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聖女から腐を見守る者へ

「ずっと、お会いしたかった」


 悲しみと懐かしみと喜びがこもった声とともに、シルフィアは痛いほど抱きしめられていた。

 服越しに感じる厚い胸板と、逞しい腕の感触。魔導師なのに騎士並みに鍛えられた体。そのことに驚いていると、襟足から伸びた黒髪が白い頬に触れ、甘い香りが鼻をくすぐった。


 二人の周りには何事かと集まってくる人々。しかし、見えない壁があるように、一定の距離を開けて近づかない。


 ポッカリと開いた円の中心に、抱き合う男女……というより、一方的に抱きしめられているシルフィア。


「あ、あの……?」


 とんでもない事態に頭が真っ白になっているが、表情は微かに困惑している程度のシルフィアがどうにか声を出す。すると、体を縛っていた腕が緩んだ。

 次に大魔導師が一歩離れ、片膝をついて顔をあげる。

 まるでお伽噺に出てくる騎士のようなキリッとした姿勢と雰囲気。でも、表情は宝物を見つけたようなとうっとりとした笑みのまま、黒い手袋をした右手を差し出した。


「お久しぶりです、師匠。いつかお会いできると思っておりました」


 前世の記憶にある声よりずっと低い。でも、耳に心地よく胸がくすぐられる……が、それよりも。


「……私が、わかるの?」


 シルフィアが翡翠の目を丸くしていると、二人の間にズガズガと騎士団長がやってきた。


「王族相手でも不敬な態度のおまえが、どうした? 腐ったモノでも食べたか?」


 その指摘に大魔導師が片膝をついたまま顔を動かして睨みあげる。

 不機嫌丸出しで怒りと殺気に満ちており、うっとりとした笑みを浮かべていた人物と同一には見えない。

 殺気がこもった深紅の瞳が鋭い声とともに騎士団長を刺す。


「黙れ。逢瀬の邪魔をするな」

「おー、おー。それでこそ、ルーカスだ」


 赤髪を揺らしながら騎士団長が腕を組んで安心したように頷く。

 そんな二人のやり取りにシルフィアが表情を変えることなく、心の中だけで歓喜の雄叫びをあげた。


(この一瞬で相手が普段と違うことを見抜き、一言でいつもの調子に戻す! これぞ愛が生せる技ですわ!)


 息の合った熟年夫婦のようなやり取りと感じ取ったシルフィアはつい言葉を出してしまった。


「立派になったのね、ルカ。これで騎士団長と幸せになってもらえたら言うことはありませんわ」


 ずれた親心が詰まった呟きを拾った大魔導師が目を丸くした。


「なぜ、こいつと幸せにならないといけないのですか?」

「あら、聞こえてしまいました? 安心して、私は壁となって見守りますから」


 強い意志とともに翡翠の瞳がにっこりと微笑む。


 公には言えない殿方同士の恋愛関係。その山あり、谷ありの物語を壁となって見守る。それが今世での、シルフィアが決めた生きる道。


 それが、たとえ『命懸けの嗜み』と言われていても。


 シルフィアが決意を新たにしていると、甲高い声が近づいてきた。


「お姉さま! 何をしてますの!?」


 ベルダが大魔導師と騎士団長に囲まれたシルフィアの間に入り、素早く頭をさげる。


「不出来な姉が失礼をいたしました」


 それから、顔をあげて媚を売るように体をくねらせながら微笑んだ。


「お二人には、こちらでお詫びを……」


 甘い声と流し目で誘惑するベルダ。これをきっかけに二人とお近づきになろうという算段らしい。

 そのことに、これまでベルダからどんな仕打ちを受けても淡々と流していたシルフィアの眉間にシワが寄った。


(薔薇に挟まるつもりですの!? 二人の関係は壁となって見守るからこそ尊いのに!)


 薔薇とは愛し合う殿方同士のことであり、その二人の間に割り込むことを挟まると表現することがある。解釈は人それぞれだが、殿方同士の純粋な恋愛の中に女性が入ることを良しとしない人もおり、シルフィアもその一人であった。


 怒り混りの魔力が溢れ、こめかみから下がる亜麻色の髪の先が針のように鋭く尖る。それでも、表情は少し不機嫌な程度に抑えたまま、ベルダの愚行を止めようと踏み出した、その瞬間。


「……誰が、不出来だ?」


 轟くような低音の声が空気を裂いた。


「へ?」


 ベルダの間抜けな声を踏みつぶすように大魔導師が立ち上がる。


「失礼なのは、おまえだ。いきなり現れて、師匠を侮辱するとは。消し炭になっても文句はないんだろうな」


 感情が見えない言葉とともに黒い左手が動く。

 その魔力の流れと大きさに前世の記憶を刺激されたシルフィアは思わず床を蹴った。


「ダメよ!」


 言葉とともに大魔導師の黒い腕に飛びつく。


「師匠……」


 拗ねたような不満混りの声に対して、シルフィアが立てた人差し指を深紅の瞳の前に突きつけ、子どもに言い聞かすように諭す。


「こんなところで魔法を放つのはダメよ。魔法は正しく使いなさいって何度も教えたでしょう?」

「……はい」


 素直に頷きながらも、どこか感動したように目を滲ませている大魔導師。その表情に周囲の人々が驚愕し、ざわつき始めた。


 王族に対しても冷淡で不躾な態度をとることで有名な大魔導師。通常なら不敬罪で処刑されてもおかしくないが、これまでの功績で首が繋がっている。


 そんな大魔導師が素直に頷き、従った。しかも、相手は名も顔も知られていない小娘。


 明日は天から大量の剣が降ってくるのではないか、と野次馬たちが恐怖に慄く。


 だが、そんなことはおかまいなしのシルフィアは元弟子がおとなしく魔力を収めたため、黒髪に手を伸ばした。


「いい子ね、ルカ」


 前世の記憶と同じようにヨシヨシと頭を撫でる。


 この状況に悲鳴に近い声があがり、広間が凍った。

 これまでに、幾人もの淑女が大魔導師と接点を持とうと、目の前でハンカチを落としたり、差し入れをしたりしたが、すべて玉砕。中でも髪に触れられることを極端に拒否しており、触れようとしただけで魔法で氷漬けにされた令嬢も。


 そんな大魔導師が目を細めて穏やかに撫でられ続けている。


 唖然とした空気が広がる中、シルフィアは久しぶりの弟子の髪の感触を堪能していた。艶やかで滑らかな漆黒の髪。記憶の中にあるより長く伸びた襟足。変わっているところもあるが、変わっていないところもある。


 柔らかな感情に浸っていると、嫉妬混じりの癇癪声が裂いた。


「お姉さま! 敬称もつけずに名前をお呼びした上に、頭に触れるなんて! ルカ様に失礼ですわ!」


 その指摘にシルフィアがハッとする。つい前世のクセで愛称呼びをしてしまったことに気づき、慌てて手を引っ込めた。

 だが、そのことで穏やかになっていた深紅の瞳が怒りに染まり……


 ドン!


 重い音と同時にベルダの足元に大穴が現れた。

 大穴を開けた犯人はドス黒いオーラを放つ大魔導師。しかも、魔獣さえも逃げ出す威圧と迫力付き。


「おまえごときが、オレの名を口にするな」


 常人がその圧力に耐えられるはずもなく、ベルダはガタガタと全身を震わせて顔を青くしたまま、その場に座り込んだ。

 その光景に人々がざわつく。それは、ベルダを攻撃したことへの非難ではなく……


「詠唱は聞こえたか?」

「いや」

「詠唱なしで魔法を使ったということか!?」

「さすが大魔導師だ」


 自然と集まる尊敬と畏怖の視線。

 それを遮るように、騎士団長が飄々と説明をした。


「ルーカスを愛称で呼んだヤツは、もれなく大怪我コースなんだよ。これぐらいで済んだお嬢さんは運が良かったな」


 声をかけられたベルダだが、腰を抜かしたまま動く様子がない。

 ポカンと口を半開きにしたまま、宙を見つめる間抜け顔は淑女としてあり得ない姿。さすがに憐れになったシルフィアは、先程の怒りを収めて手を伸ばした。




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