『破天のディベルバイス』第14話 世界の裏側⑤
⑤トレイ・ハート
ダークギルドの究極目的、裏社会の構造破壊による火星圏の革命が、今まさに幕を開けた。刻々と移り変わっていく状況からトレイはそれを悟ったが、脳裏に疑問は渦巻き続けていた。
何故、このタイミングでと思った。確かに火星圏への旅が始まり、すぐにダークギルドが指揮権をユーゲントから奪ったのは、この革命が目標にあったからだ。火星圏に辿り着いたらディベルバイスを奪い、ジャバ一味に戦いを挑む予定だった。だが、それはあくまで、ディベルバイスに元々乗っていた者たちの安全を確保してからだと思っていた。最初は彼らと慣れ合うつもりはなく、ディベルバイスも宇宙連合軍が隠しているらしい秘密兵器、強奪対象という認識しかなかった。だが、生徒たちと少しは心を通わせられたのでは、と思っていた。
ダークたちは生徒を逃がし、軍警察に保護を求め、自分たちを悪役として扱っても構わない、と彼らに言った。だが、ダークが彼らの命を顧みていない事は、その後トレイたちに明かされたプランからして容易に推測出来た。ダークは、このヒュース・アグリオスを戦場にするつもりなのだから。
自分たちにここで計画を発動する事を明かさず、挙句ボーンの足を撃った事で、ギルド内から彼に対する反発は起こった。だが、最終的には誰もが、生徒たちに対して起こった生温い情よりも、元々の計画を優先した。彼らは、自分も含め、ダークの行動に不信感を抱きつつも従おうと決めたのだ。
「ねえ、ダーク」
ジャバ一味の根城に向かう途中、ケイトは何度かダークに話し掛けようとしていたが、ダークは何も答えなかった。彼は今サバイユ、ケイト、トレイだけを引き連れており、他のメンバーはディベルバイスで待機させられている。
「シックルはどうなったの? ニーズヘグを本艦から切り離す必要は何処にあったの? あんなに、ケーゼは戦いに使うものだって言っていたじゃない。それなのにどうして、伊織たちをあの船に置いてきたの? まさか、シックルを彼らごと見捨てた訳じゃ……」
ダークは足を止め、ケイトを振り返ってじろりと睨視する。彼女はびくりとしたように肩を竦め、身を縮めながらトレイの腕を掴んできた。
「ダーク、どうして……?」
ダークギルドに加入したのはサバイユより後だが、トレイとケイトはダークと、単純な付き合いで言えばメンバーの誰よりも古い間柄だった。
トレイ・ハートとは「ハートの三」、ケイト・クラブは「クラブの四」を表す名前だ。二人とも、同じようにトランプの名前を付けられた無数の少女たちと共に、街娼をやらせられていた時の源氏名だった。ダークの妹、サイス・スペードは仕事仲間の一人で、ダークは当時「ジョーカー」と名乗り、客引きを担当していた。だが客引きをする少年たちの一人に過ぎない彼がその名で呼ばれる事はなく、「トランプにババは二枚必要ない」という事から、一帯を取り仕切っていた元締めからは「スペア」と呼ばれていた。
最低な生活だった。トレイ、ケイトの母親は生活が困窮している中で授かった子供が双子と知ると、何度も流産させようと試み、結局二人が生まれてしまうと自ら命を絶った。と、一応父親である男から言われた。自分たちを殺そうともしたようだが、その男が止めたらしい。生まれた時から比較的整った顔立ちをしていたので、金を稼がせられると踏んだらしかった。
その男は裏社会での賭博にのめり込み、闇金から大量の借金をしていた。トレイたちが少し成長すると、臓器を売られ、最終的には体ごとその元締めに売り払われた。男はその後、別件の喧嘩で呆気なく殺された。だが、父親が死んでも尚、闇金は容赦しなかった。トレイたちの居場所を突き止め、彼の残した借金返済の義務を、まだ十歳になるかならないかの自分たちに負わせた。
給金の殆どは闇金に巻き上げられてしまう為、二人で一日中働かねばならなかった。一週間近く裸のまま過ごした事もある。都市化している地域だったので、客は引っ切りなしに現れたが、それをあの連中は「良かったな」などと嘲笑ってきた。客の中には、近くにあった宇宙連合軍の基地からやって来る護星機士も居て、犯罪を取り締まる司法も兼ねているはずの彼らが裏社会の違法営業に見て見ぬ振りをしている事について、トレイは内臓が腐りそうな不快感を覚えた。
とある事件の後、ジョーカーと名乗り、スペアと呼ばれていたダークは元締めの元から雲隠れした。その場所に来る以前も、妹と共に裏の仕事をあれこれ引き受けていたらしく、戻って来る時には喧嘩で服従させたサバイユを連れていた。彼らは義賊を名乗り、元締めやその近辺に居た者を皆殺しにして、トレイやケイト、囚われていた少女たちを解放した。
だが、少女たちはダークを逆に糾弾した。自分たちは職を失う事になった、この先は更に辺境の地域、劣悪な環境で、同じように身売りをするかもしれない、と。サイスと仲が良かった自分たちは、ダークを不憫に思い、次の頼み事をした。自分たちから搾取を行っていた闇金と、その大本であるマフィアを潰して欲しい、と。
この作戦に協力した事で、トレイ、ケイトは改めて「義賊」としてのダークの仲間となった。彼の事もいつしかジョーカーではなく、彼が現在名乗っているダークと呼ぶようになっていた。
闇金と、それを派遣していた巨悪は倒したが、相手はその都市で最も力を持っていた組織だった。その為、残党や傘下の小規模な組合が命を狙ってくるようになり、自分たちは火星本体からリージョン九系列のコラボユニットへ逃げる事にした。ダークの「革命」という言葉はこの時から既に聞かれ始め、ジャバ一味との関係が始まったのもこの直後だった。
実に、五年の付き合いであり、五年間ダークと自分たちが共有し、実現に向けて動いてきた事柄だった。何故彼が今、いざ計画を実行に移す段階になって、トレイたちに事前説明もせず、仲間たちまでも半ば脅迫するような形で従わせているのだろう、という疑問は、沈黙で解消される程軽くはない。
トレイは、ダークを〝見極める〟つもりだった。自分たちに今まで伝えてきた「革命」の概要について、嘘が含まれているのなら、何処までが真実であり、何処からが嘘なのか。
誰が何と言おうと、トレイにとってダークは恩人だ。サバイユやヤーコンにとっても尊敬すべき人間であるはずだ。そこだけは、幾ら彼本人からであっても、否定されたくなかった。
* * *
ヒュース・アグリオス内の街路に屹立するスピーカーから警音が鳴り響き始めたのは、トレイたちがジャバ一味の根城に辿り着いたまさにその時だった。あれからずっと右腕に縋りついたままのケイトが体を強張らせ、サバイユはファイティングポーズを取って今まで歩いて来た道を振り返る。ダークは、そこでやっと口を開き、「落ち着け」と言った。
「追われているのは、俺たちではない」
「えっ? じゃあ、誰だよ?」サバイユが、間の抜けたような声を出す。
「構うな。俺たちは成すべき事を成す前に、これ以上余計なものにかかずらってはならない。……呼ぶぞ」
ダークはサバイユの問いを黙殺し、インターホンを押した。一見すると雑居ビルの一室のように見えるが、ここはまだ巨大な根城の入口に過ぎない。
数秒後、『入れ』と声が返ってきた。こちらからは見えない位置に監視カメラがあり、自分たちの行動は常に中に居る彼らから見張られているのだ。七面倒臭い認証がないのはいい事かもしれないが、一方的な監視と思うと、やはり些か気持ちが悪い事は否めない。
ダークが扉を押し開けると、いつの間に現れたのか、上裸の上にYシャツを羽織った、リーゼントの男が立っていた。ジャバ・ウォーカーの側近ボンゴリアン、普段は根城に直接繋がる限定回線の電話番をしているが、トレイたちが久々に姿を現した事で直接出迎えに来たらしい。
「で、何処にあるんだよ? そのディベルバイスとかいう船は?」
ダークは移動が始まってから、既にジャバ一味にはディベルバイスの事を話してある、と言った。先月、夜間のブリッジ担当を交替している間、重力操作によって電波が完全に遮断されている訳ではないニーズヘグに降り、ニルバナからこっそりと持って来ていた携帯電話で何度か連絡を取っていたらしい。
彼は、目的がジャバ一味を皮切りに裏社会の実力者たちを葬り去る事に在る、という事を隠し、あくまで「連合軍の新型宇宙船を手に入れたので取り引きをしたい」と相手に持ち掛けたようだ。長い間地球圏へ出向き、突然そのような事を言えば警戒されないはずはない。かなり強硬姿勢で交渉を持ち掛け、呑ませたらしいが、こちらも彼らの行動に気を配らなくては。
「……ユニットの外だ」ダークは、声を低めたまま言った。「但し、本当に強力なもの故、取り引きは慎重に行わねばならない。もしも、その存在を秘密にする為に俺たちが交渉成立後、殺されるような事があっては堪らないからな」
「もし話が嘘でも、お前らは生きては帰れねえ」
ボンゴリアンは、ギラリと獰猛に目を光らせた。
「それならば大丈夫だ。俺たちが弱小な組織である事は承知している、貴様らとの交渉に於いて信頼は不可欠だ。今までそれを、自ら投げ捨てようとした事はない。当然だが、嘘を吐いた事も」
「そりゃ、そうだな。でなきゃ今頃お前ら、擬岩に詰められて宇宙の藻屑になってるところだぜ。……じゃ、着いて来な」
電話番の男は言うと、廃ビルのエレベーターにトレイたちを誘った。