メイド服を着ている理由
ベルダの部屋を開けると目が痛くなるほど着飾っている真っ最中。茶髪を豪華に結い上げ、夜会でもないのに派手な化粧を施し、持っている宝石たちで飾りあげている。
思わぬ姿に絶句しかけたワイアットだが、なんとか気を取り直して言った。
「おまえのドレスを一着、シルフィアに貸すんだ」
父であり家長からの命令をベルダが一刀両断する。
「嫌です」
ワイアットの背後にいるシルフィアを一瞥して、フンと顔をそらす。そのままメイドに着飾れ続けるベルダにワイアットが怒鳴った。
「早く貸せ! 時間がない!」
「どうして、私のドレスを貸さないといけないの?」
意味が分からないとばかりに不機嫌に顔を歪めるベルダにワイアットがシルフィアを指さす。
「相手はシルフィアに会いに来たのだ! メイド服のまま顔を見せろというのか!?」
「別によろしいではありませんか。それがお姉さまのいつもの姿なのですから」
「これでもクライネス家の長女なんだぞ! メイド服を着ていたなど、恥以外の何物でもない!」
「私の引き立て役として丁度いいですわ」
父の怒鳴り声など耳障りな虫の羽音とばかりに無視して、鏡に映る自分の姿を入念に確認する。そんな愛娘の様子にワイアットが頭を抱えた。
「妻は客人の相手をしているし、どうすれば……」
そこにドロシーの慌てた声が飛んできた。
「お待ちください。そちらは……」
その場にいる全員の意識が廊下に向いたところで、シルフィアの耳に聞き覚えがある声が触れる。
「師匠の屋敷は賑やかですね」
全身を震わす甘い声に静寂が落ちた。
声がした方を見れば、見慣れた廊下に、見慣れぬ美丈夫が立っている。
その漆黒の魔導師服を着こなした端正な姿に使用人たちが見惚れ、サラに至っては両手で口元を押さえて叫ばないように堪えているほど。
そんな周囲を気にすることなくルーカスが深紅の瞳を細めてシルフィアに手を伸ばした。
「突然の訪問、失礼しました。どうしても、早くお会いしたくて」
「どうして、ここに? そもそも、私が住んでいる場所をどうやって知って……」
「師匠が帰られた後で、すぐに調べました」
「……まさか、私に婚約を申し込んできたというのは?」
「私です」
にっこりと当然のように答えるルーカス。
その様子にシルフィアは素早く考えた。
(大魔導師といえば、今まで浮いた話もなく婚約の話もなかったのに、いきなり私に婚約を申し込むなんて……何か裏が……ハッ!)
ここでシルフィアの脳裏に昨夜の光景が浮かぶ。
小説ではいがみ合う関係だった騎士団長とルーカスの仲睦まじい姿。それは二人の関係が、小説の内容より一歩も二歩も先に進んでいることを表していた。
(つまり、本格的に騎士団長との愛を育むための隠れ蓑としての婚約ですね! 私という婚約者がいれば、男性である騎士団長と愛し合っているなんて思われませんもの。さすが、ルカ! それならば、私は全力で協力いたしましょう!)
まったくずれた方向に得心したシルフィアが心の中で拳を握って気合いを入れる。しかし、表情には一切出すことなく、優雅にスカートの裾を持ち上げて軽く膝を折った。
「そういうことでしたら協力いたしま……」
「大魔導師ルーカス様!」
部屋の中からベルダが飛び出してきた。そのまま、ルーカスの前で体をくねらせ、上目遣いのまま甘い声で迫る。
「まぁ、まぁ、このような狭いところで立ち話をするより、サロンへいらしてくださいな。我が家のサロンは庭が一望できて、評判も良いですの」
積極的に接するベルダを使用人たちが冷えた目で見つめる。
常に人より良いモノを欲しがるベルダ。それは母であるドロシーによって叶えられてきたため、その欲望はとどまることを知らない。それゆえ、大魔導師という立派な肩書にこれだけ見目麗しい相手なら、姉への求婚相手であっても略奪しようとするのは予想できていた。
伯爵家の令嬢として、姉への求婚相手にここまで見苦しく迫るとは品位の欠片もない。使用人たちの総意だが誰も口にせず、冷めた視線だけを送る。
しかし、昨夜の出来事を知っているシルフィアはベルダの行動が腑に落ちなかった。
(昨日、あれだけ脅されたのに、それをなかったかのようにルカに近づくなんて……もしかして、忘れているのでしょうか? そういえば、昔から自分に都合の悪いことは記憶ごと消していましたしね。あの時はかなり衝撃を受けていましたから、そのまま忘れたのかもしれません)
なんとも都合が良い頭だが、ベルダはそういう妹だった。
一人で納得しているシルフィアだが、ルーカスはそうもいかず。ベルダとの会話を拒否するように顔を背けてワイアットへ声をかけた。
「こちらからの要望は先程の書面通りだ。では、失礼する」
「は? いや、お待ちくださ……」
ワイアットの返事を待たずに黒い腕が動く。
「え?」
「お嬢様!?」
ベルダを避けたルーカスが、そのままシルフィアを抱き上げた。
つい叫んでしまった口を押さえているサラにルーカスが声をかける。
「荷物をまとめて、オレの屋敷に持ってこい。こちらは使用人たちの部屋の準備も終えている」
軽々と持ち上げられたシルフィアが慌てた。
逞しい腕は安定しており、厚い胸板は魔導師服の上からでも感触が分かるほど。落とされる心配はないが、今は別の問題が発生している。
「ちょ、ちょっと、待って。どういうことですの、ルカ?」
「社交界の後、すぐに師匠の現状を調べました。伯爵家の令嬢でありながら、メイド同然の生活をさせられている。そうだな?」
最後の言葉は家主であるワイアットと、現在の妻であるドロシーに向けられた。威圧がこもった声に二人の顔がそれぞれ青くなる。
「いや、それは、その勘違いかと……」
「そ、そうよ。娘をメイド扱いするなんて……」
どうにか弁解しようとするワイアットとドロシーに鋭い深紅の瞳が刺さる。それだけで、全身を切り刻まれるような鋭さと、冷えた炎に焼かれるような錯覚が二人を襲った。
「「ヒッ!」」
悲鳴に近い声に対し、反論を許さないとばかりの圧がかかる。
「オレが間違っていると?」
低い声がさらに低くなり、ワイアットとドロシーの顔が青から白へと変わった。全身を小刻みに震わせて必死に首を横に振る。
「め、めめめ、め、滅相もありません!」
「そそそ、そ、そのようなことは決してありませんわ」
「では、どうしてメイド服を着ているのか説明してもらおうか?」
「そ、それは、その……おい」
ワイアットがドロシーを肘でつく。
「わ、私は知りませんわ! 気が付いたらメイド服を着て……そう! 気が付いたら着ておりましたのよ!」
苦し紛れの答えに、ずっと黙って様子を見ていたシルフィアがルーカスに抱かれたまま頬に手を当てて首を捻った。
「それは、着る服がないと話したら『メイド服でも着ていなさい』と言われたからです。お父様もお義母様もお忘れになられたのですか?」
現状にとどめを指すような言葉にワイアットが叫ぶ。
「シ、シルフィア!?」
親の心子知らずのようにシルフィアが話を続ける。
「ですので、メイド服を着て過ごしていたら、そのままメイドの仕事をするように言われたではありませんか。あ、これを言ったのはお義母様と妹ですが、お父様もその言葉は聞いておりましたよね?」
ルーカスの顔が怒りを通り越して無表情となる。しかし、不穏な気配は闇を含んだ威圧とともに広がり、ワイアットとドロシーの首をジワリジワリと絞めていく。
そんなことに気づいていないシルフィアがルーカスに軽く言った。
「ですので、メイド同然ではなくメイドの生活をしていました」
いらぬ訂正にワイアットとドロシーが卒倒しかけたのは言うまでもない。