『破天のディベルバイス』第1話 地球が終わる日①
①渡海祐二
「あー、あー、こちらSD – 4、オルト・ベータ。テスト、応答願う」
『感度良好。……伊織、そんなに畏まらなくっても』
「大事だろ、手順は? ……ヴィペラ内でのヒッグス通信、さすがの精度。これならラグもなく連携出来るな。捕捉シート展開完了、いつでもいいぞ」
視線をメインモニターに向けたまま、神稲伊織が言った。
護星機士訓練課程一期生、十八歳。五月、初潜航。
僕は、最早対象のデブリの輪郭だけが辛うじて見えるメインカメラの映像に、試すつもりで発光信号を点滅させてみる。灰色に塗り潰され、一見凪いだように静かなそこに映った光は乱れ、スモッグの如く散った。
「ヴィペラが運動しているって本当なんだ……」
「教わっただろ、祐二? ヴィペラは半ばプラズマ状態で、粒子たちの静電気がバチバチ走ってるせいで光通信は使えない。デブリや他の艦影を確認するには、ヒッグスビブロメーターを使わないとな」
伊織が言ってくるが、僕も頭では分かっていた。分かっていても、授業で聴く事と実際に目で見る事では大きな違いがある。
人類の宇宙進出が進んだ西暦二五〇〇年、今から百年前、小惑星ネメシスが地球に接近、ヴィペラの雨という猛毒を地表に降らせた。宇宙都市コラボユニットに百億の人口が移住していたとは言え、地球に残留していた約三十億の人命は喪失。地上の大部分は不可住帯へと変貌し、大気に残留したヴィペラは雲となって、水の惑星を灰色の星に変えてしまった。
宇宙に広がる猛毒の海。潜航中に宇宙服が少しでも破れれば、即座に体は目茶苦茶になる。そう繰り返し教わりはしたものの、僕は実際こうして潜航する事になった時も、大気中に滞留するこの灰色の雲がそれ程危険なものには思えなかった。生き物のように活発に運動しているというのが嘘のように、表面は穏やかだった。
「絶え間なく流れているんだ。SD系なら一万ファゾムまで潜航出来るけど、操縦者の腕次第ってとこかな」
伊織は自慢げに言う。まあ、認めざるを得ない。ヴィペラ内での作業は原則二人で行う事と義務付けられている。ここではどんなに手練れの操縦士でも、並行して別の作業を行う事は出来ないから。優秀な伊織とタッグを組めるのは心強い事だが、彼が親友であるだけに負けたくない気持ちもある。
『そろそろやるよー。集中、集中』
ヴィペラの外に居る綾文千花菜の声が聞こえ、僕と伊織は揃って気持ちを入れ替えた。基本的な操縦は彼がやってくれたのだ、作業は僕が頑張らなくては。
シートの端々を担っている円筒形の端末を睨む。千花菜たちの作業船から機銃が撃ち込まれ、デブリが破砕した瞬間に、あの端末を上空のポイントで接合し、破片をコンパクトに包み込む。
シミュレーションでは何度も成功した事だ。いつも通りのタイミングでやれば成功するに決まっている。
「……ったく、たかが掃除なのに緊張するなあ……」
「掃除で格好付けられる事もそうそうないぜ。潜航経験があるかないかだけで皆の目も変わってくる。俺たち、成長速いよ。……よし、開始」
『ラジャー!』
千花菜の声と共に、バンッ! という機銃の音が響いた。数秒後、モニターの灰色が雷雲の如く局所的に点滅し、デブリの影が小さく分かれる。
僕は端末に指示を出し、手早く破片をまとめた。開いていたアームも収縮し、丁度ゴミ袋をマジックハンドで掴んでいるような状態になる。そっとアームを畳みつつ、捕捉した対象をオルト・ベータへ引き寄せる。
『どう、上手く行った?』
「ばっちりだ。やったな祐二、俺たちも出来るじゃないか」
「ああ、でも……次は千花菜たちと役割が逆でも大丈夫なようにしないと」
僕は、ゴミ袋を船底に固定しながら言った。
「どうしてだよ?」
「ヴィペラより上空はラトリア・ルミレースが襲ってくるかもしれないだろ? 千花菜や恵留たちばっかり、そんな危険に晒す訳には行かないよ」
「何だ、そんな事言ったら、女の子を猛毒の海に潜航させる方がよっぽど危険だよ。過激派が大気圏に入ってきた事はまだないし、月軌道にすらまだ到達していないんだからさ。宇宙連合軍だって総警戒態勢だし」
心配性だな、と伊織が笑った。
「だってさ……」
『ありがと、祐二。心配してくれて』
通信が繋いだままになっていた為、聞き付けた千花菜が言ってきた。
『でも、護星機士は宇宙船で戦うんだから、いざとなったら男も女もないと思うよ。どうせ訓練課程が終わったら入隊して、私たちも戦う事になるんだし』
「それはそうだけど」
「こいつ、お前の事は特別に想ってるんだよ」伊織が脇から口を挟んだ。僕はパイロットスーツのヘルメットの内側がぼっと熱くなったのを感じながら、慌てて通信を切ろうとする。が、伊織はするりとそれを躱した。「察してやれって」
『あら、ありがとう、ゆ、う、じ』
「やっ、違う! 千花菜、おい……」
千花菜の悪戯っぽい、上がり調子の声と共に向こうから通信が切られた。いつもの事か、と徒労を感じながらも、それを自覚出来る程の心のゆとりはない。ので、これもいつものように伊織に抗議した。
「そういう揶い方はやめろって言ってるだろ」
「幼馴染が可愛い奴は贅沢な望みをするもんだ。生意気だぞー、祐二」
「幼馴染は友達の期間が長いから、タイミングに苦労するものなんだよ。しかも千花菜は僕の事、弟分だと思ってる」
「はいはい、羨ましい奴め。漫画なんかでこういう二人にキュンキュンする奴の頭が分からねえよ」
「しつこい。それより早く浮上するぞ、帰るまでが遠足だって」
「掃除な」
趣旨不明の会話をしながら、僕はアタッチメントの操縦桿を握り直す。伊織もハンドルを握り、オルト・ベータの軌道を浮上コースに設定した。訓練用の作業船なだけあり、ヴィペラ以外の場所ではある程度の自動操縦が利く。
仕事モードになり、熱くなった頰が冷えていくと、僕は改めて考えた。
普通の学校では日常茶飯事の清掃でも、自分たち護星機士の訓練生はこれ程神経を使うのだ。ここで三年間の訓練を終え、宇宙連合軍に入ってからの日々は熾烈を極めるものとなるだろう。
無論、進んで志望した事だ。それを憂鬱に思っている訳ではない。
けれど、それだけに自分の未熟さを感じる。戦いはまだ始まってすらいないのに、既に緊張してしまっている事に。
「……伊織はさ」僕は、少し考えて口を開いた。
「ん?」
「何で、護星機士になろうと思ったの?」
「何だそれ、面接対策かよ」
伊織は笑う。
親友ではあるが、僕は彼と知り合ってまだ半年程しか経っていない。
ユニット五・七からリバブルエリアに移動し、宇宙飛行の免許を取る為の合宿を受けた際、同室になったのが彼だった。一緒に合宿を受けに行った千花菜が恵留と知り合ったのも同じ理由だそうだ。
千花菜が護星機士に志願した時、僕は何か大いなるものに引かれるような気分で、すぐさまネットでエントリーした。合宿の案内書が届いた時、ポストからそれを見つけた母は僕を質問攻めにし、変な気を起こさないでくれと懇願し、最終的には半ば脅すように叱咤してきた。僕は、胸郭の内側で母に同調するように、自分を咎めている罪悪感に気付かない振りをしながら理由を説明した。それで納得して貰えないのであれば、いっそ開き直ってわざと勘当されようとも思っていた。
千花菜が合格する事は分かっていた。宇宙船での作業中の事故で、その体を元素として宇宙に還元した僕の父に引き続き、去年の今頃『敵』との戦いで兄が死んだという報せがユニットに届いた時から、彼女は心を固めて勉強に勤しみ始めた。その理由から目を逸らしながら、僕も彼女を追い駆けた。
だから、免許取得の為の合宿中、僕は精神を凶器の如く尖らせていた。護星機士訓練課程を修学する為の受験は高倍率で、僕は自分と千花菜以外の全員を敵だと思おうとした。彼らの一人が合格すれば、席が一つ減る。逆に彼らが一人落ちれば、僕の座るべき席が一つ空く。
伊織と同室になった時、僕は共同生活を営む事となった彼も敵だと思い、一切馴れ合う事はしないようにしよう、と決めていた。だが彼の方は一方的に僕に絡み、気付けば僕は彼のペースに乗せられていた。今では親友と言えるが、それはあくまで「他の人間よりも特別に彼とは仲がいいから」というだけのものだ。
「……単純に、宇宙が好きだからじゃないかな」
僕の問いに対する彼の答えは、至極簡単明瞭だった。
「人が当然のようにコラボユニットで──宇宙で暮らすようになって、地球を見る度思うんだ。宇宙はこんなに広いのにさ、俺たちが知れるのはたかだか太陽系の一画だけなんだぜ? 俺たちじゃ到底手に負えねえものに挑めば、自分なんかちっぽけで、そんなちっぽけな俺の考えている事なんて、取るに足らないものなんだって思えるような気がしてさ。おかしいよな、挑むって考えれば考える程、宇宙は何処までも大らかに俺たちを受け入れてくれるような気がするんだ」
「君って、思っていたより詩人みたいだ」
「俺はロマンチックな男なんだぜ、坊や」
「誰が坊やだ。……でも、分かるような気はする」
僕は、明け方の布団の中に居る時のような気分になった。
斜角に浮上を続けていたオルト・ベータがヴィペラの雲を切り裂き、空に出た。見える星の大きさは、リバブルエリアに居る時と大して変わらない。
「僕だって、自棄でここまで来た訳じゃないんだ……」
「おい、勘違いするなよ。俺は」
伊織が言った時唐突に、画面の片隅に「Reacted」の文字が表示された。自動操縦に任せて揺蕩うような気持ちで居た僕が腰を浮かせた時、それが合図だったかのように千花菜たちとの通信が繋がった。
『こちらSD – 4 – 2、ティコ。オルト・ベータ、聞こえる?』
「千花菜、恵留、ヒッグスビブロメーターが反応した! 何があった?」
『只今帰還軌道中。こっちからさっき目視出来たけど、所属不明の宇宙船がそっちに向かってる。型は多分SF – 5、闇から流れたものだと思う』
「闇って……」思わず顔が引き攣った。
「半グレどもか。全くガキだよな、連合軍に見つかったら即ばあんだぞ?」
世間知らずが、面白半分で戦争に首突っ込みやがって、と伊織が呟くのを聴きながら、僕はサイドカメラを確認した。
確かに、豆粒程度の大きさだが戦闘機サイズの宇宙船が目視出来た。半グレ、という言葉に得も言われぬ酸味が口に走った。その軽薄な響きが実態に伴っていないのが、何とも言えず気分を悪くさせる。
「俺たちを輸送機か何かだと思っているのか? ヴィペラの中にお宝なんかある訳ねえってのに……」
「なあ、伊織……あれって……」
僕は不意に、先程までは目に入らなかったものを見た。接近してくる宇宙船がダークブルーで、その流線型の先端部に銃と剣の逆十字がペイントされている。
「ダークギルド!? ダーク・エコーズの奴、まさか護星機士に手出しを……」
彼の最悪な想像は、思いも掛けない速さで肯定された。ダークギルド──この辺りに出現する半グレ集団の中で最凶と言われる彼らの紋章を持つ小型戦艦は、不意に加速してこちらに接近してくると、機銃を放ってきた。
「マジで何ですかっ!」
『祐二、伊織、潜って! SF系はヴィペラに潜航出来ない!』
「駄目だ、旋回している最中に横腹を撃たれる!」
伊織は叫ぶと、前方に機体を急発進させた。直後、轟音と共に体が大きく揺れる。
「着弾した!? 祐二、損害は?」
「後部、コンテナからビブロメーターの辺りだ! 少しズレてたらエンジンに当たってたっつうの……!」
エアーを噴射し、空中で体勢を立て直す。「旋回だ、大回りで!」
「畜生、もう自棄だ!」伊織がハンドルを大きく動かし、スロットルレバーを押し込んだ。外を流れていく景色の中に、ダークの機体が大きく映し出される。
「ダークギルド! 俺たちは高価な積み荷を輸送している訳じゃない、立ち去れ! 過激派の機体を使っている以上、俺たちには撃墜許可が与えられている!」
彼が呼び掛けを行う中、機体が向きを変え、前方に雲を貫くように伸びる塔が見えてきた。千花菜たちの機体ティコが、その雲と接する辺りに降下し、潜航しようとしている。
『ごめんね二人とも! すぐに教官たちに通信するから!』
そのタイミングで、再び衝撃。また撃たれたのか、と思ったが、違った。
ダークたちの機体からワイヤーが放たれ、損壊したコンテナに取り付いていた。命綱を付けた二人の構成員がそこを渡り、カメラの死角に入る。数秒後、アラートと共に機体のモデルが画面に映し出され、ヒッグスビブロメーターの辺りが赤く点滅し始めた。
「あいつら、あれを分捕ろうとしてやがる……!」
微粒子の質量変化を信号として利用する為にヒッグス粒子を飛び出させ、観測するこの装置は、まさにスーパーコンピューターと言うべきものだ。だが元々のヒッグス粒子の捕捉のしづらさ、それを発生させる為に陽子同士をぶつける装置の必要性などから、如何せんサイズは大きくなってしまう。これでも二千年代のヒッグス機構よりは随分と改良されているらしいのだが、詮ない事ではある。
無論、一台一台が非常に高価だ。練習機を与えられた時、教官からも「壊したら指導じゃ済まないからな」と軽く脅された。ダークたちにとっては、これもまた獲物となり得る代物なのだろう。
「伊織、何とか振り解けないのか!?」
「ワイヤーががっちり固定されてて、解けそうにない! 攻撃を仕掛けるのも一つの手だが、そうすると今度は絡まる可能性がある。かくなる上は……」
「おい、何やってる?」
相棒の手が、オルト・ベータの操縦とは異質な動きをし始めたので、僕は思わず声を上げた。何やら、モジュールの接合を弄っているようだ。
「ビブロメーターを切り離すんだよ。そしてヴィペラの中に落とす。そうすりゃ奴らの機体は入れねえ」
「本気かよ!? もし紛失したら……」
「あいつらにどうこうされるよりよっぽどマシだ。大丈夫、天蓋までは十分あるし、ヴィペラが抵抗になってくれるから衝撃で壊れたりしねえよ」
彼は言うや否や、いきなりパージを実行した。ガタン! と三度機体が揺れ、サイドモニターに映るワイヤーが大きく揺れる。アングル内に先程の二人が戻ってきて、慌てたように自分たちの船に引き返していくのが見えた。
「無茶するなあ……」
「まだまだ序の口だぜ!」
伊織は、即座に敵を引き摺るようにして発進した。ダークが慌てたようにワイヤーを外し、進路を落下していくビブロメーターに向けたようだが、彼らの機体は慣性に従って前後に大きく揺れた。
「追わせるかーっ!」
追撃にデブリ破砕用の機銃を撃つと、ダークギルドは諦めたようにそれを回避し、旋回して飛び去って行った。
「はあ……死ぬかと思った……」
「半グレ野郎どものせいで死んで堪るか」
伊織はまだ憤慨しているようだったが、僕はひとまず助かったという安堵で椅子に沈み込んだ。鼓動が速い。とんでもない事をしてしまったという焦燥も、その鼓動の速さの原因のようだった。
「早く回収しないと。まだ、そんなに流れてはいないはずだ」
僕は灰色のヴィペラの雲に目を凝らしたが、それらしい影は確認出来ない。もう一度潜航して探す必要があるか、と思ったが、
「見つけたところで、俺たち今捕捉シートにはゴミが入ってるし、オルト・ベータ単体じゃ回収出来ねえよ」
伊織は、仕方ないというように背凭れに頭を預けた。
「ゴミはその辺に捨てよう、アームだって使えるんだ」僕は提案する。
「破砕したデブリのポイ捨てはご法度だぜ。小さければ小さい程回収が難しいし、しかもこんな大気圏内で捨てたらトンネルからリバブルエリアに落ちちまう」
ぐっと唇を噛む。確かに彼の言う事はもっともで、訓練課程の最初から繰り返し言われてきた事だった。「ディートリッヒ教官、怒るだろうな……」
「どっちにしろ怒られるんだ。なら、後から面倒じゃない方を選ぼうぜ」
伊織が言うのを聞き、僕は更に脱力した。
「じゃあさ、せめてこれ以上流れないように、場所だけは掴んでワイヤーで天蓋に固定しておこう。それくらいならいいだろ?」
「……祐二、随分熱心なんだな」
「面倒が起こって欲しくないだけだよ」
ずっと、そうして生きてきただけだ。
今に満足出来ているのなら、一か八かという賭けはしない。無駄な勝負もしない。ここぞという時に戦えなくなってしまうから。だが、先程のダークギルドといい何といい、穏やかに生きたいだけの僕を、何故邪魔するのだろう。
護星機士になろうと思ったのも、千花菜を失いたくなかっただけだ。