『破天のディベルバイス』第11話 闇の時代⑤
③木佐貫啓嗣
水獄のホライゾンを撃破した無色のディベルバイスが、ユニット一・一から追放された、というニュースが入ってから、早くも一ヶ月が経とうとしている。フリュム計画の動きに、現在大きな動きはなかった。
ディベルバイスは現在、リージョン六を通過して火星圏へと航空を続けているらしい。フリュム計画は何度か周辺の駐在軍を動かし、船に攻撃を仕掛けていたが、あまり効果はない。接戦だったとはいえ、彼らが同系列のフリュム船をも沈めた、という事は事実なのだ。シャドミコフ議長が今後第三のフリュム船を動かす事を許可していない現在、どれ程連合軍を結集させたところで、こちらがディベルバイスに対して行える措置は焼け石に水程度のものだ。
足止め程度の事を繰り返しても、埒が明かない。
ブリークス大佐はそう判断し、ディベルバイスに軍を差し向ける事を一時的に停止しよう、と提言した。来るアポロ作戦の為、兵力を温存したいという。これには誰も文句を言わなかったが、ではこのままディベルバイスを泳がせるのか、というと、そのような訳にも行かない。
大佐の計算によると、再び地球圏に入りつつある敵艦バイアクヘーとディベルバイスの接触は今月か、遅くとも来月になるという。アポロ作戦の発動は来月末を予定されているので、その前に二隻を戦わせ、何らかの手段を以てどちらも攻略しよう、というのが大佐の意志だった。様々なリスクはあるが、割ける連合の勢力が少ない以上それしか方法はない、と会議でも判断された。
* * *
「意外と多いんですね、無戸籍児が判明して戸籍登録される事って」
ヨアンが、部屋の床に印刷用紙を並べながらしみじみと呟いた。ソファの上で膝を抱えながら、泡坂が「それはそうだろう」と答える。
「百億以上の人間が居れば、無戸籍児なんて幾らでも居るはずだ。隠し子だったり、家庭内暴力から守る為に遠い場所で人知れず出産していたり、紛争のせいで役所に出産届が出せなかったり、な。あとは単純に、親の怠慢なんかもあるだろう。当然、後からそれが届けられる事もあるはずだ」
泡坂の傍らには、シュレッダーが用意されている。ここで木佐貫たちが目的を果たしたら、すぐにこの印刷物を処分するつもりのようだ。
宇宙連合のデータベースから理由があって印刷したものは、使用が終わったら直ちに細断する事が義務付けられている。特に泡坂は、木佐貫とヨアンが、フリュム計画が隠蔽している情報を暴こうとしている事に気が気でないらしかった。更に、二九八二年、無戸籍の人間が新しく登録された記録についてアクセス権限を貰う為、内務省に連絡を取りたいと言うと、彼はかなり渋った。
「おいおい、金融調査の記録の次は戸籍かよ? お前たちな、本当に上から怪しまれるぞ? 俺だって、実際にデータベースにアクセスして手を貸しているみたいなものだし……」
「もし君が疑われるような事があれば、私たちの事を洗い浚い喋ってくれても構わない。絶対に、君には責めが及ばないようにするから」
木佐貫は言ったが、すると泡坂に「馬鹿野郎」と怒鳴られた。
「お前が友達じゃなかったら、俺も迷わずそうしただろうよ。俺が、お前に対してそんなに薄情になれる訳がねえだろ」
泡坂は真剣に自分の事を心配してくれているのだな、と痛い程分かり、申し訳ない気分になったが、引き下がる訳には行かなかった。またも長い懇願の末、彼は「仕方ねえな」と言い、問い合わせを行ってくれた。
「戸籍登録されていない人は、各種行政サービスも受けられないし免許も取得出来ない。存在している事すら、公的には気付かれない。こうやって判明している人以外の方が多い、とかって考えると、気が重くなりますね」
ヨアンは気の毒そうに言う。木佐貫は肯き、彼に答えた。
「火星と木星が開発され、今や宇宙連合は土星にまで手を伸ばしている。宇宙移民政策は決して棄民なんかじゃなかったと、私は信じたいよ。でも、安保理の議員として火星の現状を知ると、人類は確かに生存圏を広げすぎて、その内実が充足していない事は否めないよね。当時はあまりにも人口爆発が凄くて、取り敢えずコラボユニットという入れ物を用意するので精一杯だったんだろうけど」
現在の火星のような場所がある限り、この残酷な現実は変わらないのかもしれないな、と木佐貫は思った。こうして、調査に予想以上に時間が掛かっているという現状が、嫌でも厳しい現実を突き付けてくるようだ。
やがて資料を並べ終わると、木佐貫は額の汗を拭った。これで、記録は全てだ。金融調査の結果から、振込金額を基にスペルプリマー起動試験の被験体提供者を洗い出したのが先月末。そこから内務省に問い合わせ、データを印刷して、三歳で戸籍登録された者をピックアップし、名字をそれらの口座名と照合する、という作業が九割方終わったのが昨日だ。
「これで名字が合わなかったりしたら、もうお手上げですね」
「『空白の期間』に説明を付けるなら、ここに名前は確実にあるはずなんだ」
連日細かい文字を追い続け、目は疲労しきっている。木佐貫は眉間を揉み、自分の両頰を軽く張って気合いを入れ直した。
一人目を確認する。手元に用意した、二九七九年、口座に大金の振り込みがあった者たちのリストに素早く目を通し、同じ名字がないかを確認する。もし偶然一致する事があっても、すぐに次の子供に目を通す。話では、ディオネショックを生き延び、戸籍登録をされたであろうモデュラスの幼児は双子なのだ。
(違う、違う……これも違う)
ヨアンが、リストの下の方からも確認していく。こうする事で、時間の短縮が図れる。無戸籍児が後から戸籍登録を行う場合というのは、大抵が泡坂の言う通り、家庭の環境に影響を受けた者たちだ。双子の場合、どちらか一方だけが登録されていなかった、という事はまずない。そして人口が百億もあれば、同年に戸籍登録を行った無戸籍児の双子など、何組存在してもおかしくない。
木佐貫は何度もそれらしい名前を見つけ、金融調査結果と照らし合わせては、条件が一つ合わなくて落胆する、という事を繰り返した。細かい作業であり、途中で何処まで調べたのか分からなくなる事もあり、時間は一時間、二時間と瞬く間に経過していった。
やがて木佐貫の目が、ある一点で止まった。
双子である事、同じ名字。ヨアンから聴いていた、計画に参加したと思われるその両親のイニシャルを頭に思い浮かべた。……一致する。珍しい名字だった為、これも偶然とは思えなかった。
「ヨアン君!」
「は、はいっ!?」
木佐貫が唐突に叫んだので、ヨアンはびくりと身を震わせた。すまない、と謝りながらも、木佐貫はその興奮に、つい声のトーンが上がってしまうのを抑えられなかった。
「これって、ドンピシャじゃないかな?」
「何か分かったのか?」泡坂が、ソファーの上から身を乗り出してきた。床に並べた資料を踏まないように、意地でも足は下ろさないようだ。
「名前は……」
木佐貫は、書かれている事を説明しながら問題の個所を指差す。泡坂はそれを素早く目で追っていたが、やがて信じられないというように目を見開いた。
「第二回起動試験は……成功していたのか? なら、何で……」
「えっ? どういう事だ?」
「木佐貫。お前さ、リバブルエリア護星機士養成所の成績データ保管システムについて、詳しい事は知っているか?」
泡坂は、唐突ともいえるような質問をしてきた。
「いや、特には……」
「課程修了から宇宙連合軍への入隊、各基地への配属まで一ヶ月も掛からずに行われるのは、常に訓練生たちの成績がボストークに転送されて、地球圏防衛庁で『現時点での能力から配属先を暫定的に決める』っていう事が日頃から行われているからだ。特にラトリア・ルミレースとの戦いが始まってからは、学徒出陣も視野に入れられて検討が進んでいたし」
泡坂の言葉に、木佐貫は肯いた。学徒出陣については、昨年から何度か安保理でも議題に上がった事だ。仮の配属先についてなどのリストも渡されたが、何故まだ訓練中の生徒たちの能力について、防衛庁は判断を下せるのだろう、と疑問に思ってはいた。
「で、送られてきた情報は俺の管理している宇宙連合の統括データベースに保存される。だから、俺も毎回それには目を通す事になるんだが……四月分として送られてきたその中に、この双子の片割れの名前があった」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい、泡坂室長」
ヨアンが、閊えながら口を挟んだ。
「室長は六百人以上居る訓練生の名前を、全て覚えておられるのですか?」
「そんな訳はないだろう。ただ、その生徒は特に成績が優秀だったんだ。例年に比べて、ずば抜けていたって言ってもいいのかな。更に健康診断、発育測定の結果を見たら、全てに於いて成長が著しかった。で、気になって調べたら、入学前年の宇宙飛行免許取得合宿でも上位合格者だった事が分かった」
「待ってくれ、それって……大変な事になるんじゃないか?」
木佐貫は、本来の目的を忘れそうになった。
「年度初めの予防接種の真実は、訓練生たちにプロトSBEC因子を移植する為のものだった。その生徒が最初からモデュラスだったのだとしたら……SBEC因子を移植された時、それは一体、何に変貌したんだ?」