『破天のディベルバイス』第13話 せめて君と一緒に⑨
⑦渡海祐二
火星の第二衛星ダイモス。ディベルバイスがそこへの降下コースに入ると、僕と千花菜は作業船ガンマに乗り込み、ニーズヘグのブリッジと通信を繋いだ。
『ヴォルテール基地を占拠した過激派は、一個大隊を周囲に展開しているわ。戦艦はなし、主な戦力は戦闘機と、地対空戦に特化した16式戦車部隊。高度を上げると、これに対空砲火を受ける可能性がある』
アンジュ先輩は、状況を説明していく。
『逆に地表すれすれを進んでも戦闘機から爆撃されるだろうし、何より目標のユニット、アマゾンに到達するまで夜になってしまう。そこで、まずはディベルバイスごと敵陣に接近、向こうが攻撃を仕掛けてきたタイミングで、カエラちゃんの二号機とあなたたちのガンマを同時に射出するわ。護衛は二号機がやってくれるから、あなたたちはとにかく、ダイモスの軌道より内側へ抜ける事だけを考えて』
アイ・コピー、と即座に答える事は、僕には出来なかった。思わず面喰らい、疑問を口に出す。
「カエラだけに護衛を任せるのですか? 伊織たちのスペルプリマー登録は……」
『先程索敵を行った際、エルガストルムの挙動がおかしな事に気付いた』
答えたのは、アンジュ先輩ではなくダークだった。
『この分では恐らく、敵船が今日のうちにダイモスに到達する事はないと判断出来るが、奴はこちらを追跡する事をやめ、ダイモスの公転軌道と平行に巡航を始めた。小惑星を一度に砕き、熱化させる重力場の展開可能範囲、出力から考え、距離が離れているからといって油断する事は出来ない。よって、スペルプリマーの残機は機動対応に備え、本作戦への投入を見送る事に決定した』
「待って、いきなりすぎないか?」
僕は、話し合いでは告げられなかったダークの言葉に戸惑う。
「そりゃ、エルガストルムがこのまま何もしてこないとは思えない。だけど、僕たちがダイモス戦線を味方に引き入れられたとして、戻って来られるのは多分明日になるんだよ。カエラ一人に主力を任せるのは、ちょっとあんまりじゃないかな?」
『ありがとう、祐二君。心配してくれるんだね』
二号機のコックピットでスタンバっているカエラが、通信に入ってきた。
『でも、大丈夫。祐二君が昏睡している時なんて、私ケーゼが次々墜とされる中、一人で敵のスペルプリマー二機とも戦ったんだよ。それにさ、バイアクヘーと戦った時の敵の数は二千でしょ。スペルプリマー二機で、二千を相手にしたって考えるなら、一人で五百なんて問題にならないって』
「そうかなあ……」
ダイモス戦線は、その五百に押されて退却せざるを得なかったのだ。部隊は壊滅に追い込まれ、そして僕の兄さんは殺された。そもそも、展開している相手が五百というだけであって、更に戦力が居る可能性も否定出来ない。
それでも僕が悩んでいると、カエラは『時間なくなるよ』と言ってきた。
『大丈夫だって。発進してからは、私が祐二君と千花菜を全力で送り出すから。それで帰って来たら……また、あれしてあげるから』
千花菜も聞いている中で何を言うのだ、と僕は思ったが、その千花菜から追及されるのを避けるべく、大人しく「アイ・コピー」と答えた。
『……では、そろそろ前進するぞ。ディベルバイスブリッジ、舵取り組に告げる。敵陣、ヴォルテール基地に向けて微速前進。ようそろ』
ダークが指示を出すのを聴きながら、僕は隣に座る千花菜をちらりと見た。
彼女は、何処か切なそうな顔をして、彼方の闇に浮かぶ火星を見つめていた。今、彼女はこの星で命を散らせた僕の兄、最愛の男性の事を思い浮かべているのだろう、と思った。
僕と千花菜は友達同士。彼女にはまだ想いを断ち切れない人が居て、僕はカエラと恋人になった。理性ではそう分かっているからこそ、僕が彼女に感じている罪悪感の正体は、未だに分からないままだった。
* * *
作業船で戦場を突っ切るのは、なかなかに胆力を試される事だった。考えてみれば僕と伊織は、この旅が始まったあの日、リバブルエリアに侵入してきた過激派のバーデ数機と作業船オルト・ベータで交戦したはずだ。だが、スペルプリマーという最強の機動兵器を使用するのが当たり前になった今では、それがないという状況はどれ程心細いものか知れなかった。
幸い、カエラとケーゼ隊の伊織たち四人の働きにより、僕たちのガンマは被弾する事なく戦場を抜ける事が出来た。このまま上昇し、水平飛行に切り替えれば、リージョン九へ突入する事はそう難しくない。さすがに連合軍も、ただの作業船が現在戦犯指名手配されている船から出てきたものだとは判断しないだろう。
「祐二」
戦場を離れ、暫らく経過した頃、千花菜が唐突に口を開いた。
「ごめんね、ダイモス戦線に助けを求めようって言ったの、私だったから……」
「何で、今更?」
振り返ってみればこの火星への旅は、まだニルバナに居た頃、千花菜が先輩たちに進言したものだった。ダイモス戦線にかつて所属していた軍人が僕の兄だったという事を告げ、自分たちであれば顔が通るかもしれない、と言ったのだ。
言い出した時、彼女は非常に言いづらそうにそれを先輩たちに伝えた。スペルプリマーに搭乗している時には殆ど現れなくなったが、僕は本当に最近まで、兄の死がトラウマとなり、末端器官の痙攣などPTSDのような症状に悩まされていた。僕はその事を思い出し、首を振った。
「千花菜が気にする事じゃないよ。ディベルバイスが生き残る方法として、これはいちばん可能性の高い方法だった。……むしろ、僕は千花菜の方が心配だ。君だってまだ、その……兄さんの事、整理が付いた訳じゃないだろ?」
「………」
千花菜は何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じ、迷っているかのように唇を微かに震わせた。やがて、僕の方に真っ直ぐ視線を向けて尋ねてきた。
「祐二、はっきり言わなくても、分かっていたんだよね? 私と、嘉郎さんの事……私、祐二が聞いてこないのをいい事にして、ずっと何も言わなかった。気付かない振りというか、それが当然だって顔で嘉郎さんと接していた。祐二、その事はどう思っているの?」
「どうって?」僕は聞き返す。
「頼って欲しい、守りたいって私に言ってくれる事に、他意はないの? 私が、幼馴染の、友達の、女の子だからっていうだけ? ……私の勘違いだったら、自惚れもいいとこだって笑われるかもしれないけど……」
今度は、僕が黙り込む番だった。
僕は今まで、自分は彼女に恋をしているのだと思っていた。彼女を守りたいという気持ちが、好きという事なのだと信じて疑わなかった。だが、それは恋とは別の感情なのだ、とカエラに指摘され、そうなのかと思った。
だが千花菜は、僕が彼女に向けた気持ちを知った時、恋だと解釈したのだろうか。そうだとしたら、それは決して彼女の自惚れではない。彼女が戸惑い、僕の兄に対する想いを断ち切れない事からわざと気付かない振りをしていたのなら、それは仕方のない事だ。
「……僕は一応、気付いていたよ。兄さんが千花菜を好きで、君も兄さんの事が好きなんだろうな、って。だけど兄さんが死んで、僕が君の事、守りたいって思うようになったのは、別に兄さんの代わりになりたかった訳じゃない。僕も、僕として千花菜を大事に思っていたからだ。……それが、恋っていうんだと思ってた」
長い沈黙の後で、何とか正直な気持ちを口に出す事が出来た。千花菜は少し黙り込んだ後、「今は?」と尚も尋ねてくる。
「今は……違うって思ったの?」
「よく、分かっていなかったんだ。気を悪くしたならごめん、だけど僕は」
「カエラに、そう言われた?」
僕は、驚いて彼女を見つめ返す。彼女は、少々笑みを浮かべながら続けた。
「ごめん、祐二。万葉がね、祐二とカエラについて勘繰っていたの。祐二が、カエラの事を好きなんじゃないかって。……いえ、もうとっくに、恋人同士なんじゃないのかって。一緒の部屋から出てくるところを見たって言うんだけど、それは本当の事なの?」
僕を貫いた衝撃は、先程の何倍も大きかった。何と言おうか、と、咄嗟に頭が回転しなくなる。今の千花菜には、どう言うべきなのだろう。本当の事を言ったら、傷付けてしまうだろうか。彼女は、僕を見損なうだろうか。
だがそう考えた時、先程千花菜が告げた事は、彼女自身が僕に対し、「申し訳なく思っていた事」なのだと気が付いた。伊織も、僕の生死が危うくなった時、千花菜がずっと僕に関する事で自分を責めていた、と言っていた。
今は、長い間面と向かって話す機会が取れなかった僕たちが久々に、昔のように腹を割って話せる時なのかもしれない。そう思い、僕は包み隠さず打ち明けようと思った。
「……本当だよ。僕とカエラは、今付き合っている」
「そうなんだ……」
千花菜は、息交じりの声で相槌を打つ。そこから、彼女の感情を読み取る事は出来なかった。
「隠しているようで、ごめん。だけど──言い訳するようで悪いけど、僕は君が、兄さんを忘れられないからカエラに靡いたんではない。幼馴染の友達として、千花菜の事を大切だ、守りたい、という気持ちは変わっていないよ。だけどそれは、カエラに抱いたものとはまた別なんだって、気付いただけだ」
「悪い事じゃ、ないと思うよ」
千花菜は言う。
「逆に、すっきりした。お互いに心理戦みたいな事するの、気持ち悪いもん。私、万葉に言われた時、もし今まで祐二が私の事、好きな人として見ていたんだったらどうしようって思った。誰かに責められたとしても、心だけはどうしようもないじゃない」
「僕たちは……友達、だよね。昔も今も、それは変わらないよね」
「勿論。だけど……ちょっとだけ、カエラの事が羨ましくはあるな」
彼女がぽつりと零したので、結論は出たばかりだというのに、僕はついドキリとしてその顔をまじまじと見つめてしまう。
千花菜は、やや寂しそうな顔で理由を言った。
「カエラの好きな人は、まだ生きているんだもん。先の見えないこの旅の中で、好きな人が、傍に居てくれる人なんだもん」
──ごめんね、千花菜。
僕は、心の中で小さく謝る。
兄の死を、僕は千花菜と同じくらい悼む事が出来なかった。ただ、トラウマとなって心身に染み付いてしまっただけだ。
僕たちがガンマで星を通過し、公転軌道の外に出る、という瞬間だった。
突然背後から、腹の底に応えるような激しい震動が襲い掛かってきて、作業船を震わせた。モニター画面を警告表示が埋め尽くし、何かがバチバチと船体に当たる音が聞こえる。
僕は思わず、ガンマを操縦する手を止めかけた。だがその時、側面モニターに後方から流れてきたものが映り込み、千花菜が叫んだ。
「加速して、祐二!」
その物体は、巨大な岩石、そしてその中に埋没しかけた、ラトリア・ルミレースの戦闘機の残骸だった。