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『破天のディベルバイス』第15話 夜明けの少年⑧

 ⑥ハープ


 夢を見ていた。夢の中で自分は、ずっと幸せを感じていた。

 十三年間という時間が、自分の生きてきた人生だったが、決して楽しい思い出ばかりではなかった。むしろ貧しく、常に上流階級や裏社会からの搾取に苦しんでいた自分たち兄妹は、人生のうち、笑えなかった時間より、笑った時間の方が短かったのではないだろうか。それでも、夢の中に現れるのはいつも、なけなしの「楽しかった時間」の思い出だった。

 自分の眠り続けている時間が、一日二日ではない事をハープは理解していた。眠っている以上体感時間など当てにはならないが、少なくとも何年かは眠っているのではないだろうか。

 最初は、自分の意識が覚醒を拒んでいた。自分の中に沈み込んでしまった表層意識を、無意識が浮上させまいとしているようだった。その無意識が、自らに課した呪縛を解き放った後も、”あの人たち”が何度も自分をを目覚めさせまいとして邪魔をしてきた。

 本当に目が覚めそうになったのは、つい先程だった。

 夢(うつつ)の状態の中で、自分が見ていたものは兄の姿だった。

 兄は、自分一人ではどうにもならない程に巨大なものと戦っていた。そして、一人でそれに挑みながら、これは自分の罰なのだ、と自分に言い聞かせていた。ありとあらゆるものを裏切り、切り捨て続けた自分が、今報いを受けているのだ、と。自分は当然の事として、一人で戦わねばならないのだ、と。

 それは違うよ、と、ハープは語り掛けた。

 兄にそのような行動をさせたのは、自分なのだ。だが、自分が悪かったなどとは、考えてはいけない。兄はきっと、そのように自分が思う事を望まない。

 今までと同じだ。自分たちは、何をした訳でもなく世界に苦しめられた。だがそれらを、「試練」として乗り越えようとしてきた。今兄は、五年前にハープに襲い掛かった試練を共有し、その延長線上に居て、突破しようとしているだけだ。その優しさが、罰などである訳がない。

 叶う事なら、ハープは彼を助けたかった。だが体は眠っていて、彼に向かって動く事が出来ない。どうしよう、と思った。そうしている間にも、兄はどんどん摩耗していく。彼が今、頭蓋を圧迫され、脳を絞られるような苦痛に苛まれている事は痛い程分かった。やがてその体が、彼の今居る場所から投げ出されるようにして地面にばたりと倒れた。

(お兄ちゃん……!)

 ハープは懸命に、目を開こうとした。(うつつ)に居る彼の姿を、精一杯見ようとした。だが、叶わない。彼の挑んでいた巨大なものは、自分諸共彼を圧し潰そうとするかのように迫ってくる。

 涙が溢れそうになるのを堪えながら兄の姿を見つめ続け、目を開けようとし続けていると、倒れ込んだ彼の視線が自分の目を捉えた。その目が何処までも深く、懺悔の色を湛えているように見えたので、ハープは、どうしてそんな顔をするの、と胸中で呟いた。

 その時、兄の声がはっきりと聞こえた。

 ──ハープ……すまない。お前の苦しみは、俺なんかの比にならないものだっただろうに……俺は、この程度にすら、耐えられなかった……

(違う!)

 聴いた瞬間、ハープは強くそう思った。

(私が……私こそ、戦えていたら……)


 ──戦えるよ。


 心の奥で、自分に囁く声があった。それが、無意識から響く自分の声──変化を受け入れた自分の声であると気付くのに、時間は掛からなかった。

 ──あなたには、モデュラスの遺伝子が流れている。それがプロトSBEC因子になって、あなたに戦う力を与えてくれる。あなたは、お兄ちゃんを助ける事が出来るの。命を張って、あなたを守ろうとしてくれたお兄ちゃんを、今度はあなたが守らなきゃ。

(プロトSBEC因子……)

 その言葉を、ハープは聞いた事がなかった。だが”自分”はそれを、確かに理解していた。きっと、何処かで意識が拾っていたのだ。

 自由を奪われ、体力を奪われ、自らに宿った初めての命すらも奪われた自分は、昏睡状態になったのをいい事に、心を殻の中に閉じ込めてしまっていた。自己に閉じ籠った自分を解放すまいとし続けていた無意識だったが、それもまた知らないうちに、自分が諦めず、抗う為の情報を蓄えていた。

 ──あなたは目を覚ませるの、ハープ! もうここには、宗祇少佐たちは居ないのよ!

「は……あああっ!」

 己を鼓舞するように上げた声が、現実へと零れ出した。ハープは反射に身を任せるようにがばりと体を起こすと、目を見開き、そこがスペルプリマーと呼ばれる機動兵器のコックピット内である事を悟る。

 気を失った兄に這い寄り、そっと心の中で語り掛けた。

(お疲れ様……本当にお疲れ様だったね、お兄ちゃん。私の為に、こんなになるまで……ゆっくり休んでいて。あとは、私がやるから)

 先程、心の中に直接彼が語り掛けてきたような声が聞こえたのは、決して錯覚などではないと思った。空間を超越する重力子伝達能力を得た兄が、自分に掛けてくれた言葉が確かに届き、自分の目を覚まさせたのだ、と感じた。

 ハープは兄の顔を仰向かせ、額にそっと唇を当てる。それから、座席に座ってタブレット画面に触れた。

『Super Primer : HAMARR Reboot』

 肩に、円筒形のコネクタが打ち込まれる。視界が開け、頭の中がすっきりと落ち着いてくる感覚があった。操縦方法が、自分にも分かる。視界前方のモニターに映し出される巨大なもの──隕石に押され、へし折られそうになっている武器の槌を握り直し、打撃面に重力を働かせた。

『ダーク、無事なの!?』

 通信機から、聞き覚えのある女性の声が響いた。どうやらこのスペルプリマーが積まれていた船と、通信が繋がっていたらしい。動きを止めたこの機体が突然再起動したので、その船に居た人々は驚いたらしかった。

 声の主には、ハープも思い当たった。月日が流れて幼さは消えているが、聞き紛う事はない。

「トレイさん……お兄ちゃんは、生きています」

『………! その声、スペードのサイスちゃんね。本当に、ダークは助け出せたんだ……良かった。でも、どうして機体を動かせているの?』

 かつての仕事の先輩──トレイの声には、安堵と困惑が同居していた。ハープは微笑し、「守る為です」と言った。

「今度は私が、お兄ちゃんや、彼を支えてくれた皆を守るんです!」

 宣言し、槌を隕石に振るった。直接モデュラスの遺伝子を受け継いでいた自分には土壌が十分に出来上がっていたらしい、重力は強大な出力で発生させられ、岩石を大きく打ち砕いた。

 一回ずつの打撃で、一パーセントずつしかこの隕石を削る事が出来なくても。

 百回繰り返せば、きっと止める事が出来る。

 眼下をちらりと見ると、砕けた石片が宇宙連合軍のペトリオットに向かって落下し、爆散させていた。地対空ミサイルを発射しており、落下する小惑星を呆然と見つめていた護星機士たちが、それに巻き込まれて掻き消えていく。ハープは良心が疼くのを感じたが、今はやめる訳には行かない。

『サイスちゃん、駄目!』

 トレイが、悲痛な声を上げた。

『今のあなたたちなら逃げられる! ディベルバイスは……あたしたちの事はもういいから! あなたは、ダークと一緒に居なきゃいけない。もう、離れ離れになっちゃいけない!』

『トレイ!』ケイトが叫ぶ。『あたし……サイスちゃんの事は助けたい。でも、ダークを許せるかどうか、分からないよ』

『許さなくていいの、ケイト。だけど、彼女にはダークが居なきゃ。ダークは、彼女の傍にずっと居なきゃ……!』

 トレイの言葉に、ハープは微笑んだ。もう一度槌を振るいながら、「トレイさん、ケイトさん」と呼び掛ける。

「それだけじゃ、駄目ですよ。お兄ちゃんが望んでいるのはきっと、私も皆さんも、両方救う事です。その船が沈んだら、自分が生き残ってもお兄ちゃんは苦しむ事になります……だから私、逃げません!」

 自分も兄も、皆も救う。自分がどれだけ難しい事を言っているのか、ハープは自覚していたが、敢えてその自覚を口に出さなかった。トレイたちが、本当に自分の事を思ってくれていると理解出来ただけで十分だった。

 兄は、自らを罰するつもりだったようだ。同志だと信じ込ませた仲間たちを騙し、裏切り、危険に晒した事の制裁を受けるつもりだという事は分かった。その後、自分はどうなっていたのだろう。兄はトレイたちに、ハープの事を託すつもりだったのだろうか。

 だが、とハープは思った。

 自分が救った世界に兄が居なかったら、何の意味もない。自分は、兄を救う為であれば。彼らが、兄の生きる事を許してくれるのなら。

 衝突まで、あと五分もない。ハープは覚悟を決めると、隕石の表面をなぞるように飛行した。案の定これはただの岩ではなく、居住区や船用のドックを備えた開発小惑星だったらしい、内部に入る為の入口を発見する事が出来た。

 ハープはその中に入り込み、中心を目指す。粉砕が間に合わないのであれば、せめてこの後、押し返す事が可能なサイズになれば。

「私とお兄ちゃんの意志は、誰にも消させない……」

 呟き、最大出力で重力操作を行う。頭が絞めつけられるように痛み、視界が貧血を起こした時の如く眩む。タブレットに警告が表示されたが、ハープは決してそれを止めず、抗うように重力を捻出し続けた。

「だって、これが私の願いなんだから!!」

 叫んだ時、四方に放散していた重力フィールドが、小惑星の内側に亀裂を生じさせた。空間が引き裂かれるように、赤い光を放ちながらそれが広がっていく。小惑星が割れた、と認識した瞬間、ハープは自分の身を絞り尽くすように最後の出力を行い、前方に槌を振るった。

 地上に接近していた隕石の前半分が、木っ端微塵に砕け散った。それは砂漠へと落ちて行き、土煙がもうもうと立ち昇る。ハープは霞む視界の奥で、機体のすぐ横を大きな宇宙船が擦れ違うのを見た。兄の乗っていた船、ディベルバイスかもしれない、と思った。

(お兄ちゃん……ありがとう。後は、任せたよ……また、ね……)

『ハープちゃん!!』

 聞き覚えのない女性の声が、通信機から響いた。その声に揺さぶられたのか、自分の思念が届いたのかは分からないが、その時意識を喪失していた兄の目が、ぱちりと開かれてこちらを見た。その表情が驚愕に変わる。何かを言ったようだったが、ハープには既に聞き取れなかった。 

 ハープは最後の瞬間、満面の笑みを浮かべた。

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