『破天のディベルバイス』第16話 行く宛てのない船④
④神稲伊織
スペルプリマーの格納庫内で、発光している機体は三機。だが、状況が変わったかと問われれば、確かにそうとも言えた。
モデュラスという概念については、ダークが祐二に伝えた事で、彼の口から自分たち新生舵取り組には公表されていた。祐二が戦闘に於いて天才的な手腕を発揮するようになったのも、それと引き換えるように慢性的な疲労を感じるようになった事も、感情の起伏が激しくなって時に凶暴化する事も、皆彼が人類の進化形態──新人類と呼ぶには不完全なモデュラスへと変貌していた事の表れだった。
スペルプリマーは、SBEC因子なるモデュラスへの変化素子を受け付ける土壌が出来上がっている人間であれば、誰でも動かす事が出来る。祐二やカエラ、ジェイソン先輩がディベルバイスに搭乗してから特段の措置もなく機体を動かせた事や、これはユーゲントから聴いた事だが、今まで自分たちを襲撃してきたスペルプリマーのパイロットたちが彼らの同期生たちだったという事から、恐らくユーゲント以下の世代は誰でもスペルプリマーに乗る事が出来るのだろう。
恐らく、リバブルエリアで健康診断や予防接種があった時、自分たちには第一回目のSBEC因子が組み込まれたのだ。想像すると気持ち悪い事だが、これを知れた事は大きかった。以前のように、スペルプリマーへの「登録」が一機につき一人しか出来ないと思う必要はなくなった訳だ。
だが、だからといって無闇矢鱈に生徒たちに登録させる事は出来ないよな、と伊織は考えた。凶暴性を持つモデュラスを増やす事になるのだし、パイロットが未熟では機体を失う可能性もある。
俺ならどうなるのだろう、と考える。
伊織はダークの行動の意味、そしてモデュラスという概念を知った時、来るべきものが来たのだ、と思った。神稲家に里子だった自分が居る事に”違和感”を覚えるようになり、逃げるような形で護星機士訓練課程にエントリーした時、自分は運命から逃げたと思った。だが、モデュラスの事、スペルプリマーに誰もが乗れるという事を知ると、宇宙のスケールに比べたらちっぽけだと割り切れる程になりつつあった過去が、まだ自分に付きまとっているのだと思った。
自分に、異変はまだ表れていない。だが、予想が正しければ自分は……
「おーい、神稲!」
思索に没入しかけた時、頭上でスカイが叫んだ。伊織はびくりとし、意識を現実に引き上げられる。見上げると、彼がスペルプリマー四号機のコックピットから顔を出し、こちらに手を振っていた。
「スカイ! どうだ、様子は?」
「お手上げだ。やっぱり、特に問題はねえと思っていいのかな?」
祐二たちから格納庫の鍵を渡された伊織たちが調べていたのは、ダークが降りた後の四号機だった。
パイロットが降り、起動が停止されたにも関わらず、四号機は接合部の点滅を止めなかった。不具合か何かか、と思ったが、その後祐二が一号機を起動した時、同じように一号機も呼応を始め、タブレットに『HAMARRが感覚共有を求めています』と表示されたそうだ。
三号機はジェイソン先輩の死と共に大破してしまったが、四号機はまたパイロットを選出すれば使う事が出来る。だが、万が一これが何か良くない現象であり、その新たなパイロットに危険が及ぶという蓋然性はある。伊織、スカイ、ケンは祐二から直接調査を頼まれたのだが、
「外から見ても異常なしだ。やっぱり、実際にシェアリングを試してみる必要があるのかな……」
三人で手分けして調べてみても、原因は不明だった。
ただ、四号機が自動的に起動した訳ではない事、それにも拘わらず重力出力値が一定の状態を保ち続けている事は判明した。それが周囲に干渉しているからか、宇宙空間に隣接し、船内のような地球と同レベルの重力が発生していないはずの格納庫内の浮遊感は、普段より希釈されている気がした。
「起動してみない限り、何も言えないだろうな。渡海を呼ぶか? あいつも、一号機以外の機体も動かせるんだろう?」
ケンが言ってきたが、伊織は唸りつつ首を振った。
「いや、俺がシェアリングをやってみる」
言いつつ、一号機を指差す。スカイとケンは、ぎょっとしたように声を上げた。
「戦闘に出す為じゃないとは言っても、怒られるぞ? モデュラスを勝手に増やすのはマズいんじゃ?」
「一応、俺はダイモスに居た過激派と戦う時、予定通りなら三号機のパイロットになるはずだった。今後モデュラスを追加する時は最初に選ばれるだろうし、何も起こらなかったらその時報告すればいい」
実際には、伊織は自分自身について知りたかった。祐二を経由してダークの話を聞いた時、思い至った事が本当なのかを確かめたかった。本当だとしたら、自分がスペルプリマーに搭乗した時、何が起こるのかも。
完全に私情だな、と一瞬思ったが、完全にそうとも言い切れないだろう、と考え直した。成績からして、今後パイロットに選ばれるのは確実に自分なのだ。いざとなって問題が発生し、その状況が一刻を争うものだったりしたら。船と生徒たちを守る者として、自分には知る必要がある。
「心配するなよ」伊織は、二人に軽い調子で言った。「ちょっとだけ調べて、すぐに戻るからさ」
彼らが何も言わないのを確認し、一号機の方へ歩いて縄梯子を登る。
コックピットに入ると、項の産毛がぞわりと逆立つのを感じた。誰かが、すぐそこに居るような気がする。それは祐二の気配であり、オカルティックな言い方になるが、この一号機で戦い続けた彼の”存在”が、あたかも当然の如くコックピットに刻まれているようだった。
(祐二……あいつは、本当は皆を背負って戦うような奴じゃないのに)
ユーゲントが退いた事で、実戦に於けるエースの彼は半ば成り行きで、舵取り組の長にまで押し上げられてしまった。彼が船を守る為に戦う理由は、千花菜の為に違いないが、それで疲れてカエラに靡いてしまったのなら本末転倒な気はした。考えながら、最近いつも祐二に思いを馳せる度に千花菜やカエラの事を考え、苛立ちが募る自分を勝手だな、とも感じていた。
頭を振り、余計な事を考えないようにしながら起動キーを回す。座席の下からタブレット端末が上がってきて、膝の辺りで止まった。そこに『Super Primer : SVERD』という文字と共に浮かび上がった一文に、思わず息を呑んだ。
『エスベックを検知。情報をサーバーへ送信します』
エスベック? 自分はやはり、スペルプリマーと何らかの関わりを持っていたという事だろうか。それに、「サーバー」や「送信」といった言葉も気になった。搭乗者である自分の情報が、何処かに転送されるという事だろうか。そうだとしたら、一体何処へ?
断続的に、無数の思考が代わる代わる頭を支配する。数十秒の時間が経過したようだが、伊織にはほんの一瞬に感じられた。タブレット画面のメッセージは、次のようなものへと変化した。
『送信を完了しました。You have control』
肩に、コネクタが打ち込まれる。突発的な激痛に、無意識に額に皺が寄った。
刹那の後、不意に視界が開けたような気がした。視界に入る全てのものに、注意力が均等に行き渡っているような感覚。一つ一つの物事が、全て固有の存在として認知されるような、背景扱いのものが一つとして存在しないような。
そして、それ程の情報が取捨選択されずに意識に拾われているというのに、脳がキャパオーバーを起こさないような不思議な落ち着きがあった。祐二が最初にこの感覚を説明した時は、実感としてよく分からなかったが、今でははっきりと理解出来る。これが、モデュラス化したという事なのか。
(俺は……モデュラス、なのか?)
ふとそのような考えが過ぎったが、すぐに頭を振ってそれを追い払った。予想とはやや異なる結果だったが、これで自分がここ一週間考えていた事が真実である可能性が高くなった。
スカイに言った本題に入らねば。伊織は、コックピットに並んだ無数のボタンに触れる。操縦方法は、思考回路が変化した途端、記憶の底から呼び起こされたかの如く分かっていた。重力バリアを展開し、機体周囲にフィールドを形成する。
「スカイ、ケン、少し離れていてくれ。人体に影響があるかもしれない」
『神稲、本当に大丈夫か?』スカイの声が返ってくる。
「問題ない! それより、四号機の重力出力は?」
『神稲……』
彼らは黙り込んだが、数秒の後ケンが『ちょっと待ってろ』と言い、再び四号機の縄梯子を登って行った。やがて、その数値が読み上げられる。
「分かった。それに同調させてみる」
答え、徐々に出力を上げていく。自分の思考の動きが分かり、それが機械へと流れ込んでいくように思えた。
同調した、と思った瞬間、全方向のモニターがパッと白く光った。外に居るスカイとケンがあっと小さく叫び、伊織はすぐさま「大丈夫だ」と返す。だが、その声が出し終わるか終わらないかのうちに、それは起こった。
──誰? お兄ちゃん?
頭に、直接語り掛けてくるような声。
それは、まだ成長しきっていない少女のものだった。伊織には、それが誰であるのかが直感的に分かったような気がした。
「ハープ……?」
それが、四号機を操縦しながら亡くなったというダークの妹であると、伊織は根拠のない確信を抱いた。先の戦闘で、彼女の声を聴いた訳ではない。にも拘わらず、疑う余地はないように思った。
「君がハープなのか? 君はもう、生きていないはずじゃ? 俺たちに、何を伝えようとしていた?」
『私……皆に、言えなかった事が……宗祇少佐と、シャ……』
段々、声が不鮮明になってくる。混乱は幾つもあったが、このハープと思われる少女がずっと訴え掛けようとしていた事を思うと、彼女の声を聞き取る事に専念せねばならない、という気持ちが込み上げた。
「何なんだ? よく聞こえないよ」
『夢で……あの二人が……お兄ちゃんの言う”人鬼”……その名前は……お願い、お兄ちゃん。皆に伝えて……』
伊織はそこで、彼女が勘違いをしている事に気付く。慌てて口を開いた。
「俺はダークじゃ……君のお兄さんじゃないよ」
『えっ?』
「君が一体、どうして四号機の中に居るのかは分からない。だけど、重力で俺を感じているならよく見て欲しい。俺は神稲伊織、君のお兄さんと……一緒に戦った」
『神稲……?』
少女の声が呟いた瞬間、傍らにぼうっと細身のシルエットが浮かんだ。それは光の靄に包まれてぼんやりしていたが、段々容貌がはっきりとしてくる。ダークとよく似た、漆黒の長い黒髪を水中に居るかの如く周囲に漂わせ、白い両腕で裸の体を隠すようにしている。それは、一週間前に伊織の見たハープそのものだった。
そのぼんやりとした目がこちらと合った瞬間、それが大きく見開かれた。驚愕、いや、明らかな怯えを示す反応として。
『………』
その口が、日本語にして僅か三音の音を紡ぎ出した。伊織は呆気に取られ、顔を正面に固定したまま絶句する。まさか、と思った。それこそが、正体不明の彼女が自分たちに伝えようとしていた事なのか。
「今……何て言った……?」
『あなたは……あなたは……いやああっ!!』
突然、ハープは絶叫した。呼応するかのように、伊織の搭乗したコックピット内の空間が大きく揺れる。頭の中に、自分が思考を吐き出し続けていた場所を通って何やら熱いものが流れ込んできたようだった。
「うっ!?」
伊織は考える間もなく、反射的にタブレットに浮かび上がった文章に視線を下ろした。『シェアリングを終了しますか?』という文章の付いたダイアログボックスに表示されている『Yes』を、連打するように指先で押す。熱いものは、伊織の頭蓋の内側に到達する寸前でふっと消滅した。
『大丈夫か、神稲!?』
ケンの声が聞こえた、と思った時、いきなり四号機のコックピットハッチが閉まった。機体が数歩前に進み、『おい』という彼の狼狽する声が回線から響く。伊織が呼び掛けようとすると、そこで決定的な事が起こった。
四号機が右腕で拳を作り、伊織の乗っている一号機を殴りつけてきたのだ。受ける態勢を取っていなかった一号機は押し倒され、背後の壁を突き崩しながら船内の方へ傾倒した。
「ケン、一体何を……?」
『俺じゃない! 俺は座席に座っていねえぞ!』
『とにかく出ろ! ヤバいやつかもしれない!』
スカイが叫んだ。だがケンが答える前に、四号機は主武器の鉄槌を抜き、倒れ込んだ一号機の方へ歩を進めてくる。
『駄目だ、ハッチが開かねえよ! それより神稲だろ!』
ケンには、モニターで外の様子は見えていないようだった。中では、四号機が起動した様子は見られていないらしく、ただ四号機が何の前触れもなく動き出し、一号機を攻撃した音だけが聞こえたようだった。
『神稲! 何が起こっているのかは知らん、だが今すぐ逃げろ!』
四号機が鉄槌を振り上げる。こちらは胴体部分ががら空き、あれが振り下ろされれば、コックピットは自分諸共無残に潰されるだろう。
(死にも殺しも、させない……!)
伊織は操縦桿を握り締めると、左腕を前に突き出して重力バリアを発動した。四号機の槌は出力が弱かったらしく、それはこちらのバリアを相殺する事なく空中で静止した。
そのまま左手を押し込んで槌を押し返すと、伊織は四号機の肩部をがしりと掴む。右手も同じように伸ばし、四号機の背後に回す。頭も突き出して懐に入り込むような形になると、四号機をホールドした一号機を立ち上がらせ、スカイに向かって声の限りに叫んだ。
「避けろ、スカイ!」
『おい、どうした!?
彼が反射的に跳び退いたのをちらりと目視確認し、伊織はジェットを噴射させた。スペルプリマーの起動に反応したのか、カタパルトデッキへのシャッターが開き始めていたが、それが上がりきらないうちに突き破るようにして外に飛び出す。伊織はそのまま四号機を抱え、船から距離を取った。