『破天のディベルバイス』第2話 ディベルバイスの鼓動②
③渡海祐二
養成所に駆け込み、宇宙服をロッカーに放り込むと、僕たちは大勢の声が響いてくる方向に従って更に走った。
当然のように体育館に行き着くと、入口から丁度千花菜が出てくるところで、僕たちはぶつかりかけた。
「祐二、伊織! 無事だったの!?」
「何とかな。でも、教官たちは……駄目だった」
伊織が、悔しそうに首を振る。千花菜の表情が歪んだ。
「じゃあ、大人は……正規の護星機士は皆死んだって事? さっきの揺れは、過激派が……?」
「違う。教官たちは刺し違えて、過激派を鎮圧したんだ。それでも生き残った奴が俺たちを襲って……俺たちが倒した。だけど、その時の爆発で、トンネルが」
「倒した? オルト・ベータでバーデを?」
何考えているの、という言葉が飛び出しそうで、僕と伊織は何も言えずに視線を交わし合った。最後は半ば特攻のような形だった、などと言ったら、彼女は当分口を利いてくれないかもしれない。
そう思った時、僕はリーヴァンデインのトンネル内に居たユーゲントの事を思い出した。彼らは、アンジュ先輩たちは、無事だったのだろうか?
同じ可能性に思い至ったのだろう、伊織も青褪めているように見える。リーヴァンデインが崩壊した以上、ヴィペラの濃度が濃くなるに連れて船の潜航は困難になる。彼らが命を落としていたら、僕たちに救助が来る事は絶望的だ。
「……? どうしたの?」
千花菜に怪訝な顔を向けられ、僕たちはほぼ同時に「何でもないよ」と言った。
「それより、千花菜たちは大丈夫だったの? 恵留は?」
「大丈夫だよ、祐二。恵留はさっき、まだ外に居る人たちを助けに防護服で飛び出していった。外に居た人は、天蓋が破れた時に大体避難してきたけど、念の為ってね。私はここで、パニックが起こると危険だから皆を誘導しているんだけど……」
彼女は言うと、僕と伊織の肩越しに外の方を睨んだ。
「さっきHMEで、皆が落ち着いて避難誘導が一段落したら助けに来てって言われたの。気を失っている女の子が居て、今酸素マスクを着けて建物の中に居るけど、ヴィペラが濃くなってきて生身で出るのは危ないって。パイロットスーツを持ってきて欲しいって」
なるほど、それで駆け出そうとしていたのか。僕は納得する。
「僕も一緒に行くよ。その子が気を失っているなら、運ぶ時に力のある男が居た方がいい」
「なら、俺もだ」伊織も言った。「場所は何処だ?」
「中央通りに入ったところの映画館。チケット売り場の横から、入ってすぐ」
* * *
既に灰色の霧が立ち込めているエリアは、今朝までの見慣れた街とは思えない程不吉で物寂しく、有害な陰気が漂ってゴーストタウンのようになっていた。
いや、これはもうゴーストタウンそのものだ。百年前、突如として地球に猛毒の雨が降り注いだ時のように、全てを過去の遺跡と化し、そこにしがみ付く者たちを許さず、そこから逃れた者たちの手には負えなくなってしまったような、手の付けようのない陰惨さだった。
映画館の自動ドアを抜け、ヴィペラが入らないように手を使って半ば強制的に閉め直すと、僕たちは辺りを見回す。
少し奥に、恵留が屈み込んでいた。その足元には、折り畳んだハンカチを枕に、酸素マスクを口に当てた少女が横たわっている。マスクを着けている割には呼吸をしている気配がないが、お腹の辺りが微かに上下しており、生きてはいるのだ、と分かった。
「恵留」千花菜が、彼女に声を掛ける。
「千花菜ちゃん、助かったよ! この子、本当に死にそうだったんだから」
「ヴィペラ、吸っちゃったの?」
僕はつい、体を固くした。それは非常に良くない。ヴィペラは少量でも吸い込めば、体内を酸の如く蹂躙する。たとえ即死を免れても、血管内に毒が混ざれば体は目に見える速度で衰えていく。
だが、幸い恵留は首を左右に振った。
「そうじゃないけど、酸欠起こしたみたいだったの。外からここに入る間、息を止めて窒息したとかじゃなくて……歌ってたの」
「歌?」状況が全く掴めない。
「青褪めて、冷や汗だらだら流しながら。あたし、その歌で気付いてここに来たんだけど、そしたらこの子、安心したみたいにそのまま倒れちゃった。助けを呼ぼうとして歌ってて、酸欠になったのよ」
恵留は伊織からパイロットスーツを受け取り、地面に敷いてファスナーを開く。酸素マスクが外された瞬間、僕は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
雪のように白い肌。つんと通った鼻筋。薄い唇。顔の大きさが分かると、閉じられた目の大きさや睫毛の長さも相対的に分かるようになってくる。凄い美人だ。千花菜以外の女性を”異性”と意識して見る事のあまりない僕でも、はっきりと分かる程の美少女だった。
と、同時に強い既視感も襲ってくる。
僕はこの少女を、何処かで見た事がある。何処だっただろう、リバブルエリアに居る以上護星機士訓練課程の生徒なのは間違いないが、入学式や合宿でではない。それなら、もっと印象が強く残っているはず。
「この子ってもしかして……」
肩の辺りに手を入れながら、千花菜が口を開いた。祐二、足の方持って、と短く挟むので、僕は慌てて従う。二人掛かりで滑らすようにその体を動かし、開いたパイロットスーツの上に置く。恵留がてきぱきと四肢を通し、ファスナーを上げてヘルメットを被せた。
「カエラ・ルキフェルじゃない? アイドルの」
「アイドル?」
僕はあまりそちらの方面には詳しくないので首を傾げたが、伊織はあっと声を上げた。
「歌に踊りに、バラエティ番組に天気予報にも出演する、『プレシャス・プレジャーズ』のセンターだった子。二年前まで活動していたんじゃないかな」
「伊織、知ってるの?」
「アイドルとしての活動は月が中心だったからよく分からないけど、ドラマに出演しているのは見た事がある。六歳頃から、子役としてテレビに出始めていたんじゃないかな。俺は四年前リアルタイムで見ていたんだけどな、『風花の塔』。さすがにヒロイン役ではなかったけど、離れて暮らす主人公の家族の次女役で。ぶっちゃけヒロインより可愛いと思って、その後で俺と同じ年だった事が分かってびっくりした」
「それで、作品を遡ったの?」
恵留が、やや複雑そうな表情で彼を見る。
「さすがに本気で恋に落ちたりはしなかったよ、相手は雲の上の人だし。そもそも、元々アイドルとかには興味がなかったし。でも、ちょっとは気になったかな。『風花の塔』のドラマ枠も、義姉さんが観ていたものだったから見る事が多くて」
「辞めるって知った時、私びっくりしたなあ」
千花菜は、何とも言い難い表情で少女──カエラを見る。不思議と、千花菜も伊織も、知っているアイドルがすぐそこに居るという事について取り乱したりはしていなかった。
「順調そうだったのに、急に芸能界を引退します、なんて泣きながら言うんだもん。プレプレのメンバーも会見で泣いてた。ファンの人たちもネットで『辞めないで』って言ってたけど、十年間やってきた割には呆気なかったね。彼女、役者としてよりプレプレの方で有名になってたみたいだから、活動は二年間だけだった、と思われがちで。一旦ブームが去ると、あとは元通り。プレプレはメンバーを変えながらも続いているし、多くの人はカエラの事、『そんな子も居たな』くらいに思うようになっちゃって。ファンは今でもファンだろうけど、流行って怖いね」
「千花菜も……」
「そうだね、私も流行に乗るだけだった。本当にファンだったら、すぐにカエラだって気付いたんだろうね」
千花菜は何処か申し訳なさそうに言い、カエラの片方の腕を取って自分の肩に回した。僕は同じように手を伸ばしかけ、アイドルにそう気安く触れていいものか、と一瞬その手を引いたが、千花菜に睨まれて恐る恐る腕を掴んだ。
確かに今は、人命を優先すべきだ。そう考えた時、先程カエラがお腹の動きで呼吸を証明していた事を思い出し、腹式呼吸が習慣化されているのだ、と気付いた。
「でも、何でそのカエラ・ルキフェルがここに居るんだろうな? もしかして芸能界から退いたのって、こうして護星機士になる為か?」
伊織は心なしか羨望の込もった眼差しで僕を見、恵留に睨まれていた。僕は居心地の悪さを感じ、俯く。
「訓練生の子たちが騒がないのも不思議だよねえ。私たちがドラマとか観始めたのって殆ど十代前半だろうし、丁度プレプレが活動し始めたのもその頃だから、認知が一瞬すぎたのかも」
「アイドルとしてのカエラを覚えている人が、そこまで居ないって事?」
「それか、護星機士としての彼女に馴染むのが意外と早かったのかね。芸能人から軍人って、相当かけ離れていると思うよ。カエラ自身、もう過去の自分として見られる事を望んでいないのかもしれない」
千花菜が言った時、僕はまた一つ気付く事があった。
違う。カエラは、訓練生たちに馴染んでいる訳ではない。それなら、休日にこんな場所で、一人で過ごしているはずがない。
この映画館に、彼女だけが居た理由も分かる。映画館は、今日は休みだ。