『破天のディベルバイス』第2話 ディベルバイスの鼓動③
④ダーク・エコーズ
「うわっ、派手にやってんなあ……」
窓から双眼鏡を使い、サバイユ・フランソワが呟いた。
ちらりとリーヴァンデインの方を向き、ダークは鼻を鳴らす。地球から宇宙に向かって生えているその塔の最上層、宇宙ステーション・ビードルはゆっくりと切り離され、宇宙船としての役割を取り戻し始めていた。それが方向を転換し、艦首の重レーザー砲を放つと、月の方まで伸びたその光芒の周囲で爆発が起こった。
ここからでは、重レーザー砲の光が細い糸のように見えるだけだ。だが、それでダークには、向こうで何が起こっているのか分かった。
自分たちダークギルドの乗艦、裏社会から入手した宇宙連合軍の攻撃空母、SF – 5 ドラゴニアは、月地球間往還軌道で立ち往生を余儀なくされていた。
ラトリア・ルミレースの地球への接近は予想よりかなり早く、ビードルの辺りは激戦区になっていた。その上あの様子を見る限り、宇宙連合軍上層部でクーデターが起こったらしい、先程月の空域に連合軍旗艦ハンニバルが入ったのが見えたが、あの分ではブリークスはそれをも撃沈させてしまっただろう。
ビードルを失い、リーヴァンデインは倒れ始めている。リバブルエリアは、どうやら見捨てられたらしい。
「……どうする、ダーク? 俺たちの目標はあの戦場の中だ。ブリークスの野郎が何を企んでいるのかは知らんが、何か予想以上にヤバそうな事になってきたぜ」
ラトリア・ルミレースが追っているという噂の、宇宙連合の超大型宇宙船。その存在は、今朝の遊弋でリーヴァンデインを降下する巨大な船影を見た事によりほぼ証明された。
宇宙連合はそれを過激派から隠そうとしているのかと思ったが、数時間前にガイス・グラがビードルに停泊し、今こうしてリーヴァンデインが意図的に倒壊させられた事により、事態は訳が分からなくなった。
(居もしない宇宙人などを信仰するカルト宗教集団に、得体の知れぬものを提供するのは論外だ。となると、やはり交渉の相手は連合とするべきか……サウロがブリークスに置き換わったところで、問題はない)
恐らくあの船を入手し、闇に売り渡せば必要な額は一発で集まる。だが取り引き相手を選ばないあの強欲なジャバは、間違いなくラトリア・ルミレースにそれを高値で流すだろう。こちらが過激派と取り引きをするなと条件を付けても、彼らとの取り引きに於いて契約書は紙切れ同然だ。
だから、もしも闇を相手にする場合、この取り引きは最後になるはずだった。交渉が済んだら、ジャバ一味を抹殺するつもりだった。だが、万が一の時に彼らを利用出来なくなるのはやはり良くない。安全の為の布石は、幾ら打っても打ちすぎという事はない。
(後にリスクになるが確実に取り引き出来るのが闇、闇との繋がりは残せるが交渉に応じない可能性があるのが連合……船の価値をよく分かっているのは連合だ。闇との取り引きの場合は徹底的にあれの情報を集める必要があったが……)
「……ブリークスが往還軌道から離脱し次第、俺たちはリーヴァンデインへ向かう」
ダークは長考の末、そう宣言した。
八人のメンバーの気配が、一気に硬度を増す。
「どさくさに紛れて、なんて甘い考え……じゃねえだろうな?」
サバイユが確認してくる。ダークは、じろりと彼を睨んだ。
「ブリークスがあの船を葬ったつもりなら、持ち出すだけで脅しが掛けられる。奴らがリバブルエリアの訓練生やユーゲントを顧みなかった以上、彼ら人質にしての交渉は出来ないだろうが、何か彼らが船を欲しがる目的があるのだとすれば……船そのものを交渉材料に出来る」
「ラトリア・ルミレースに、あれを引き渡すと?」
「ブラフだがな。その為には、まず安全の面で俺たちが優位に立つ事、力がある事を示す必要がある。……じきにここには、ラトリア・ルミレースの後方部隊と、それを追う宇宙連合軍が同時に現れる。それらを撃滅する」
ダークは言うと、銃を抜いてくるりと回した。
「いずれ、戦わねばならない相手だった。ここで俺に異を唱える者には、これで俺を殺して貰う。それで、”革命”が成し遂げられると思うのならば」
撃滅、という言葉を口にした瞬間、メンバーたちに険しい空気が発生したのを、ダークは見逃さなかった。
一応、このドラゴニアも小さいが戦艦ではある。今までは宇宙海賊のような仕事しかしてこなかったが、その気になればケーゼやバーデと渡り合う事も出来る。それが出来るか否かは、彼らの意思次第だ。
彼らには、ここで戦って貰わねばならない。
「……俺は、お前がその気なら着いて行くよ」
ヤーコン・モスが答えた。
「俺たちは選ばれた集団だ。腐った宇宙で同じように腐るはずだった俺は、お前に拾われた。逃げ続ける革命なんて、革命じゃねえよな」
「義賊でしょ、あたしたち?」トレイ・ハートも、ヤーコンに続ける。「丁度良かった、もうただの盗賊の真似事はうんざりだったのよ」
「ダーク、後悔させないでくれよな」
サバイユは絞り出すように言うと、表情を引き締めて行く手を見据えた。
ダークは口の端を歪めて笑い、目を細めて、サバイユに倣って倒れゆくリーヴァンデインを睨む。六・〇という超人的な視力を以てしても見えない、彼方の敵に銃を向け、撃つ真似をするように銃口を傾けた。
⑤カエラ・ルキフェル
──十年間進歩し続けろっていうのも、まあ無理な話よね。
靄の掛かる世界の中、変わったばかりのトレーナーが独白のように呟くのを聴き、カエラの頭は真っ白になった。
何故、何故ここに彼女が。嫌だ、逃げたい、逃げたい──。
「うわあっ!?」
悲鳴を上げて飛び起きると、白い光が目を射た。咄嗟に目を閉じ、ぐっと眼球に力を込めてから再度開く。シルエットのように見えていた人の姿が、そこではっきりと逆光を浴びて血色を持った。
「あっ……君、大丈夫?」
躊躇いがちな声。影の主は、Yシャツ姿の少年だった。
答え方もど忘れし、こくこくと微かに肯く。彼は安堵したようだった。
「千花菜! カエラさん、目覚めたみたいだ」
「ここは……何処? 私、ステージで倒れたの……?」
言うと、彼は「無理するな」と言うように、カエラの両肩を押さえて仰向けに戻そうとする。まだ頭がふらふらするようだったので、大人しく従った。
「養成所の処置室だよ。皆体育館に居るけど、床の上じゃ何だから」
そうか、と気付く。ここはリバブルエリア、護星機士養成所だ。ステージに立つ事は、二年前にやめたのだった。
最近悪夢の頻度は減ってきたはずなのに、何故あのような夢を見たのか。
気を失う直前の記憶が戻るに連れ、カエラは心当たりがある事を思い出す。歌だ。ヴィペラの雲が垂れ込め、映画館から出られなくなって、助けを呼ぶ為に当時自分の代表曲だったソロ曲を歌ったのだ。声を張り上げる事は苦手な自分だけれど、歌声は不思議と遠くまで響く、と言われていたから。
出来れば二度と歌いたくはなかったけれど、背に腹は代えられなかった。歌い始めてすぐにトラウマが刺激され、過呼吸になったが、腹に力を込めてその吸気を旋律とし、紡ぎ続けた。そして、パイロットスーツを着た人影が助けに来て、そこで安堵と共に酸欠を起こし、卒倒した──。
「祐二! カエラ……さんは」
今度は少女の声がし、カーテンの陰から訓練生の女子が姿を現す。
カエラは処置室の、カーテンで囲まれたベッドの上に寝かされているようだった。
「何とか大丈夫みたいだ。バイタルも安定している」
「良かったー。でも、恵留が気付いて良かったね。休館日の映画館なんて、普通人が居るとは思わないでしょ」
先程千花菜、と呼ばれていた少女は、白湯の入ったカップを口に近づけてくる。口を湿らせ、ほっと息を吐き出した。
「ありがとう、あなたたちが助けてくれたのね」
「びっくりしたよ、まさかカエラさんが同級生だったなんて。入学式の時、呼名あったよね? 何で私たち、気付かなかったんだろう……」
「この学校には、偽名で登録しているから。ミシェル・ルーシ、本当はこの名前で活動する予定だったんだけど、本名のカエラの方が良いって言われて」
気付いてくれたんだ、とほっとした。
自分をカエラだと推測している人も居るようだが、そういった人たちも口に出そうとはしない。名前を変えれば分からなくなる程に、終期の私は存在感が薄くなっていたのか、と思っていたが、一概にそうとも言えないようだ。
安心すると同時に、そうやって安心する自分にも自己嫌悪を抱いた。過去の自分を消したいと思いながら、心の底で消失を恐れているもう一人の自分が居る。
「私、綾文千花菜。彼は渡海祐二で、あなたを見つけた子が美咲恵留。あと一人、神稲伊織って男子が居るよ。今、何か状況に進展がないか体育館に聞きに行ってる。あなたの事は……ミシェルさんって呼んだ方がいいのかな?」
千花菜に言われ、カエラは首を振った。
「カエラでいいよ。ミシェルは、やっぱり自分の名前じゃないもの」
「じゃあ、カエラさん」
「さん、は付けなくていい。他人行儀っぽいでしょ」
「……カエラ」
「そうそう」
いつの間にか、居心地悪そうにもじもじしていた祐二は端の方に下がっていた。
「カエラは、何で映画館なんかに居たの? 入れないでしょ、鍵掛かってて」
「休日にあそこの管理人さんをする田辺教官、私の担任なの。面倒見がいいでしょ、それでクラスに馴染めていない私に話し掛けてくれて、映画館には自由に入っていいよって言って裏口の暗証番号を教えてくれたの。私がカエラだって事を伝えて、偽名で登録する許可くれたのも彼女」
アイドルの体重とかスリーサイズとか、幾ら必要でも大々的に芸名の下に載せたくないでしょ、と教官は笑って言った。今日は職員全員で会議があるから映画館は休館だけれど、カエラは彼女の言葉に甘えたのだ。
会議……そうだ。ラトリア・ルミレースが地球に接近した事について、現時点での対策を話し合う為の協議。その結論も出ないまま、天蓋が破壊された。
「ねえ、教官たちは?」
思い出して尋ねると、千花菜、祐二は揃って沈痛な面持ちになった。
「……全員、死亡。リーヴァンデインも倒れた」
「そうなんだ……」
カエラは、きゅっと胸が絞られるような気がした。田辺はいい人だった。だが、もう記憶の存在になってしまった。
「私、昨日連絡を受け取ったの。月面、オルドリンがラトリア・ルミレースに制圧されて、民間人が大勢死んだって。私の両親も……それで、結局私、護星機士になる前に何も出来なかったなって思って、気持ちを整理しようと思ったの。昔出演した映画を見に行って」
「それは……ご愁傷様だったね」
二人の空気が、どんよりと重くなる。カエラは、何と言い訳しようかと言葉を探した。正直なところ、カエラは同情して貰う程落ち込んではいない。だが、打ち明けて良いものかどうかまだ分からない。
下手な事は言わない方が良かったか、と後悔したが、休館の映画館に居た事について咄嗟に嘘は思いつかなかった。
その時、がらりと部屋の入口が開く音がした。「伊織」と、初めて聞く少女の声がする。彼女が美咲恵留だろうか。
「祐二、カエラ・ルキフェルは気が付いたか?」
「ああ、今千花菜と僕で話をしている」
「そうか」
ごそごそと音がし、カーテンがさっと開かれた。祐二より背が高く、浅く日焼けした少年が姿を現す。
「話は後だ、体育館に集合が掛けられている」
「集合?」
「ユーゲントが着いたらしい。アンジュ先輩たち、無事だったみたいだぞ」