『破天のディベルバイス』第13話 せめて君と一緒に①
①渡海祐二
「何だよ、これ……!?」
泡を吹いて悶えるトムを前に、僕は呆然と呟く事しか出来なかった。僕と千花菜が開けっ放しにした扉から、野次馬の生徒たちがわらわらと集まって中を覗き込んでくる。彼らはこの有様を見た瞬間、ある者は僕と同じように絶句して立ち尽くし、またある者は悲鳴を上げた。だが、誰も動こうとしない。
真っ先に我に返ったのは千花菜で、倒れたトムを背中から抱き起こし、そのまま背を曲げさせて四つ這いの形にした。
「ねえ、あなた!」
彼女は、最初に悲鳴を上げたルームメイトの男子生徒に叫ぶ。
「は、はい」
「どうしてこういう事になったの? 出来るだけ詳しく話して!」
「し、知らねえよ……こいつ、食事中にいきなりぶっ倒れて……」
「いきなり? 発作か何か?」
発作、という言葉に、咄嗟にスペルプリマーの精神干渉が過ぎり、僕はついびくりとする。僕は今、冷静さを欠こうとする理性を懸命に自分に繋ぎ止めていた。それだけで精一杯で、体は動かなかった。
「違うと思う……こいつとは入学前からつるんでいたけど、持病があるって話も聞いた事がねえ……」
「だよね。この子、ケーゼ隊でしょ? 持病がある子は選出されなかったはず」
「食べ始めてすぐだったんだ。だから、もしかして……」
男子生徒は、言いづらい事を口にせざるを得ない、というような口調で言葉を発した。僕はぎょっとし、千花菜も一瞬遅れて気付いたようだった。
「祐二! この子を吐かせて! そう時間が経ってないなら、まだ助かる!」
「あ、ああ!」
僕は千花菜と場所を代わり、トムの喉を押さえた。口腔内に指を突っ込み、吐瀉させようと試みる。彼女は目つきを鋭くし、男子生徒を問い詰めた。
「夕食に毒が入っていたかもしれないって言うの?」
「そうとしか思えないだろ! こんな……ヤバすぎるのは……」
「祐二君! 千花菜ちゃん!」
廊下から、群がる生徒たちを搔き分けるようにしてアンジュ先輩が室内に入って来た。後ろに、ショーンと和幸も続いてくる。どうやら彼らが、先輩を呼びに行ったのだな、と僕は考えた。
「誰? 倒れたっていうのは……」
アンジュ先輩は近づいてくると、僕の腕の下で嘔吐いているトムを覗き込む。そして、はっと顔を青褪めさせた。「トム君……」
「彼が言うには、毒が盛られた可能性があるそうです」
千花菜は、男子生徒を彼女の方に押しやりながら端的に告げた。
「毒って、食事の中に?」
「ええ。食べ始めたら、急に倒れたって」
「でも、私たちは何ともなかったわよ」
先輩は狼狽している。今までどんな状況でも冷静に判断を下していた彼女だが、さすがに船内で内部で毒物の使用があるなどとは思わなかったようだ。
「本当なら、個人が狙われた事になります」
その時、僕の指に熱いものが触れた。咳き込むような音を立て、トムが吐き出す。笛の音にも似た苦しげな呼吸音が、断続的に漏出した。
「祐二君はすぐに手を洗って。どんなものが使われたのか分からないから。和幸君は水を持ってきて。念の為、胃の中を洗い直した方がいい」
ひとまず危険は去ったと判断したらしく、アンジュ先輩はてきぱきと指示を出す。和幸が「アイ・コピー」と軍人口調で答え、駆け出すのを見てから、僕も立ち上がって動き出した。
不快感を伴う熱が、体から舞った。焼けた石を胃の腑に落とされたかのようなざらつきが体内を刺激し、僕まで嘔気が込み上げそうだった。
* * *
アンジュ先輩や、話を聞きつけて駆けてきたダークの指示により、食事は即刻中止となった。既に食べ始めて異常がない者を除き、夕食は各々非常食を開けるように、と言われた。
毒物使用の真偽は、調査する術がない為深く掘り下げられなかったが、もしも混入する機会があったのだとしたら、という事で、トムの食前の行動が洗われる事になった。トム本人は落ち着いたが、自分が毒殺されかかったかもしれない、という状況に恐怖し、一旦はパニックを起こしかけた。それでも大人しく先輩方やダークの調査に付き合う事にしたのは、彼自身本当に犯人が居るのだとしたら許さない、と息巻いているからでもあるようだった。
「何なのよ、もう……」
千花菜は部屋に戻る途中、頼むからもう何も起こらないでくれ、というような声で言った。僕たちや駆けつけた他の生徒たちは、もしも犯人が居れば隠蔽や偽装が行われるかもしれない、という事で速やかに部屋に戻るように言われていた。先輩方としても生徒を疑いたくはなかったようだが、実際疑わしい事態が発生したからには仕方がなかった。
「しかも、よりによって彼だったなんて」
千花菜は、トムが僕に浴びせた暴言の事を既に聴いている。彼が、僕からの報復だと思い込む可能性についてすら言及した。
「彼、何か煮込みハンバーグが異様に甘い気がしたって言ったでしょ? もう、毒物使用が決まったみたいな言い方だった」
「僕たちが考えても仕方がないだろう。今はとにかく、先輩たちの調査が終わるのを待たなきゃ。まあ、結論なんて出ないのかもしれないけど、憶測であれこれ言うのがいちばん危ないんだから」
僕は、彼女の部屋の前まで来ると、少し躊躇ってから言った。
「恵留も怖がっているだろう? もし不安だったら、僕が一緒に居ようか?」
カエラを放っておいていいのだろうか、とも思ったが、現場に居合わせた以上、それはそれ、これはこれというものだ。先程、捨てきれない咄嗟の言葉として「頼って欲しい」などと言っておいて、ここで彼女に対して何もしないのはあまりにも自分勝手なように思えた。
だが千花菜は、「ありがとう」と言ってから首を振った。
「大丈夫。先輩にも、皆『自室』に戻るように、って言われたんだし」
「だけど……」
僕はすぐには納得出来ない。千花菜は、そこでやっといつもの笑顔を取り戻し、上目遣いに悪戯っぽく僕の顔を覗き込んできた。
「なあに、祐二? 女の子と一緒の部屋で、何かしたい事でもあるの?」
「な、ないよ。そんな事……」
状況が状況であっても、ついたじろいでしまうのは仕方がない。僕が赤らんだ顔をごまかそうとしていると、彼女はくすりと笑った。
「じゃあ、祐二も気を付けて。……落ち着けないとは思うけど、今日は本当に色々あったんだからちゃんと休むんだよ。おやすみ」
「おやすみ、千花菜」
僕はおざなりに挨拶し、踵を返した。
彼女に「一緒に居て欲しい」と言われなかった事に、微かに安堵しているような自分が居る気がして、己の中途半端さを憎らしく思った。