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広間から執務室へ

「大丈夫です?」


 反応のない妹を助け起こそうとしたが、シルフィアの腰を黒い手が掴んだ。そのまま、大魔導師がグイッと引き寄せる。


「オレを愛称で呼んでいいのは、師匠だけです」


 顔をあげれば、とろけるような微笑みを浮かべた大魔導師。深紅の瞳が蜂蜜よりも甘く見つめる。

 その麗しすぎる表情に、野次馬……もとい、状況を見守っていた淑女たちから羨望まじりのため息が落ちた。しかし、その顔を一番間近で見ているシルフィアにはまったく響かず。


「えっと……その、今の私は師匠ではありませんから。それに、妹を助けないと」

「その者は衛兵に家まで送り届けさせますので、心配ありません」


 言葉通り素早く現れた衛兵がベルダを支えて控室へ連れて行く。焦点の合わない目は、今晩のことを覚えているかも怪しい。


「では、私も一緒に帰ります」


 シルフィアが大魔導師の腕から抜け出そうとするが、まったく動けない。困って顔をあげると、美麗な顔がにっこりと微笑んだ。


「私の執務室で話をしませんか? ここまで、いろいろありましたし」

「ですが……」

「本(魔法書)もいっぱいありますよ。お好きでしょう?」


 前世では魔法書しか読むことが許されず、することがない時はひたすら読み漁っていたシルフィア。だが、今は様々な本が読めるため、魔法書にはそんなに興味がない。

 それどころか、今一番興味がある本と言えば……


「本(腐の小説)がいっぱいありますの!?」


 思わず叫んでしまったところでシルフィアが我に返る。


(腐の小説は同士しか持っていないはず。ルカが同士という確証はどこにもありませんし、もし違ったら……)


 無言で高速回転させていると大魔導師が笑顔で言った。


「師匠のために珍しい本(魔法書)を集めました」

「私のために珍しい本(腐の小説)を!?」


 珍しいという言葉に、脳内にいる白(理性)と黒(欲望)のシルフィアが論争を始める。


『落ち着きなさい。ここは吟味するのです』


 清楚な白いドレスのシルフィアに対して、肌の慮出が激しい黒いドレスのシルフィアが反論する。


『何を言ってますの!? すぐに行くべきです!』

『ですから、冷静に見極めるべきです!』


 冷静に説く白いシルフィアに黒いシルフィアが叫ぶ。


『据え膳を読まないのは、腐を嗜む者としての恥ですわ!』


 その言葉に白いシルフィアがハッ! とした顔になる。


『私が間違っておりましたわ!』


 欲望に理性が負けた瞬間だった。

 白いシルフィアと黒いシルフィアが固い握手をする。


 そこに大魔導師が笑顔でとどめをさした。


「はい。師匠が読まれたことがない本(魔法書)がたくさんありますよ」


 読んだことがないという言葉にシルフィアの好奇心が刺激され……


「ぜひ、その本(腐の小説)たちを読ませてください!」


 こうして、お互いに微妙なすれ違いが起きていることに気づかないまま、二人はざわつく周囲を気にすることなく広間から退場したのだった。



 王城にある大魔導師の執務室。

 壁一面の本棚とローテーブルとソファー。部屋の奥には執務机という味気ない部屋。


 そこで、大魔導師が紅茶を淹れてローテーブルに置いた。


「気になる本(魔法書)がありましたら、どれでもお取りください」


 最初は喜々として本棚を見上げていたシルフィアだが、綺麗な眉がだんだんと下がっていく。


(ですよね……そうですよね……ルカが同士なわけありませんものね……わかっていました……わかっていましたよ。私が同士を見抜けない未熟者なだけです。わかっていました……わかっていました、が……)


 麗しい殿方たちの恋愛話が書かれた本を期待していたのに、それらしき本が一冊も見当たらない。もしかしたら、本棚が二重になっていて裏に隠されているのかと魔法で探ったが、それらしき仕掛けさえもなかった。


 心の中で盛大に崩れ落ちるシルフィア。翡翠の目からハラハラと零れ落ちる涙は止まらず、水溜まりとなり、池となり、湖となっていく。


 その影響は表面にも出ていて。いつも通り無表情を貫いてはいるが、今回はショックが大きかったため魔力が重く圧し掛かり、亜麻色の髪がペタリと沈んでいる。


 その様子に大魔導師が素早く気づき、声をかけた。


「いかがされました? もしかして、読まれたことがある本ばかりでしたか?」

「いえ……その、読んだことがない本がたくさんあります、が……」


 言い淀むシルフィアに大魔導師は困惑しながらも状況を変えることにした。


「気になる本がないのであれば、こちらへどうぞ」


 子どもの頃の記憶では、師である聖女は自分に魔法を教えている時間以外は魔導書を読んで過ごしていた。そのため、魔法に関する本が好きなのだと思い、自分も同等……いや、それ以上の知識を得るなるため古今東西から本を集めた。

 それなのに、師を満足させる本を用意できなかった。その悔しさを胸の内に隠したまま大魔導師がソファーに腰をおろす。


 そこで、失意とともに本棚から振り返ったシルフィアが固まった。


「……あの、どちらに座ればよろしいのでしょうか?」

「ここへ、どうぞ」


 困惑する翡翠の瞳の先にはソファーに腰かけて両手を広げる大魔導師。全身でここに座れと誘導している。

 どうして、そうなったのか分からず躊躇していると、漆黒の髪が寂しげに揺れた。


「昔は私を膝にのせて本を読んでくれたではありませんか」

「それは、そうですが……」


 確かに魔法を教えるため膝に座らせて本を読みながら講義したこともある。だが、それは子どもだったからで、今は成長した大人だ。


 悩んでいると深紅の瞳が甘えるように下から覗いてきた。


「この体では師匠の膝にのることはできませんから……ダメですか?」


 体格差を考えれば当然のこと。でも、その雰囲気は前世と同じ懐かしさが漂っており、気持ちが過去に引き戻される。


 拾った時は傷だらけで骨だらけのやせ細った男の子だった。

 常に周囲を警戒して、攻撃的で、誰も信用しない、野生の野良猫のような子。しかし、根気強く相手をしているうちに少しずつ心を開き、子犬のように慕い甘えてくるように。魔法を教えれば乾いた砂が水を吸収するように次々と覚え、将来が楽しみだった。


 再び会えるとは思っていなかったのに、まさか大魔導師になっているとは。


 艶やかな漆黒の髪に、宝石よりも煌めく深紅の瞳。眉目秀麗を体現した顔立ちに、鍛えられた体躯。


 どこからどう見ても立派な好青年なのに、捨てられた子犬のような表情で見上げてくる。その姿に、シルフィアの心の柔らかいところがチクチクと刺激され……


 軽く息を吐くとシルフィアは黒い服の中に腰をおろした。懐かしい魔力に不思議と落ち着く。


 そこに、そっと逞しい腕が体を包んだ。


「ル、ルカ!?」


 驚いて顔だけ振り返ると、首に黒い髪が埋もれた。


「本当に、師匠なんですね」


 噛みしめるように呟いた言葉。その中に渦巻く複雑な感情。


 親のように慕っていた者の突然の死。それが、どれだけの衝撃だったが想像に難くない。10歳にも満たない子がそこからどう立ち直り、大魔導師にまでなったのか。

 その苦労を想像すれば、シルフィアはかける言葉が見つからず、黙っているしかなかった。


 重い沈黙の中、小さな呟きが落ちる。


「……今度こそ、守り抜きますので」

「え?」

「安心してください。毒を盛った犯人は家ごと潰しましたから」


 ヒュッと空気が凍った音がした。



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