『破天のディベルバイス』第14話 世界の裏側⑨
⑦美咲恵留
「こっちよ、急いで!」
先を走っていくシオン先輩が、ちらりと振り返って叫んでくる。生徒たちの荒い息が四方から耳に届き、恵留は自分の息の音も見失いそうだった。
「こっちって、何処が安全かも分からないじゃないですか!」
和幸が、皆の気持ちを代弁するように叫び返す。
半信半疑ながらも、ディベルバイスから降ろされた自分たちがダークたちの言う通り、軍警察に今までの事を説明しに行こうとすると、突然街路灯に備え付けられたスピーカーからユニット中に警報が鳴り響いた。その内容は、ダイモスを破壊した過激派の特殊部隊がヒュース・アグリオスに入り込んだ、外出中の人はすぐに最寄りの建物の中に避難するように、という内容だった。
クラフトポートを出たばかりの恵留たちがぽかんとしていると、駐在軍に所属する兵士たちが周囲から集まって来た。先輩方はその場で事情を説明したのだが、信じられない事に、彼らはブリークス大佐が隠蔽したディベルバイスの真実を全て把握していた。そして、「フリュム計画」の総意として恵留たちは抹殺されねばならない、という事を口に出した。
逃げながら、恵留は混乱した。今まで戦ってきた連合軍は、ブリークス大佐の情報操作で本当にこちらが過激派だと信じている様子だった。このユニットに駐在している部隊が、全てブリークスの直属だとは思えない。上層部の誰かがフリュム計画という組織の関係者で、その部下であるこのユニットの駐在部隊にのみ情報が行き渡っているのかもしれない。
そうしている中で、次の異変は発生した。突然、ユニットの一角に穴が開いたらしく、空気の流出が始まったのだ。街中が混沌を極める中、何処からともなく裏社会の人間と思しき者たちが、続々と姿を現し始めた。
「そうか……そういう事だったんだな」
テン先輩が何かの結論に至ったらしく、恵留たちに説明してきた。
「ずっと前、ポリタンたちが言っていたんだ。ダークギルドは、裏社会の大物であるジャバ・ウォーカーって奴と繋がりがあったらしい。ここにはその根城があるんだ、ダークはそこに攻撃を仕掛けたんだよ」
「ユニットに直接? そんな事したら……」
そうこうしている間に、総出で自分たちを追っていた駐在軍の動きが変わった。戦闘機を持ち出し、風穴から侵入してきたマフィアの私兵たちを潰し始め、街はかつてディベルバイスが訪れたユニットのように地獄絵図と化した。
街に被害が出ないように、という配慮はまるで感じられず、それで誰もが察せざるを得なかった。この街のマフィアは駐在軍がわざと見逃していたのであり、彼らはその事実を漏らさない為に証拠隠滅を図っているのだ、と。同時に、街全てを破壊してしまえばディベルバイスに乗っていた恵留たちを手っ取り早く殲滅する事も出来、一石二鳥とでも思われたに違いない。
「何としてでも、神稲君たちと連絡を試みなきゃ。とにかくここに居たら、あたしたち確実に殺されちゃう。今は、ここから脱出してクラフトポートに……」
ラボニ先輩がそう言った。
「ダイモス戦線に、ここの駐在軍の汚職を伝えるのは?」
「望みが薄くなった。ユニット駐在軍全員がフリュム船の事を知っているんだとしたら、ここを完全に支配下に置いているその人間は、上層部の中でもかなり権限が強い人だと思う。他のユニットの駐在部隊も、自分の味方にしているかも」
「でも……祐二君や千花菜ちゃんは渡海軍曹の身内ですよ? 戦友だったら、彼らが秘密を口外しないって言えば……」
恵留は、焦りのあまり強い口調になってしまう。そこには、恵留自身がまだ希望があると信じたい、根拠のない願望に近いものが少なからず含まれていた。自覚している事だったが、それでも先輩たちは厳しかった。
「極秘プロジェクトに、善意で成り立つようなシステムはない。軍って、そういう場所よ。それに……渡海君たちが生きている保証も、ないじゃない」
ラボニ先輩が言い、恵留はガラス質と化した心に錐を打ち込まれたような気持ちになった。ガンマと通信が途絶してから、必死に目を逸らそう、思考から排除しようと思っていた可能性が、まだどうしようもなくそこにある事を突き付けられるようだった。
「アンジュ先輩は、本当に裏切ったんですか?」
万葉が、独白のように零した。
「先輩が人質に取られているから、あたしたちは船を追い出されて、こうして危険に晒されているんですよね? 最初からアンジュ先輩がダークとぐるだったなら、人数的にあたしたち、ダークを制圧出来た。こんな、汚職軍人たちの都合で一方的に殺されそうになんて、ならなくて良かった」
「万葉ちゃん」
クララが、彼女を諫めるように声を上げた。だが、彼女は次々に襲い掛かってくる現実を受け入れるキャパシティが、既に限界に近づいているようだった。
「アンジュ先輩、何であたしたち生徒を撃ったんですか? ダークはどうして、彼女に拳銃を渡すような事をしたんですか? 信じられない……彼女、いつも偉そうな事ばっかり言って、結局ダークの女になったの? それじゃ、このユニットに居る連中と何も変わらないじゃない!」
万葉に釣られるように、生徒たちの間にざわざわという波が生まれる。皆、ブリッジでのアンジュ先輩の行動を思い出し、彼女に対する不信感が強まっているようだった。だがその時、
「私たちの友達を、悪く言わないで!」
シオン先輩が、鋭く一喝した。
「私たちだって、アンジュが裏切ったなんて思いたくない。いいえ、ダークだって、私たちが死んでも構わないなんて、最初から思ってこんな事をした訳じゃないって信じたい。……ダークは、ホライゾンとの戦いで私たちを助けてくれた。アンジュとだって、信頼が生まれたみたいだった。だからこそ、今起こっている事全部を早合点して動いちゃ駄目なの!」
「でも」ショーンが口を挟む。「あいつらが最初に反乱を起こした時、あいつらに従おうって真っ先に言ったのはあんたたちユーゲントじゃねえか。こうなった原因が、少しはあんたたちにもあるだろ。ならさ、無条件にあの先輩を信じろ、疑いを口に出すなっていうのも、無理があるんじゃねえの?」
「アンジュさんの心境がどうだったとしても」
ずっと黙っていたウェーバーが、そこでいつもの冷徹な口調で言った。
「あの時ああしていれば、こうしていれば、という思考は、この状況に於いて何の生産性もありません。これからの事を考える為にも、まず我々は神稲さんたちに合流する必要がある。その為にクラフトポートへ向かう。その事実に、何の変化があるでしょうか?」
「………」
生徒たちが押し黙る。
恵留は、もうユーゲントが皆からの信頼を回復する事は、不可能だろうと思った。恵留自身が今彼らに抱いている気持ちすら、言い表せないのだ。状況が変わらないと分かっていても、もし千花菜と祐二が命を落としてしまったのなら、という考えが抜けない。そして、もしもユーゲントが三ヶ月前、ダークギルドに船の采配を委ねなかったら、とも考えてしまう自分を、否定する事が出来ない。
けれど、今は彼らに従うしかない、それ以外に自分たちが生き延びる道はない、とも思った。これを自分たちにとって最後の戦いにする為にも、今は仲間同士で対立している場合ではない。
「……行こうよ」
恵留は万葉の手をそっと握り、口を開いた。
「ここに居たら危ないって事は、確かに変わってないでしょ」
「恵留ちゃん……」万葉は、涙を溜めた目で自分を見つめてくる。「恵留ちゃんは、千花菜ちゃんたちの事、何とも思わないの? もしかしたら、死んじゃってるかもしれないんだよ?」
「あたしは、まだ二人が生きているって思う。確実にじゃないけど、生きているって可能性を見失ったりはしない」
普段の自分に比べたら、毅然とした声を出せたのではないか、と思った。曲がりなりにも舵取り組に入っている、しかも生徒たちの中の一人である自分がそう言った事で、他の皆も徐々に表情を引き締めた。彼らが行く手を見据えるのを確認し、ラボニ先輩がほっと安堵の息を吐く。
「ありがとう、美咲ちゃん」
一同が再び前進を始めると、彼女は恵留のすぐ傍まで来て小さく囁いてきた。
恵留はこくりと肯き、行く手を真っ直ぐに見つめた。