『破天のディベルバイス』第12話 星の海にて⑨
⑧ダーク・エコーズ
外宇宙へも脱出する事の出来るディベルバイスの機能、ワームピアサー。その発見は、自分の予定を大幅に短縮してくれた。故郷である火星で、自分が成し遂げるべき目標を成就させる為の。
夜間、ブリッジ担当が交替になり、仮眠の為に個室に戻ると、ダークは無線機を取り出した。
自分たちダークギルドが舵取りの実権を掌握する事は、火星圏への旅が始まる以前から予定していた事だ。アンジュ・バロネスがニルバナでの戦勝後、そこを独立国にすると言い出さなければ、旅を再開した瞬間に”反乱”は実行されるはずだった。だから、ニーズヘグの中にはあらかじめ、偽装した外部との連絡手段が用意されていたのだ。
足音を殺して廊下を駆け、作業船格納庫へ向かう。船底に連結されたニーズヘグに降り、ヒッグス通信ではない電波の有効圏内に入ると、ダークは素早くアドレスを入力した。これは無線機ではなく、ニルバナ内の家電量販店にあった携帯電話を盗み、外見を無線機に改造したものだった。
ややもすれば、エルガストルムはそれで──ニルバナにあるはずの端末の位置情報がユニットから離れた場所になっている事で──自分たちの居場所を突き止めたのかもしれない。だとしたら、危険を呼び寄せて訓練生二人の命を奪った原因は自分にある事になるな、と思い、ダークは薄く嗤った。
皮肉にも今まで最も使用してきた、因縁の相手の番号を打ち込む。耳に当てると、ワンコールですぐにその声が聞こえてきた。
『……何かご用ですか』
棒読み風の声。慣れたつもりでも、久々に聞くと微かに緊張する。ダークは声を押し殺すようにし、合言葉を答えた。
「夕火の刻、粘らかなるトーヴ。遥場にありて回儀い錐穿つ」
旧時代の、ナンセンスな詩の文句だ。電話番が笑ったような気配があった。
『総て弱ぼらしきはボロゴーヴ』
「かくて郷遠しラースのうずめき叫ばん」
再度答えると、電話番は声の調子を棒読みから変更した。
『知らねえ番号だな。何処から聞いてきた?』
「この声で気付かないか、ボンゴリアン。俺だ、ダーク・エコーズ」
『何だ、お坊ちゃんかよ。えらく辛気臭せえ声だな。気付かなかったぜ』
電話番の男が、揶うような声で言ってくる。ダークが何か返す前に、相手の電話が誰かに捥ぎ取られたような音が聞こえた。
『何か用か、お坊ちゃん? ドラゴニアを流してやってから、何の音沙汰もねえからお頭が心配していたぞ。一体今まで、何をしていた?』
声の主は、ボンゴリアンと同じくジャバ・ウォーカーの側近であるトーニオ・カラヴァッジョ。開襟シャツと黒いブレザー、入れ墨の刻まれたスキンヘッドとサングラスといった見るからに反社会的な風貌が、ありありと蘇ってくる。
「……光栄な事だな。裏社会の親玉が、俺のようなごろつき一匹にそこまで目を掛けてくれていたとは」
『てめえは、ただのガキじゃねえようだからな。上流社会の破壊、火星の革命。冗談だとしたら、中二病もいいところだ。顔から火が出る。だがてめえは、仲間を集め、お頭との交渉にも毅然と立ち合った。一応、お頭もてめえの事は気に入っておられるみたいだぜ、”闇の宣告者”』
「ならば、そのお気に入りからいいニュースがあるとジャバに伝えろ。……近々、そうだな、あと一ヶ月前後で、俺たちダークギルドはかつてない獲物をそちらに届けよう。使いようによっては、ラトリア・ルミレースをお前たちの傘下に置く事も出来るかもしれない代物だ」
ダークは言う。他に言い方があったのかもしれないが、これが自分にとって最後の彼らとの交渉だと思うと、引き返せない場所まで踏み込んでいるという緊張で、言葉を選ぶ余裕はなくなった。
カラヴァッジョは、慎重になったかのように声を低めた。
『今回はまた、随分と強気だな。さては地球圏に行って、童貞性を捨てたか?』
「疑うのなら、この取り引きはなかった事にする。詳細を話した後で、俺の取り得る行動は二つ。ブツを売るか、ブツを使ってお前たちに宣戦布告するかだ」
『……お頭のジャ・バオ・ア・クゥの実力を知った上で、宣戦布告を行える程の代物なのか?』
「興味があるか。では、一ヶ月後に直接話をしよう」
『お頭の耳には通しておく。迎えるかどうかの連絡は、またいずれな』
ダークは首を振り、「断る」と言った。
「そちらから連絡しても、このディベルバイスには電波が届かない。こちらは、有力なブツを提供する側だ。一ヶ月後、いつでもこちらを迎えられるよう、準備を整えておけ」
『てめえ、兄貴に向かって』
ボンゴリアンが声を荒げたのが、電話の向こうから聞こえてくる。だがすぐに、カラヴァッジョが『静かにしていろ』と窘めた。
『男気のある奴は嫌いじゃねえ。分かった、その強気ごと、お頭に伝えておいてやろう。くれぐれも、失望させるんじゃねえぞ』
「心配要らない。一ヶ月後、お前たちには予想も出来ないような事が起こるだろう」
ダークは言うと、通話を終えた。唇の端に浮かんだ笑みが、自然に大きくなる。
そうだ。彼らは決して、自分の行動が予想出来るはずがない。まさか、手綱を握っていると思った相手に牙を剝かれるなどと、あの強欲で自信過剰なジャバは考えてもみないだろう。ましてやその憑拠が、現在公になっている科学技術のレベルを遥かに超えるような代物だとすれば。
ここからが、自分の反撃なのだとダークは思った。
無力な子供時代。頑張っても、それが努力とは認められないような現実。目の前で連れ去られた”彼女”が、それを象徴する光景だった。
「闇……それ以外の世界に、俺の居場所はなかった」
口に出して、そう呟いた。
「なあ、ハープ」