『破天のディベルバイス』第13話 せめて君と一緒に⑧
⑥ダーク・エコーズ
窓の外、すぐ目の前に、真っ赤な星が浮かんでいる。故郷の星である火星、今はまだ見えないが、明日になればこの窓の外に、無数のコラボユニットの影、そして自分たちの運命を決する星ダイモスが現れる。
今、真っ直ぐに窓の外の星へ飛べたならば、何の障害もなく地表へ着陸出来る。だが、肉眼で見える程近くはないのだ。明日、自分たちの進路には「恐怖」を意味する名の小惑星が現れ、激戦が始まる。
地球圏からずっと追ってきているエルガストルムとは、ここ三週間で既に五回も交戦していた。幸い二回目の戦い以降死者は出ていないが、二十機あったケーゼが五分の一にまで減ってしまったのは悔やまれるべき事だった。だが、訓練生たちの無能を責めてもどうにもならない。彼我の物量差については対策の打ちようがあるし、少なくともスペルプリマーが温存出来た事は事実なのだ。明日は可能な限り、現在登録されているスペルプリマーで戦いを行い、本来の目的の為に戦う事になった時、確実に残りの機体を利用出来るようにする。エルガストルムに追い着かれない限り、それは可能なはずだ。
ここに居る人間たちと、慣れ合ってきたつもりはなかった。自分たちダークギルドは常に恐怖の対象であり、また自分たちも彼らを半ば独裁のような体制で支配してきた。明日決行する事柄の為には、それで良かったのだ。ダークにとって周囲の人間は利用するべき対象であり、目的の為にあらゆる嘘を吐いてきた。それは、あのアンジュ・バロネスに対しても同じ事だった。
(アンジュ……お前が見ている俺も、革命者という仮面の一つに過ぎない)
ダークは、心の中で彼女にそう語り掛けた。
最初は、人質が彼女である必要はなかった。人質となってからも、それ以上の存在としては扱わないつもりだった。だが自分は彼女に対し、ギルドメンバーと同じ「同志」という言葉を使い、求められるまま、サバイユたちに告げたのと同じ”革命”の事を明かした。
アンジュは、不思議な女だった。一見自信がないように見え、それで居て皆を牽引するリーダーシップがあり、真っ直ぐに芯が通っていた。だが堅すぎる訳ではなく、むしろ常に張り詰めているこちらの心の間隙にすっと入り込んでくるような、無邪気さにも近い優しさがあった。自分が彼女を鬱陶しいと思った事は、思い返してみれば妙に一度もなかった。
(それでも俺は、お前を騙している……)
むしろ、同志という言葉を使っている相手にすら、自分は自分の一面しか見せていないのだ。彼らはその事を知ったら、自分に幻滅するだろうか。それとも、軽蔑するのだろうか。憐れまれる可能性も否定出来ない。
情など、誰にも移っていない。自分が、真実を知った者にどのように見られたとしても、何か思う事もない。では、何故今自分は、これ程アンジュの事が頭に浮かぶのだろう。まさかとは思うが、
(これが、今更懺悔であるはずがない)
革命。
ギルドメンバーたちには、その内容を裏社会の破壊、ジャバ一味には上流社会の転覆と告げていた。だが自分は、どちらにも一つの目的の為に偽りを伝えていたに過ぎない。自分の行動原理は、五年前に定まってから一度も揺らいだ事がない。ダーク・エコーズ──エチュス谷を出身とする、戸籍を削除された者という意味の名前。過去を全て捨て、ただ目標の為に己が身を捧げると決めた証。
目を閉じると、脳裏に”鬼”の姿が蘇ってきた。
貧民街の、薄暗い路地裏。嵐の如くそれは現れた。人の姿をしながら、牙を剝き出し、獣の如く唸っていた。自分が、”彼女”の仕事仲間であったトレイらにそれを告げられて駆け付けた時には、”彼女”はそれによって成す術もなく凌辱されていた。そして、それが原因で”彼女”は連れ去られた。
(革命……あながち、間違いとは言えないのかもしれない。奴らは火星圏で最も力を持っているからこそ、あのような事を平気で行えた。力なき子供、淘汰されるべき存在であった俺が成し上がり、連中に誅戮を加える……それを、革命という表白でなければ何と言えよう?)
声に出さず、口元を歪めて笑う。息を殺しているだけに、横隔膜に痙攣するかのような痛みが生じる。だが、長年の悲願が達成出来ると思うと、自身の中で抑え付けていた獰猛な衝動が、枷を弾き飛ばそうと震える事は堪えられなかった。
自分の顔の歪みが、笑みなのか痛みなのかも分からなくなってきた頃、不意に部屋の扉がノックされた。一ヶ月程前にもこのような事があったな、とふと思った瞬間、その想像と寸分違わぬ声が届く。
「ダーク君。……聞きたい事があるんだけど、いい?」
アンジュ・バロネスは、控えめにそう言ってきた。