『破天のディベルバイス』第11話 闇の時代⑦
* * *
「渡海!」
ディベルバイスに帰投し、ニーズヘグのケーゼ格納庫に下りた時、僕は真っ先に一人の男子生徒から胸倉を掴み上げられた。僕は一瞬ぎょっとしたが、その生徒が戦闘中にカエラを撃った機体のパイロットだと気付くと、怯懦な心を怒りが上書きしてしまった。
「……何だよ?」
僕にしては喧嘩腰な声で返す。生徒は顔を紅潮させた。
「お前、俺たちを殺す気か! お前が守りに専念しているから、俺たちが敵機に接近して攻撃しろって事だったじゃねえか。容赦なくドカンドカンやりやがって。誰か死んでたらどうする気だったんだ、ああ?」
ちらりと伊織の方を見ると、彼は顔を顰めながら口元の血を拭っていた。この生徒をハーケンで拘束した彼もまた、怒りの矛先を向けられて殴られたらしい。
「自業自得だ。最初にフォーメーションを崩したのは、君じゃないか。ポジションに就く前から攻撃して、挙句カエラに射撃した」
「お前らが信用しないのが悪いんだろう! 俺たちの攻撃を全部防ぎやがって、自分たちで勝手に戦いを進めてさ。本当に、俺たちが居る意味は何なんだよ? 何の為にわざわざ、俺たちは毎日半グレどもにしごかれているんだよ? 出撃はご機嫌取りかよ?」
「調子に乗るな!」
僕は一喝した。普段は温厚な僕の剣幕に、生徒たちは押し黙る。
「お前中心に、ディベルバイスが動いている訳じゃないんだよ! 自分たちの置かれている状況を、まるで分かっていないんだな」
「祐二君」カエラが袖を引いてくる。「もういいよ、結局私は、こうしてちゃんと無事だったんだから」
彼女はまた僕が、スペルプリマーに精神干渉を受けていると思ったらしい。心配そうに止めてきたが、僕は首を振った。
「駄目だ、カエラ。こいつはちゃんと修正しておかないと、また同じ事をやる」
「へっ、ユーゲントや半グレにはすぐに尻尾振った癖に、愛人の事になるとマジになりやがる」男子生徒は嘲笑した。「この女誑しめ」
──我慢しろ。
僕の中で、自分が囁いた。
僕は、ダークギルドに支配された舵取り組と、生徒たちの間のパイプ役になれと言われている。ここで僕が強攻に出たら、潤滑油としての立場は消失、力で押さえ付けるダークギルドのやり方を、完全に認める事になる。
僕は主義主張の異なる彼らを、どちらも仲間だと思っているではないか。だからこそ、舵取り組に残留する事を選んだのではないか。
だが、それでも理性は感情に押し負けた。
「……歯、食い縛れ」
低い声で言うと、僕はポケットからものを取り出した。ダークから渡された、指導用の鞭。出来れば使いたくなかったが、もう黙っている事は出来ない。
皆が言葉を失う中、僕はそれを男子生徒に向かって振り下ろした。大きく撓ったそれは彼の左耳付近から顎にかけてを痛撃し、男子生徒は打たれた部位を押さえて悲鳴も上げずに屈み込んだ。
怒りの感情が、そこで蒸発した。刹那に、やってしまった、という自己嫌悪が襲い掛かってくる。だが、ここでへなへなしては意味がない、と思い、僕は最後まで鬼の仮面を被り続けた。
「カエラが、僕の彼女だからじゃないよ。誰に対しても、お前と同じような事をやった奴はこうする。二度とするな」
* * *
「祐二。おい、祐二、待てってば」
気分が悪かった。このむしゃくしゃは、間違いなく他でもない僕自身の感情だ。だから、抑える事を選ばなかった。それでも、スペルプリマーの副作用によるものとして処理しようと──カエラを抱く事で発散しようとしている自分に、言いようのない矛盾を感じていた。
肩を怒らせて歩いていると、伊織が追い駆けてきた。
「祐二、待ってくれよ。ちょっと聞きたい事があるんだ」
「何?」僕は、微かに振り返る。「らしくない、とか言いたいの?」
「いや……その……」
「伊織はさ、普通にダークギルドともやり合えるし、言う事を聞かない生徒たちを叱ったりもするよね。僕がそれをやったら、駄目なのかな?」
伊織に当たってもどうしようもないだろう、と思ったが、僕は堪えられない。
「僕だってさ、ちゃんと意思があるんだよ。アンジュ先輩みたいに、自分から秩序を守る為に、皆の安全の為にダークたちに従う事を決めたんだよ。本当は僕も、こんな事したくないよ。スペルプリマーに乗ったのだって、千花菜一人の為だったんだよ。まさか、一号機がもう僕以外に動かせないから、皆の為に戦わなきゃいけなくなるなんて、思わなかった。……何で、あんな奴らの為に戦わなきゃいけないんだよ? 勝手すぎるんだよ、誰も彼も」
放っておいてくれ、と僕は言った。早く、カエラと抱き合いたい。この親友は、僕に一時的な逃避すらも許してくれないのか、と思った。
「落ち着け、祐二。俺が言いたいのは、そういう事じゃない」
伊織は、一度深呼吸してから口を開いた。
「お前、無理をしすぎだ。らしくないなんて言うつもりはねえよ。でも、不自然に力んでいる。それじゃ、いつか壊れちまう。変わろうとする事は否定しないけど、本分を自覚してくれ。俺は……お前が心配だ」
僕は、彼に対して感謝と憤りを同時に感じた。僕をいつも引っ張ってくれる親友、ずっと伊織はそうだった。だがこの期に及んでもそれが続くのであれば、僕は自分が情けない。それに彼のその接し方が、僕よりも頭が良く、射撃や戦闘機操縦の成績が良い事に基づくものであれば、余計なお世話にも感じる。
僕は自分が、そこまで頼りにならない人間だとは信じたくなかった。僕なりに頑張っている事を、本分の外だとは思われたくなかった。
「……僕が戦わないで、他に誰が戦うんだよ。伊織、君だって同じじゃないか。千花菜を守るって事は、皆を守るって事だ。彼女の事を考えろ、でも無理はするなって、矛盾してるよ。カエラの事にまで、口を挟んできてさ」
「おい待て、祐二。俺は何も、カエラの事なんて」
「ずっと前から、カエラに対してだけ注意しろ注意しろって言ってきたじゃないか。千花菜が可哀想だ、ってまで言ってさ。僕は正直、もう嫌なんだよ。千花菜の拠り所は僕じゃない、僕の兄さんだ。なら、誰の為に戦おうが、誰を好きになろうが、僕の勝手じゃないか。僕が壊れて困るのは、何の為だよ? 皆を守れなくなるから? 僕は今、皆を守る為に戦っているんじゃないか!」
「それが、壊れているっていうんだよ」
伊織は近づいてくると、僕の両肩を掴んだ。
「背負おうとしているのは、俺も同じだ。一人で抱え込むなって事だけが言いたかったのに、何でそう捻くれた取り方をしちまうんだ?」
「僕はカエラが好きだ。大好きだ、愛している! いつまでも、君に言われたくないんだ。君こそ、皆を守ろうとして恵留を大事に出来ていないじゃないか。好きな相手を大事に出来ない方が、僕よりずっと問題だろ!」
「黙れ!」
突然、伊織が平手で僕の頰を張ってきた。僕の言葉の何かが、不意に彼の逆鱗に触れてしまったらしい。だが、気が立っていた僕は冷静にそう考える事も出来ず、報復に彼の反対の頰を殴っていた。「放っておけ、僕の事は!」
「何も分かっていないのは、お前の方だ!」
伊織は、怒りと、深い悲しみを湛えた表情で叫んだ。だが、すぐにはっとしたように顔を上げ、歯を食い縛り、「悪い」と言った。
「……とにかく、俺はお前の事、心配だから。辛くなって、どうしても我慢出来なくなったら……その時俺は、絶対にお前を責めたりしないから」
彼はそれだけ言うと、拳をだらりと下ろした。それ以上何も言おうとせず、くるりと振り返ると、ディベルバイスのブリッジの方へと歩いて行く。
僕はその背中に、心の中で、ごめん、と小さく謝った。