『破天のディベルバイス』第14話 世界の裏側②
②渡海祐二
十月二十一日、午後十一時二十五分。僕と千花菜は、赤茶けた火星の地、都市化もされていないニロケラス卓状台地を歩いていた。
エルガストルムがダイモスに小惑星破壊を行ったらしく、僕たちは第一衛星フォボスの軌道に入る直前、衝撃により作業船ガンマのコントロールを失った。搭載していたヒッグスビブロメーターも破損したらしく、ディベルバイスとの通信も途絶。このまま完全にシステムダウンすれば、僕たちは成す術もなく宙域を漂うか、これもまた過激派に占拠されたフォボスとランデブーして敵に襲われるかのどちらかしかない、という状況に陥った。
判断を下したのは千花菜で、コントロールが効く間に船を着陸させよう、と提案してきた。アマゾン及びその他のユニットに行き、入港許可を求める時間はないので、バリュートを展開して火星の大気圏に突入、宇宙連合軍の駐在部隊が居る基地に降りよう、という事になった。ニロケラスに最大の基地がある事は知っていたので、過激派に襲われていない事を祈りつつ降下を行った。
幸い、ガンマは大気圏突入の間持ち堪えてくれた。そして、着陸と同時に限界を迎え、システムが完全に沈黙したのだった。
「ダイモス戦線とフォボス戦線は、ニロケラス基地駐在軍の中から編成されたんだよね? なら、基地からダイモス戦線の事を説明すれば、ここで保護して貰える可能性もあるんじゃないかな」
千花菜はそう言ったが、僕は不安だった。
「火星圏駐在軍を統括するのが、ここの基地なんだろう? ブリークス大佐の息が掛かった者も沢山居るんじゃないかな。いきなりディベルバイスの事を話したら、受け入れる振りをして僕たちを足止めして、船に討伐部隊を向かわせたりする事も考えられると思うけど……」
「だからまずは、私たちが嘉郎さんの身内である事だけを明かすの。嘉郎さんが……生きている間、私たちは護星機士を目指していなかった。私たちがリバブルエリアの養成所から来た事は、言わなきゃ絶対にバレないよ。アマゾンに居る彼の同僚に用事があって、シャトルで来たけど途中で事故に遭った、とか何とか言えば。そしたら、ユニットまで船を出して貰えるかもしれない」
火星から出る方法がない以上、千花菜が言う以外の手段は存在しなかった。全てが上手く行くとは思えなかったが、ディベルバイスから離れている僕たちがいきなり攻撃される事もないだろう、と考え、僕たちは基地を目指した。
地理については多少学んでいたが、ニロケラス卓状台地は基地を境に、開発されているか否かがはっきりと分かれている。開発区域は透明なドームに覆われ、街並みも整備されているのだが、基地を挟んで反対側は砂漠のようで、大気すら整えられていない。街に降りる事は出来ないし、基地の近くに墜落するような形で着陸すれば騒ぎを起こしてしまうので僕たちはその非整備の土地に降りたが、そこからの移動はかなり厳しかった。
「千花菜、疲れてない?」
最初は僕の前を歩いていた彼女だったが、その位置はいつの間にか入れ替わっていた。考えれば僕たちは、昼食も夕食も抜き、神経を張り詰めさせたまま、ダイモスの崩壊から逃れる為に命懸けでガンマを操縦してきたのだ。そこから、グリニッジ標準時で深夜になるまで歩き続けてきた。火星の重力は、地球や、それに環境を合わせたコラボユニットの三分の一で、同じ距離をそれらの中で歩くよりはずっと負担は軽いはずだが、如何せん疲労はリカバリー出来ない。
「その……もし眠かったり、足が痛かったりしたら、僕が背負ってあげるよ? 僕は筋力も骨密度も、同年代の男子の中で平均以下って言われたけど……ここは火星だから、そこまで負担には」
「それでも、さすがに悪いよ。私は大丈夫だから、気にしないで」
千花菜は、ヘルメットの中から無理に微笑み掛けてくる。だけど、と尚も言いかけると、彼女ははっきり首を振った。
「酸素の問題もあるでしょ? 私を背負ったら、肺も筋肉も今より使う事になる。今の酸素ボンベには、基地まで行くのに少し多めって程度だし、眠ったところで消費量はそこまで変わらないし……それに、祐二だって本当は私と同じくらい疲れているんでしょ? スペルプリマーに乗っていた副作用の分……」
強がっていたが、やはり前々からなので隠す事は出来ないようだった。僕は何も言えず、頭を少々俯ける。彼女の前ではどうも、頼りない本来の僕が現れてしまうな、と思う。
千花菜は「ただ……」と控えめに付け加えてきた。
「手、握っていてもいい?」
それだけで、僕が少しは彼女の役に立てるのなら、拒むはずがなかった。
僕と千花菜は、分厚い宇宙服の手を繋ぎ合わせ、軽く地面を蹴るようにしながら砂地を前進して行った。
やがて、ニロケラス基地から僕たちの接近する様子が観測されたらしい。
光の点滅によるモールス信号で、僕たちの姿を確認した、という旨のメッセージが届き、数分後、全地形対応のバギーに乗った宇宙連合軍の兵士二人がこちらに手を振りながら現れた。
* * *
基地内に招き入れられ、替えの服──といっても連合軍の軍服だったが──とインスタントのスープを貰うと、担当者がやって来るまでの間に、千花菜は僕に凭れ掛かるようにして寝息を立て始めた。相当疲れていたのだろうな、と思い、僕はそっと彼女の頭を撫でた。
やって来た中年の担当者は、宗祇隼大と名乗った。軍内の階級は少佐で、ダイモス戦線の副指揮官を任されていたという。現在は作戦会議の為、このニロケラス基地に呼び戻されていたらしい。
僕は、それなら話が早く通じるかもしれないと思い、千花菜がこう話そうと言っていた通りに、ディベルバイスから来た事を隠しつつアマゾンへ行きたい旨を宗祇少佐に説明した。彼は最初、僕が渡海嘉郎の弟だと言った時には半信半疑という様子だったが、そのプロフィールを詳しく語り、千花菜の父親もまたボストーク詰めの護星機士だったという事を話すと、信用したようだった。
「私は部下たちの家族構成をいちいち把握している訳ではないけど、渡海軍曹の事ならよく覚えているよ。少年兵ながら、昇進も早かったしね」
宗祇少佐は、懐かしがるように目を細めた。
「ダイモスが過激派に制圧された時、彼は大佐や私と共に、兵たちの退却が終わるまでその場に留まり続けるつもりのようだった。部隊が生存者を残せたのも、彼の働きのお陰だったと言っていい。……惜しい人を亡くした」
「その兄は、よく僕や千花菜の事を部隊で同期だった護星機士に話していたらしいんです。僕たちが顔を見せれば、部隊の皆さんにも通じると思います。どうか、アマゾンまで送り届けて頂く事は出来ないでしょうか?」
僕は意図的に、軍隊口調を排して問い掛ける。千花菜が「祐二……」と何やら寝言を言いながら体側を摺り寄せてくるので、僕が少々困惑していると、宗祇少佐は申し訳なさそうに眉を落とした。
「緊急の用事なのかい? 今、リージョン九全域で駐在軍は慌ただしくてね。私自身も信じられない事なんだが……ダイモスが崩壊したんだ」
「………」
僕は、ごくりと唾液を嚥下した。
情報が早い。近くに人工衛星でも浮かんでいたのだろうか。それなら、戦域にディベルバイスが居た事も知られてしまっているかもしれない。言葉を発せずにいると、少佐は不意に尋ねてきた。
「君たちはシャトルで来たと言っていたね? ダイモス崩壊が報告されてからシャトルの運転は見合わせられているけど、もしかして君たちの便が最後だったのかな。それで、事故にあったのかい?」
「あ、ええ……まあ」
二つの衛星がラトリア・ルミレースに占拠されている以上、火星圏のユニット群へ向かうシャトルのコースは、それらの裏側になるはずだ。巻き込まれる程近くを通る事はまずないのでは、と思われるが、多少不自然でも相手が言い出した事なので、話の都合上否定出来ない。曖昧に肯くと、少佐は「そうか」と言った。
「実際、酷い事になったらしいんだ。地球で言えば、月がいきなり粉砕されたようなものだからね、幸い火星に岩とかは落ちてこなかったけど、ユニット九・一や九・五なんかは外壁に穴が開く被害も出ているらしい。一部ユニットでは一時的な休戦が行われ、復旧作業が行われているんだよ。火星の駐在軍もあちこちでそれに動員されているから、色々と配置が厳しくてさ。私も、ここでの用は終わったのに未だにアマゾンに戻れないんだよ」
「残っている船とか、まだあるはずですよね?」
ユニットに被害まで出ている、という言葉を聞き、僕は気持ちが急いて早口になってしまう。それ程広大な範囲を巻き込む崩壊に最も近くで立ち会い、ディベルバイスは大丈夫だったのだろうか。
「軌道の安全が確保されない限り、出せないよ。今アルゴノート級も含め、戦艦が多数出撃している。具体的に過激派が何をしたのか、どうして小惑星が丸々崩壊するような事になったのか、ちゃんと調べないと危ない。ややもすれば、第一衛星フォボスの方も同じように潰されるかもしれないしね」
連合軍の艦隊が、ディベルバイスの方へ向かっている──。
どうしよう、と思った。もし彼らが鉢合わせてしまっても、僕たちがダイモス戦線に事情を話して納得して貰えれば戦闘は回避出来る。だが、その為にはアマゾンに行かねばならないし、軌道の安全が確保されるまで待つという事は、戦犯指名手配されているディベルバイスが捕縛されるまで何もしないという事だ。
何とか、ここから船で脱出する事を考えねば。僕はそう思い、ここはこれ以上食い下がらない方がいいな、と判断して、
「そうですか……」
と返した。
「状況の確認が終われば、私もアマゾンに行く。その時君たちを一緒に送り届けようと思うのだが、どうかな?」
「構いませんよ。……すみません、突然乗り込んできて」
「気にする事はないよ。報告が来るまで、ここで休むといい。部屋は幾つか空いている場所があるから、これから案内しよう」
「本当に、ありがとうございます」
僕が頭を下げると、宗祇少佐は穏やかな笑みを浮かべた。
* * *
僕と千花菜が案内されたのは、仮眠用の個室が側面の壁に二つ付いた細長い部屋だった。壁には明らかにネームプレートと思しき板が掛かっており、火星駐在軍でこの基地から何処かのユニットに派遣された誰かが使っていた部屋を一時的に空けたもの、としか思えなかったが、そもそも民間人の振りをした僕たちが基地に泊めて貰える事自体が特例なので、僕は感謝を述べた。
千花菜は宗祇少佐と僕が話している間、ずっと眠っており、台地を歩いている時に言った通り僕が背負って運ばねばならなかった。片方の部屋に彼女を運び込んで寝台に横たえ、毛布を掛けると、僕はもう片方の部屋に移動した。
これからどうしようか、と考えた。
火星を出発した艦隊は、半日も経たないうちにダイモスのあった場所に到達するだろう。作業用の小型宇宙船ガンマで半日、という距離なのだ。そうなれば、彼らはディベルバイスとエルガストルムの激戦の様子を見る事になるのだろうか。混乱は起こるに違いないが、ディベルバイスが指名手配中の船だと分かれば、軍はエルガストルムに状況説明を求めるよりも先にこちらを攻撃しようとするだろう。
ここからアマゾンまでであれば、フォボスやダイモスに行くよりも近くて済む。性能の良い単独操縦用の船を──SD系列の作業船でもいいので──探す事を当面の目標とすべきだろうが、基地の内部構造がどうなっているのかも分からない。千花菜と相談する必要があるな、と僕は思う。
宗祇少佐は話の通じそうな相手なので、彼に僕たちの本当の事を言う、という事も一応考えた。だが、彼がそれで動くには、ここに居る軍の上層部にその旨を伝えねばならない。そうなると、ブリークス大佐の計画に引き入れられている者に知られ、何かしらの形で先手を打たれる可能性もある。ここはどうにか、僕たちだけで兄の同僚たちを訪ねねば。
少佐が去って行ったのを確認し、千花菜を起こすべく部屋から出ようとして、僕はすぐにふと考え直した。
(疲れたよな、千花菜も……やっと気持ちを落ち着けられたんだ、今起こすのはさすがに可哀想だ。僕も疲れているし……眠い状態じゃ、船の操縦なんて出来ない。事故る危険性だってある)
三十分程度なら、仮眠を取っても問題ないだろう。いや、むしろ取らねば、これからの活動に支障を来してしまう。
僕は軍服の上を脱ぎ、寝台の上に身を伏せると、枕元にあるデジタル時計を確認する。日付が変わって、グリニッジ標準時で午前一時二分。まだ大丈夫だ、と思い、目を閉じた。