『破天のディベルバイス』第15話 夜明けの少年⑦
⑤ダーク・エコーズ
渡海祐二が使用していたような作業船を使い、ダークはディベルバイスに向かって一直線に飛翔していた。宗祇は、ジャバによる隕石落としが現在の自分の行動を上回る非常事態だと理解したのか、自分とハープに更なる追手を差し向けてこようとはしなかった。だが、崩壊しかかった基地内の戦闘機部隊に代わり、ダイモス戦線を呼んでまでディベルバイスは捕獲対象とされた。彼らがフリュム計画に関わっているのなら、ディベルバイスは決して失う事の出来ない財産なのだろう。
(ジャバめ……やってくれたな)
空には、現在の時刻では見えるはずのない小惑星が浮かんでいる。間違いなく、ジャバの落下させようとしているナーサリー・ライムだ。そして、その前方には更なる宇宙連合軍の戦闘機が見える。自分が脱出を開始した時に宗祇が呼び寄せていた、ダイモス戦線の者たちだろう。
一度に二発の弾丸しか機銃を装填出来ない作業船で、連合とジャバ一味双方から攻撃を受けているディベルバイスに接近する事は危険が大きかった。下手をすれば、失われるのは自分の命だけではない。
着艦して船内にハープを届ける為、何とか船尾の方に回り込んだ時、ダークはぞっとした。展望デッキの辺りで、カラヴァッジョのマザー・グースが絶え間ない射撃を船体に浴びせ続けている。ビームマシンガンの死角なので、貼り付かれると船内からは成す術がない。
中に居る彼らを、殺させる訳には行かない。トレイたちにはハープを託さねばならないのだし、アンジュは自分にとって……特別な存在だ。
(守るべき存在など、増やすべきではなかったのか)
一瞬、そのような考えが過ぎった。自分は今、それ故に愚行に出ようとしているのだと思った。
ダークは作業船を加速させると、カラヴァッジョが認識して対処してくる隙を与えず、マザー・グースの横腹に船体を激突させた。
『何っ!?』
彼の声が聞こえ、機体が大きく傾く。通信機を彼らと繋ぎ、ダークは語り掛けた。
「下衆どもが、貴様らにこの船を壊させはしない」
『兄貴に何しやがる!』
ボンゴリアンの機体が、こちらに向かって狙撃してくる。ダークは作業船を下降軌道に乗せ、ディベルバイスの下に潜り込んだ。……注意は引き付けたが、こちらにもハープが居る。今撃沈される訳には行かない。
ダークは船の正面まで出ると、スペルプリマー用のカタパルトデッキまで上がり、アタッチメントのアームで格納庫内へのシャッターを開いた。デッキには、エルガストルムとの戦闘で開けられた大きな穴がある。この船も、大分損傷が激しくなってきた。以前と同じような強度だとは、解釈しない方がいいかもしれない。
格納庫の中に入ってしまえば、船内の居住区画に出られる。そこへハープを運び込んだら、自分は──。
『何処に行きやがる、ダーク!』
カラヴァッジョ、ボンゴリアンがそれぞれ操縦するマザー・グースが、カタパルトデッキへと浮上してきた。マズい、と思い、ダークは半開きのシャッターの隙間から強引に船体を捻じ込んだ。格納庫内へ入るのとほぼ同時に、飛来した弾丸が船の外壁を貫いてくる。
ダークは作業船を停止させると、ハープを抱えて座席の横にある扉を蹴り開けた。身を投げ出し、床を転がるように四号機の足元へ退避すると、ほんの数秒後、作業船は轟音と共に爆散した。火の粉や金属片が次々に四散し、こちらにも襲い掛かってくる。ダークは、自分の体を盾にして妹を庇った。
自分たちが煙で見えなくなったからだろう、二機のマザー・グースは格納庫内に掃射を行ってくる。つい、口の中で舌打ちが弾けた。これでは、船の中へ入る事が出来ない。
(やはり俺は、罰を受けねばならないのか)
自分一人の罰であれば、甘んじて受けよう。生徒たちからの糾弾も、私刑も、追放も、サバイユたちが望むのであれば殺されたとしても構わない。だが、それは今ではない。今自分が死ねば、ハープは救われない。
ダークはちらりと視線を上げ、身を隠している四号機を見上げた。
モデュラスへ進化する為の遺伝子、SBEC因子。宗祇の言う通り、モデュラスによる爪や歯の使用が、種族を増やす為他人に因子を移植する為の行動であるのだとしたら。渡海祐二によって一度傷口に噛みつかれている自分は、既にスペルプリマーを動かす素質を得ている事になる。
その時、「登録」という言葉が脳裏に過ぎり、ダークは息を止めた。
モデュラスが人類の進化形態であり、それを作り出す装置がスペルプリマーなのであれば、一機につき一人しか乗り込めない訳がない。「登録」は専属パイロットの生体情報を記録するのではなく、新たなモデュラスとして認識される事。という事は、以前ニルバナで一号機に乗った者が、「異常」としてシステムに殺されたのは。
(蜂の毒と同じだ。身体に影響を及ぼすのは、二度目から。そして体内に、最初のSBEC因子を持たない人間は、異常と見做される。……俺はまだ、奴らのように理性を失った経験はない。モデュラスではなく、そうなるべき存在……)
ダークはもう一度デッキの方を窺い、ハープをくるんだ上着の袖を伸ばした。彼女を背負い、袖を自分の胸の下で結び、落ちないようにする。そして戦闘機たちの射撃が止んだ刹那、縄梯子を掴んで機体へ駆け上がった。
コックピットに到達した瞬間、自分たちの姿は煙の中から現れた。入口のカラヴァッジョたちが再び射撃を開始し、足元が浚われそうになる。ダークは、転げ落ちるようにコックピットの中に入り込んだ。
裸のハープに上着を着せ、袖を通して前を閉めると、座席の横に寄り掛からせた。戦闘中の震動はこれで軽減されるだろう、と判断し、自分は座席に座って起動キーを回す。直後、タブレット端末のような、小さな液晶画面を持つ装置が足元から上がってきて、『Super Primer : HAMARR』という文字列が表示された。
『警告:スペルプリマーと同化した者は、精神構造を回復する事は出来ません。登録は慎重に行って下さい』
浮かび上がったダイアログボックスに表示されている、『OK』のボタンを一切の躊躇なく押し込む。
精神構造が回復不能になる。渡海たちは既に、この言葉の意味を理解しているのだろう。五年前、全ての始まりとなった”人鬼”の襲来。自分も、あれと同じ存在になるのかもしれない。だが、恐れはなかった。
「ハープ……俺の中に流れているSBEC因子は、お前の子供が生きていた証だ。何も、恐れる事はないのだろう?」
声に出し、彼女に語り掛ける。傍らに眠る彼女の方を見ようとした時、頭部に座席の後ろから接近してきたヘルメットが嵌め込まれ、顔を固定した。肩甲骨の辺りに金属の筒が打ち込まれ、激痛に思わず歯が軋む。頭の中に大量の情報が流れ込む感覚があり、またそれがあるべき場所に落ち着いていくようなすっきりとした思考の安定も感じられた。
漆黒だった機体の接合部が、エメラルドグリーンの光を放った。視界に入っている全てが、一つ一つの物体としてはっきり見える。元々六・〇ある視力が、更に強くなったという訳ではない。注意力、情報収集能力が底上げされた、とでも言うべきだろうか。
操縦方法は、自然に頭に入っていた。足を一歩進めると、空気が動いて煙が払われる。こちらの全貌が露わになり、カラヴァッジョとボンゴリアンは警戒したように機体を後退させた。
半開きのシャッターが、意思を持ち、こちらが出ようとしている事を悟ったかのように上へと開いていく。ダークは武器の表示を確認し、機体の後部に取り付けられているそれを両腕で取った。巨大な鉄槌。
「……アンジュ・バロネス。俺だ、ダークだ」
通信機を操作し、ブリッジに居るアンジュに語り掛ける。突然スペルプリマー四号機が起動した事に驚いたのか、彼女は暫し黙っていたが、やがて『ダーク君?』と戸惑いがちな声が返ってきた。
『無事で良かったわ。妹さんは無事だったの? いえ、それよりこの状況は……というか、どうしてスペルプリマーに?』
彼女に負担を掛けすぎたな、と思う。アンジュは言いたい事が無数にあるようで、何から言葉にしていいのか分からないようだった。ダークは、彼女の言いたい事は分かっていた。
「大丈夫だ、心配するな」
あらゆる意味を込め、そう答えた。
「状況も把握している。話は後だ、今は可及的速やかに、ジャバたちを除かねばならない。……ダーク・エコーズ、四号機、出る」
言うや否や、ダークはジェットエンジンを噴かせた。武器の鉄槌を振り上げ、まずボンゴリアンのマザー・グース目掛けて叩き付ける。赤黒い光が放射状に広がり、マザー・グースはこちらの瞬発的な速度に着いて来られなかったらしい、たちまち圧し潰され、デッキの上で爆散した。
『ボンゴリアン! 貴様、よくも……』
カラヴァッジョは機体をこちらに前進させてくる。ダークが迎撃しようとした時、彼の戦闘機はひらりと旋回して上空に高く昇って行った。フェイントだ、と思った瞬間、マザー・グースが前傾し、その腹からミサイルが出現する。対戦艦用爆撃、この位置取りではブリッジを潰されかねない。
「そうはさせない」
低く囁き、ダークは垂直に上昇する。タイミングを同じくして、カラヴァッジョのミサイルが発射された。大きさからして、エレクトロン・ゲル弾頭による爆撃かもしれない。
ダークは槌を機体の腰部付近に構えて力を溜め、ミサイルがこちらに接近するのを待つ。そして擦れ違いざま、空間を赤黒く歪ませながら思い切りそれを振るった。空中で閃光が大きく広がったが、それは拡散した重力の赤黒さに呑み込まれ、ダークが四号機で脇を抜ける頃には消滅していた。
『ダーク・エコーズ!』
「もう、奪わせてなるものか……!」
乱射を開始するカラヴァッジョの機体だったが、ダークにも攻撃ははっきりと見えた。一弾一弾を確実に回避し、敵機に接近する事が出来る。正面まで近づいた時、中で彼が唖然とする顔が見えるような気がした。
重力を操作して威力を溜めつつ、マザー・グースの下部からアッパーカットをするように機体を叩き上げる。カラヴァッジョは一瞬のうちに、爆炎と無数の鉄片と化して散った。
『ダーク君、あのね……ダイモス戦線が、ディベルバイスを捕獲しようとしているみたいなの』アンジュは、怯えを噛み殺したような声で言ってきた。『彼らを攻撃したら、皆はもうここで助かる事は出来なくなる。だけど、私たちはこのまま脱出しなかったら……』
『こんな事になるくらいならアンジュ、どうしてダークなんかに協力する事にしたんだよ!?』
サバイユの怒鳴り声が聞こえた。アンジュは、既に精神的に追い詰められていたのだろう、ひっと声を出し、無線機を握り締めたのであろう、軋むような音が回線を伝わってきた。
『分からないわよ……だって私は……』
アンジュは言葉を切り、少々躊躇ったように口を噤んでから叫んだ。
『私は、ダーク君の事、好きになっちゃったの! なってしまったものは仕方がないの、どうしようもないの! たとえそれが……私の守るべき皆にとって、望まないようなものだったとしても……』
「………!」
ダークは、雷に打たれたような気分になった。何という、分かりやすい言葉なのだろう。だが、それが今自分たちが不条理な行動を取っている──アンジュが自身の保身を後回しにしてもダークに従い、ダークが危険を承知でアンジュたちを救い、自分ではない彼女らにハープを託そうとしている──理由なのだとしたら、これ程簡単な事はない。
「……心配には及ばない」
ダークは、笑みを悟られないように顔に力を込め、応じた。
「あの隕石を止めれば、ダイモス戦線を討つ必要もなくなる。そうだろう?」
『ダーク君……』
『それでお前の裏切りが、清算される訳じゃねえぞ』
サバイユが恫喝するように言ってくる。ダークは「分かっている」と答えた。
「だが今は、俺に従って貰う。それ以外に貴様らが生き延びる道は、なくなった」
言い、飛翔する。ジャバ一味には、事前に起動可能なスペルプリマーは一機のみだと伝えていた為、彼らはこちらの戦力を見くびっていたらしい。二号機が大気圏を離脱した後、彼らは物量を武器に、ディベルバイスに果敢に挑みかかってきているようだった。
ならば、彼らはこちらを見くびったな、とダークは胸中で呟いた。
(相手が何百だろうが、羽虫が群れたところで獣は殺せない)
タブレットに『アクティブゾーンに突入しました』という表示が現れる。ダークは向かって来るジャブジャブの群れを睨み据えると、重力場を展開しつつ更に飛び上がた。槌を断続的に振るい、それらを次々に叩き落とす。
突如、上空のナーサリー・ライムが赤く輝き始めた。遂に大気圏に突入してきたらしい、自分たちが突入した時とは比べ物にならない程、空は世の滅ぶ兆しの如く紅蓮の炎に塗り潰されていく。
その炎から逃れるように降下してきたダイモス戦線は、行く手を塞ぐジャ・バオ・ア・クゥに向かって射撃を開始した。下方で異常を察知したらしく、ジャブジャブたちが上昇する。行く手が塞がれ、ついダークは舌を鳴らす。
「邪魔をするな……!」
低く叫び、空中へ槌を振るう。円形の波紋の如き衝撃波が空中に判を押し、それに機体を取られた敵が一斉に爆散していく。だが、ジャ・バオ・ア・クゥへ向かう敵を敢えて止めはしなかった。今は、不必要な相手を深追いしている暇はない。
四号機の曳く緑色の光芒が、真紅に呑み込まれ始めた。外装で遮断しきれなかった熱が、コックピットの中を徐々に蒸し風呂の如く加熱していく。操縦桿を握る手が、段々と痛みを覚えてきた。特に感覚が鋭敏化している今、その熱はあたかも棘を掴んでいるような錯覚を起こさせる程暴力的なものだった。
だが、ここで止まる訳には行かなかった。
メインモニターの画面が小惑星で覆い尽くされるまで接近すると、ダークは再び重力操作を行う。機体前面に重力バリアを展開し、そこに槌を思い切りぶつける。重力は拡散し、隕石の一角が大きく抉られる。まだそれは一パーセントにもならないが、せめてスペルプリマーの重力フィールドで押し返せるまでになれば、と思った。
自分の意図を察知したのだろう、アンジュが声を上げた。
『ダーク君、隕石を落とさないって……』
「これ以外に何の方法がある?」
ダークは応答し、再び槌を叩き付ける。下手な力の込め方をしてしまったのか、今度は震動が先程よりも大きく機体に返ってきた。コックピット内の空気がびりびりと震え、座席に寄り掛からせていたハープの体が床に倒れ込む。もう一度、と思った時、横で大光量が発生した。
反射的に見ると、ジャ・バオ・ア・クゥが重レーザー砲を放ち、船体前方に群がっていたダイモス戦線の戦闘機群を殲滅していた。ディベルバイスのように周囲の空間から粒子を集めるものではなく、あらかじめ積載されたエナジーから出力を捻出するものだが、それはガイス・グラ級の実力に恥じぬ威力だった。
民間の私設部隊など比較にならない規模のダイモス戦線だが、四方からジャ・バオ・ア・クゥを攻撃していたので、単純計算で二十五パーセントがこれで殲滅されてしまった事になる。よく見ると、重レーザー砲に巻き込まれた機体の中には後方からダイモス戦線を攻撃していたジャブジャブやマザー・グースも居り、ダークは眉を潜めた。最初に本気で潰し合っていた以上、宇宙連合軍とジャバ一味は癒着している訳ではないのだろう。宗祇とジャバは個人的に繋がっており、部下たちは騙されて戦いに動員されているのだ。
ジャバはその上で、宗祇をも裏切った。自分以外の人間全てを、殺し尽くしても構わないと考えているのかもしれない。まさに彼は、火星圏の悪しき因習と環境が生み出した邪悪の根源だ。
普段より感情の昂ぶりが激しくなっている事を、ダークは自覚していた。復讐心とはまた違う、皮膚を突き破ろうとするような熱い怒りが湧き上がる。その怒りをそのまま槌に乗せ、三度振るおうとした時、突然ヘルメットが頭を絞めつけたような激痛が頭を襲った。
「ううっ……!」
重力出力を上げすぎたか、とすぐに悟った。宗祇は重力の正体こそ思念だと言っていたが、モデュラスがスペルプリマーで重力操作を行う電池だという話は確かに間違いではない。モデュラスの処理能力を超えた脳の使用を、自分は自身に強要していたらしい。
『ダーク君!』
アンジュは悲痛な声を上げ、回線の向こうで指示を出していた。
『ディベルバイスを隕石に近づけて! 外壁の重力制御装置を作動させて、ホライゾンやエルガストルムみたいに重力フィールドを展開するの!』
『違うだろ、多分! あれはそんなに単純なものじゃなさそうだった!』
サバイユが叫び返している。
『他の船に出来たなら、ディベルバイスだって出来るはずよ!』
『展開してどうするの!?』ケイトも、ヒステリックに返す。
『ディベルバイスで、ナーサリー・ライムを押すのよ!』
『無茶言わないでよ!』
『火星を守り切ったって、ダーク君が死んじゃったら意味がないわ!』
駄目だ、と言おうとした。見た限り、ジャバ一味の機体はジャ・バオ・ア・クゥの防衛に回っているが、ダイモス戦線の一部はディベルバイスに向かっている。彼らはアンジュたちを過激派だと思い込んでいるので、容赦はしないだろう。
「アンジュ、こっちに来るな……!」
何とか、それだけを叫べた。そうしている間にも、隕石は止まらずに四号機にぶつかってくる。押されてなるものか、と思いながら重力バリアを展開し続けるが、隕石は核パルス推進装置まで使っているのだ。火星の重力が地球の三分の一である事など、何の意味も持たない。
もう一度、もう一度、と念を送りながら槌をぶつける。だが、人体の限界は気力で引き延ばせるものではなかった。手から次第に力が抜け、体が座席から滑り落ちた。ヘルメットと肩のコネクタも外れる。
(ハープ……すまない)
床に崩れ落ちる一瞬、彼女が薄く目を開いたように見えた。
(お前の苦しみは、俺なんかの比にならないものだっただろうに……俺は、この程度にすら、耐えられなかった……)
意識が断絶する直前、タブレットに『Modulas Error』という文字が浮かび上がってているのが微かに見えた。