表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
141/210

『破天のディベルバイス』第15話 夜明けの少年②

 ②ダーク・エコーズ


「ジョーカーだろう、君は? いや、驚いた……まさか、あれから五年間でここまで大きくなっているとは思わなかった。確かにあの頃の君は発育急進期だったが、火星でストリートチルドレンが成人まで生き残れる確率など……」

 宗祇は声色こそ変えなかったものの、ダークの知っている彼よりもずっと饒舌だった。もしかするとこちらこそが本当の彼で、露骨に表さないながらも少なからず動揺しているのかもしれない、と思う。

「……ダークだ」

 声を抑え、そう訂正した。宗祇はぴくりと眉を上げる。

「俺を、ジョーカーと呼ぶな。今の俺はダーク・エコーズだ」

「ダーク……闇、無戸籍児か。五年間、雌伏の時をずっと裏社会で過ごしてきたという事か? 今日この日の為に」

 見上げた執念だな、と彼は言った。

 実際に、長い時間だった。ダークはそう考えながら、問いを放つ。

「ハープは……妹は今、この中に居るのか?」

「サイス・スペードか」

 そのような名前ではない、と胸中で呟いた。自分の名が本当は、ダークでもジョーカーでもないように。妹に与えられたサイスという名は、自分たち兄妹の服従の証であり、搾取に甘んじる無力な子供である象徴だった。


          *   *   *


 火星の中で最大の宇宙連合軍基地があり、貧窮した火星圏では最大の都市である、ニロケラス卓状台地の開発地区。辺境のエチュス谷に生を受けた兄妹が、仕事を求めて最後に辿り着いた場所がそこだった。

 妹のハープは心優しい少女だった。彼女は、兄である自分が食い扶持を稼ぐ為に便利屋のような仕事を請け負い、暴力によってそれを遂げる事を憂えていた。火星は綺麗事が通用しない世界だ、彼女もそれを分かっていた為、兄の行為を仕方がないとは思っていたはずだ。それでも尚彼女の心を痛ませたのは、これ程困窮した環境に生まれてさえいなければ初等教育を受けている歳に過ぎなかった自分が、暴力の応酬により傷ついていく事だった。

 傷つかなければ生きていけないというなら、兄だけにそれを負わせない。

 彼女はそう宣言し、基地周辺の一帯を裏で支配していたマフィアに接触、街娼として働かせてくれる事を頼み込んだ。当時、ハープは十二歳という年齢だったが、その年齢の割に外見が成熟していた事も手伝ったのだろう。

 ダークは、妹が裏の男たちに穢される事は耐えられないような気がした。だが、それまで自分がしてきた事も、同じくらい妹を傷つけているのだと思うと、彼女の覚悟を否定出来なかった。それ以前に、基地周辺に居た闇の者たちは都市部という事もあってか、財力も腕っ節も、子供のダークよりも格段に上だった為、自分の便利屋稼業が成り立たなくなっていた。日々の食い扶持を稼ぐには、出来る事全てをするしかなかったのだ。

「ドルマ、お前は屑野郎だな。妹に、こんな辱めを強いているのか」

 便利屋稼業で面識のある男が、客として元締めの元を訪れた事があった。ダークがジョーカーとして、ハープがサイスとして客の相手をしている事が知られると、その男は面白がってハープを指名し、凌辱の限りを尽くした。

 ドルマというのは便利屋時代のダークの名前だが、行為が終わった後で、男は自分に先のような台詞を吐いてきた。その時ダークは怒りに燃え、相手を殺す一歩手前まで殴りつけた。自分からハープを犯しておいて、そのような身勝手な台詞を吐いてくる事が許せなかった。そしてその時拳に乗せた怒りは、その通りの現実を否定出来ない、妹に身を売らせねばならない兄である自分への怒りでもあった。

 ダークはこの件で男が騒ぎ立てた為、元締めから追放されそうになった。ハープはその時「兄と引き離されるなら自分は舌を噛み切って死ぬ」とまで言ったが、元締めは受け入れなかった。男は「責任を取らなければ事を(おおやけ)にする」と言い、元締めは客の些細な訴えから、自分の犯罪が芋蔓式に明るみに出る事を恐れたのだ。その気になれば相手を殺して事実を隠蔽する事も出来たのだろうが、それをすれば裏社会の幾つもの組織で殺し屋が動き、復讐が復讐を生み、自分を含む関係者全てに計り知れない損害をもたらす、という事は、闇の世界の常識だった。

 金銭による賠償、という形でこの一件に収拾を付けたのは宗祇だった。彼は佐官という辺境の基地内ではそれなりに高い階級で、後に知った事だが、安全保障理事会議長シャドミコフの個人的なアドバイザーでもあった為、軍人というより政治家としての性格が強い人間だった。火星圏の治安維持を円滑化する為、裏社会と関係を持つ為に元締めから娼婦を買うなど、功利主義な面があった。

 その為ダークとは面識のあった宗祇だったが、彼は闇の組織抗争を避ける為ダークを助けた。便利屋の男も、宇宙連合軍から目を付けられる訳には行かないと思ったのか、賠償金を受け取るや否やあっさりと手を引き、自分やハープを訪れる事はなくなった。

 無論、ダークは彼が自分たちを助けた事の裏にある理由を悟っていた。だから決して、その後も彼に心を許そうとは思わなかった。だがハープは、その一件以来彼を恩人のように見るようになった。決して自分たちを思っての事ではなかったのかもしれないが、助けてくれた事に変わりはないし、裏社会の利己的な連中とは違う、とも考えていたようだった。

 ハープが”人鬼”の襲来に遭った時、助けに入ったのも宗祇だった。

 それは、天災の如く突然現れた。人の姿をしていながら、理性を失ったように獣の声を上げ、牙を剝き出していた。ダークは、実際にそれが現れた時は偶然にもその場を離れていた為、後からトレイたちに話を聴いて得た情報しか持っていないが、現れた瞬間は誰にも見えなかったそうだ。浮浪者の住処の如き簡易的な掘っ立て小屋で、下着も着けずに眠っていたハープの苦しげな声が聞こえてきてトレイたちが駆け付けると、”人鬼”は既にそこに居て、ハープを襲っていた。

 ダークがそこに向かうと、”人鬼”は自分に飛び掛かろうとしてきた。その時自分が感じたのは、長い間押し殺されてきたはずの「恐怖」だった。

 相手が猛獣だったのなら、そうは思わなかっただろう。正体が分かっている相手ならば、何ともないのだ。思いがけない存在が何の前触れもなく現れ、その正体が幾ら考えても自分の常識で計り知れないものだった時、本能を封じ込める事は誰にも叶わない。

 ダークが身構えた時、宗祇が路地に飛び込んできて”人鬼”にスタンガンを押し当てた。彼はたまたまその時、組織が所有する建物の中で別の少女を抱き終えて帰る途中だったと言った。

 彼はニロケラス基地の部下に連絡し、昏倒した”人鬼”を研究所に運ぶように、と命じた。謎は残ったが、それで事件は幕を引いたように思われた。本当に引いていれば、ダークも宗祇の事を「恩人」と思い、ジョーカーのまま、ダークという名とすら無縁に生きる事になっていただろう。

 一週間と数日後、ハープの体調に変化が現れた。職業柄、気を付けていても事故は起こり得ると考えた元締めが検査を行わせると、数日後、彼女の胎内に新たな生命が萌している事が発覚した。時期的に考えて、それは”人鬼”によるものと見て間違いなかった。

 彼女は十三歳で、当然それは堕ろすという選択肢しか存在しなかった。ハープ自身も当然のようにそれは認めたのだが、準備が進められている間に話が広がり、宗祇の耳にも入る事となった。

 そして間もなく、宗祇が部下たちを率いて組織の縄張りに踏み込んできた。彼はハープを連れ去ると宣言し、突然の事に戸惑うダークに真実を告げた。

 ハープを襲った”人鬼”は、連合軍によって作り出された、人の子でありながら人間ではない種族である。普段は人間と変わらないのだが、突然発作的に凶暴化し、先日基地から脱走した。そして、基地に近いこの場所を通り掛かった時に全裸で眠っているハープを発見し、世界に一体しか存在しない種の保存本能に従って、理性を喪失したまま襲い掛かったのだ──。

 宗祇が助けに入ったのは、偶然ではなかった。事件が発生した時刻、街中で活動していた彼の元に、”人鬼”の脱走は基地から無線で伝わって来た。彼はそれで状況に応じ、周辺を探し回っている時に騒ぎを耳にし、割り込んだのだという。

 そしてハープの腹の中に宿っている生命は新人類となり得るもので、徹底的に調査を行わねばならない、と彼は言った。更に、”人鬼”の遺伝子を取り込んだハープ自身にも、何らかの変化が現れるかもしれない、自分たちは将来の人類の希望の為に、この研究を行わねばならないのだ、とも。

 混乱したままのダークは、本職の軍人たちに抵抗する(すべ)を持たなかった。元締めもまた、ダーク程詳しい事情は聴かなかったようだが、宇宙連合軍に目を付けられる事を恐れ、またハープの堕胎という厄介事を回避したいし、少女の一人が居なくなったところで稼ぎは変わらない、という損得勘定もあり、宗祇たちに彼女を引き渡す事を約束してしまった。

 ダークは時間が経ち、自分たちを引き裂いた事件の真実を理解するに連れ、復讐心が黒く煮え滾った油のように自身の内側を満たしていくのを感じた。当時は自分の拳一つが頼りで、組織というものに立ち向かう力がなかった。だから、自分も組織という力を得て、いつか事件の元凶である駐在軍に戦いを挑むのだ、と誓った。宗祇たちが生み出したという”人鬼”を殺し、囚われたハープを助け出す。火星圏の革命、などというのは、自分に協力する者たちを集める為、そして裏社会を動かす為の方便だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ