
『あのままじゃ、一号機と伊織君を両方とも失う事になる。四号機は制御不能みたいだし、ケン君も伊織君に比べたら成績は下。一か八かの賭けをするより、安全策を採った方がいいと思うけど』
『人命に優先順位を付けるの? 戦力になるかどうかで?』
祐二の声が昂る。時間が掛かるだろうか、と思い、伊織は重力刀を抜いた。
武装解除をさせられないのであれば、槌を握った腕ごと斬り落とすか、コックピットハッチを壊してケンを直接脱出させるかだ。伊織は覚悟を決め、三度目の打撃が来る前にもう一度相手の懐に飛び込んだ。重力刀を逆手に構え、ハッチの隙間に沿ってそれを振り下ろす。四号機は足を振り上げ、こちらの腰の辺りに膝蹴りを叩き込もうとしてきた。
『渡海、言い合ってる場合か!』
スカイが、痺れを切らしたように小型ヒッグスビブロメーターへ声を叩き付けたのが聞こえてきた。
『早くしてくれ! ルキフェルを寄越さないなら、俺が二号機で出るぞ!』
『カエラ、頼むよ。切り捨てる事ばっかり考えちゃ駄目だ。……それが、君の言うように僕の為なんだとしても。船の安全を守る事が、僕が生きる事に先立つんだとしても』
『……分かった』
カエラは短く答え、言葉を切った。その足音が通信機から遠ざかり、ブリッジの外に出て行ったように感じられた。彼女は、こちらに駆けつけるのだろうか、と伊織は考えながら唇を噛んだ。
彼女は四号機を破壊してしまうかもしれない、と思った。
彼女にそれをやらせる訳には行かない。船の安全の為に、誰かが人柱になる事を強いられる。第三次舵取り組がそのような思想の集団だと思われたら、自分たちもまたユーゲントと同様危うい信頼に止めを刺される事となる。
伊織は、コックピットの開放に専念する。自分が取るべき責任を取ったところで、自分の行いが許される訳ではないのかもしれないけれど。
* * *
「何で、あんな馬鹿げた事をした?」
ブリッジに戻ると、祐二が何かを言う前にナイジェルが伊織の頰を殴ってきた。イワンやアイリッシュ、ジュディ、グレーテも一様に、自分に厳しい眼差しを向けてくる。弁解の余地はないと思ったが、自分の動機は、正直に口にするにはあまりにも事が重大すぎるように思えた。
カエラの二号機が発艦してきたまさにそのタイミングで、伊織は四号機のハッチを切断した。火星の大気中に防護服なしで出る事になったケンは、息を止めながら伊織が開いた一号機のコックピットに移ろうとしてきたが、揺れる二機のスペルプリマーに翻弄され、砂地へ真っ逆さまに落下してしまった。
伊織は急いで一号機を降下させ、彼をキャッチして保護した。四号機は追撃しようとしてきたが、そこにカエラの放ったグラビティアローを受けてエンジンとコックピットを除く部位を破壊され、半壊のような形で墜落した。活動を停止したそれは、現在格納庫に運び込まれてバンドで封印されている。一旦は事なきを得たように思えたが、二酸化炭素の大気の中に放り出されたケンは帰投後に低酸素脳症と思われる意識障害に陥り、昏睡してしまった。
「スカイも、どうして神稲を止めなかったんだ。お陰で実戦部隊の貴重なパイロットは死にかけたし、四号機も大破しちまった」
ナイジェルはスカイの方を向く。スカイは「俺に聞くなよ」というような表情を露骨に浮かべたが、彼が何かを言い返す前に祐二が発言した。
「やめなよ、ナイジェル」
祐二の一言に、誰もが静かになる。彼の発言が、いつの間にこれ程効力を持つようになったのだろうな、と伊織は思った。だが、その思考を深める前に彼が自分に言ってきた。
「伊織、ちゃんと聴かせてくれ。君は何で、勝手にスペルプリマーに乗ったの? モデュラスになって、体に異常は出ていないのか? 舵取り組がモデュラスの追加を容易に行うのは、事実を知っている生徒たちにも悪い潮流を与える。それは、伊織も分かっているだろう?」
「俺は……」
伊織は、言葉を出す事が出来なかった。
ハープの言った事が本当で、自分がその認識を誤っていないのであれば、自分の責任は果たしきれるものではない。口に出してしまったら、皆から糾弾を受ける。糾弾だけであればまだいいが、自分がこの船と皆を守るという、偽りのない行動理由まで否定されてしまえば……自分の存在価値は、無に帰すだろう。
自分はただでさえ、ここに居る皆を危険に晒した元凶に関わっていたのだ。その上で、今回の行動もまた仲間を深く傷つけた事に違いはない。本当の事は言えないが、せめて罰を受けようと思った。
「……俺は、祐二を危険な目に遭わせたくなかった」
自分でも、本心ともごまかしともつかない言葉が口を突いた。
「四号機とのシェアリングは、何が起こるか分からないものだった。祐二に、それはやらせられないって、俺が勝手に思っただけだ」
「伊織……」
祐二は、一瞬顔を歪めた。その歪みが解けた時、彼の顔に浮かんでいたのは、伊織が今までに見た事のないような冷たい怒気だった。感情が昂って、誰かに食って掛かった時のようなものではない。感情は溢れ出しそうなのに、それを意思でありったけの自我で抑圧しているようだった。
次の瞬間、祐二の手が振り上げられて伊織の頰を平手打ちした。伊織はぐっと歯を食い縛り、打たれる瞬間を思い切り耐えた。
「伊織、僕さ……」
祐二の声は、傷ついた体内を刺激しないようにそっと吐き出されたような繊細さを帯びていた。
「君の事、そこまで独り善がりな奴だとは思っていなかったよ」
彼は言うと、千花菜や恵留が声を掛けようとした動作に目もくれず、索敵用レーダーの表示画面の方に戻って行った。