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弟子から大魔導師へ

「ちょっ!? どういうことですの!?」


 無表情を維持できず慌てるシルフィアに対して、黒髪が揺れてゆったりを顔をあげた。その表情は穏やかに微笑んでいて。


「殺してはいませんよ。毒を入れた犯人は侯爵家の娘でしたので、家を没落させて親族全員を国外追放にしただけです。あ、毒を入れた娘だけは国内の修道院で贖罪中ですが」

「侯爵家を没落!? どうやって!?」

「そんなに驚くことではありませんよ。聖女を毒殺という大罪の結果です」

「とはいえ……」


 聖女とはいえ平民上がりの男爵令嬢を殺したぐらいで高位貴族の侯爵家が没落までするとは思えない。通常なら降級処分となり伯爵か子爵になるぐらいのはず。


(それとも、毒殺に使った毒の方が問題だったのでしょうか……)


 前世で聖女だった自分の命を奪った毒は回復魔法も追い付かないほど強力だった。

 そこまで強い毒は薬師部か軍で管理されているはずであり、それだけの代物を一般の人は当然、侯爵家であろうとも手に入れるのは難しい。

 犯人は薬師か軍と強い関係を持つ侯爵家の娘だったのか、それとも……


 考えがまとまる前に大魔導師が優しい声で囁いた。


「毒を入れた娘に手を下したくなったら言ってくださいね。いつでも殺しますから」

「ころっ!?」


 幼い弟子は聖女であった自分に懐いてはいたが、ここまでする狂犬に育っていたとは思いもよらず。なんとか言葉を出そうとパクパクと口を動かすが、声がでない。


 そんなシルフィアに対して、大魔導師が軽い笑顔になった。


 たったそれだけで、これまでの重い話が嘘だったように、すべてが幻だったような空気になる。腕の力が弱まり、華奢な体を解放した。

 流れるように黒い手がローテーブルを指す。


「どうそ、紅茶が冷めないうちに飲んでください。お口に合えばいいのですが」

「え、えぇ……」


 とにかく落ち着かなければ。

 衝撃の連続から立ち直るためカップを手にすると、芳醇な紅茶の香りが鼻をかすめた。勧められるまま、自然な動きで口元へ運び……そこで、シルフィアが無詠唱で解析魔法を発動させる。


(……普通の紅茶ですね)


 前世で毒を盛られたため、物心がついた時には食べ物や飲み物を口にする時は魔法で成分を確認するようになっていた。たとえ紅茶を淹れた相手が元弟子であっても、こればかりはしょうがない。

 そのまま紅茶を飲むシルフィアに大魔導師が微笑んだ。


「さすが師匠。無詠唱で魔法を使えるのは今も昔も師匠だけです」


 素直な称賛にカップから口を離したシルフィアが首を捻る。


「ですが、先程はルカも無詠唱で魔法を使っていましたよね?」


 魔法は詠唱とともに己の魔力を精霊に渡すか、魔法陣を使用しなければ発動しない。それが普通であり、世界の(ことわり)でもある。

 たとえ、水や火を出す初期魔法でも詠唱は必須。しかし、シルフィアの前世である聖女は簡単な魔法であれば詠唱なしで発動していた。それは前代未聞であり、本来なら大騒ぎになるところ。

 しかし、聖女はこれ以上の騒ぎはごめんと隠し通した。そのため無詠唱で魔法が使えることを知っているのは、幼い黒髪の弟子だけだった。


 シルフィアの指摘に、大魔導師が黒髪を揺らして深紅の瞳を細くする。


「実はコレを使いました」


 白い歯が黒い皮の手袋をはめた右手の指先を咥え、そのまま引っ張る。手袋の下から筋張った無骨な手が現れ、その甲には繊細で複雑な入れ墨があった。

 一見すると月や太陽、星に円と蔦が組み込まれた抽象画。だが、よく見れば……


「……これは、いくつかの魔法陣を重ねていますね。魔力の量や流し方を変えることで、複数の魔法を発動することができる……火と水と風と土と、光と闇まで!? これだけの魔法陣を重ねると、魔法が反発しあったり、効力を相殺して威力が半減するので、実際に行うにはかなり難しいのに。机上の空論と言われていた技術を実現させるとは……」


 ここまで一気に言ったシルフィアは顔をあげて満足気に微笑んだ。


「やはりルカは天才ですね」


 師として弟子の成長を誇らしく感じている様子が溢れている。

 その評価に深紅の瞳が嬉しそうに細くなった。


「それを一目で見抜く師匠の方が凄いです。他の者はこれを単なる絵としか見ませんから」

「そうでしょう。ここまでシンプルなデザインにしたら、一見すると魔法陣には見えません。それに、この魔法陣を発動させるには魔力量の調節が重要になります。それこそ職人レベルの繊細な技術となるでしょう。その魔法陣を使いこなせるまで成長して、嬉しいです」

「ありがとうございます。すべては師匠のおかげですよ」


 そこまで言って、大魔導師が子どものように破顔する。職場でも社交界でも見せることがない表情。もし、普段の大魔導師を知る者が見たら卒倒するだろう。

 そんなことなど知らないシルフィアは紅茶のカップを置いて訊ねた。


「ところで、師匠呼びはやめていただけませんか? 今はシルフィア・クライネスという名です」


 うん、うん、と大魔導師が頷く。


「師匠に合った美しい響きの名です。あ、今の私はルーカス・ウィルと名乗っております」

「家名があるのですね」


 家名は男爵以上の貴族しか名乗ることができない。そもそも、魔法を学べるのは貴族のみ。そのため聖女が死んでから後継人がいなければ、魔法を学ぶことさえ不可能な世情。

 シルフィアは前世の死の間際でこのことだけが心配だった。天才的な魔法の才能があるのに、このまま埋もれるのは勿体ない。自分が第二王子と婚約が決まった時、幼い弟子が自分と離れても魔法の勉強ができるように手筈を整えている最中だったのだが、なんとかなったらしい。


 安堵していると、ルーカスが簡単に説明をした。


「師匠が亡くなった後、縁がありまして貴族の養子になりました。義両親は良い方なのですが、自分は養子の身ですので、頼らないようにウィルという家名と男爵の身分を自力で得ました」

「爵位を自分の力で!? 本当に、よく頑張りましたね……って、それはそれで置いといて、私のことは名前で呼んでください」


 話を逸らせなかったか、と無言のまま微笑むルーカス。これは、何がなんでも師匠呼びは変えないという意思の表れ。こういう頑固なところも子どもの頃のまま。

 そのことを悟ったシルフィアは肩を落としてため息を吐いた。


「一度決めたら貫く性格もそのままですね」

「覚えていてくれて嬉しいです」


 目的の本(腐の小説)もなかったシルフィアは紅茶を飲み干して立ち上がった。


「そろそろ、お暇させていただきますね」


 元弟子であるルーカスに背中を向けてドアへと歩く。

 黄金のドアノブに手をかけたところで、背後から影が覆った。襟足から伸びた黒髪がシルフィアの頬を撫でるように垂れさがり、甘い匂いが鼻をくすぐる。


「どのような本がお好みか教えていただけませんか? 次にお会いするまでに用意しておきますので」


 耳元で囁く低い声。普通の淑女なら腰が砕けて崩れ落ちているほどの威力。


 だが、シルフィアは他のことに意識を奪われていた。


(私の好みの本は一種類しかありませんが……同士ではない者には本の存在さえ知られるわけにはいきません。それに、何かの拍子で騎士団長とルーカスの恋愛本を読んで、騎士団長との仲に亀裂が入るようなことがあっては……ハッ!)


 ドアノブを見つめたまま翡翠の瞳が煌めく。


(それは、それで、美味しいかもしれません! 騎士団長との仲を意識するようになり、突然、距離を取るようになったルカ。理由が分からず、ひたすら追いかける騎士団長……二人はそのまま王城の人気のない場所……もしくは、この執務室へ……キャー!!!!!!!! ここが、二人の愛を育む神域に!!!!!!)


 脳内で繰り広げる妄想に狂喜乱舞しながら叫びまくるシルフィア。

 だが、表情には微塵も出さず、優雅に振り返った。



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