社交界の壁、見つかる
「今日は出席者が多いな」
「例のウィズ公爵家の子息が顔を出すって噂があったからだろ」
「あぁ、先王の妹君の」
「結婚適齢期を過ぎても独身を貫いている美男子という噂だからな。あわよくば嫁ぎたいという令嬢が多いのさ」
この会話だけでシルフィアの妄想が高速回転を始める。
(ウィズ公爵家といえば、先代の王の妹君の家名で王家との繋がりも強いとお聞きしたことが。そんな家の子息であれば跡継ぎのためにも結婚の一つや二つ、していてもおかしくないのに。しかも、美男子となれば、なおの事。それでも未婚を貫いているのは、一途に想い続けている相手がいる可能性も……ハッ! もしや、高位な身分であるがゆえに表に出せない相手、つまり相手も高位貴族の殿方! い、いえ、そうとは限りませんわ。相手が女性の場合も……ですが、私としては、相手は殿方であっていただきたい…………顔を見せない美しき公爵子息の心を射止めたお方について、もう少し詳しくお話を……!)
心の中で、もっと話を聞きたいと床に這いつくばり手を伸ばす、もう一人の自分。しかし、もう一人の自分が倒れている自分の足首を掴んで引きずっていく。その目には涙が浮いており、キラキラと星屑のように散って……
(すべては同士との約束を果たすため! 時には冷酷無慈悲な判断も必要です!)
盛大に後ろ髪を引かれているが、そんな様子を微塵も見せずにシルフィアが足を運ぶ。
目指す先は、燃えるような真っ赤な髪の騎士団長。国中の騎士をまとめている騎士団長は有力貴族との交流と、要人の警護として出席しているはず。
一方の大魔導師は魔法の研究、裏からの護衛が仕事の大魔導師団の中でも、最年少で大魔導師の称号を授かった随一の実力者。このような華やかな場には姿を見せない、が……
「要人が集まる社交界では裏から護衛をするのが魔法師団の仕事。つまり、表から見守っている騎士団長の近くを探せば見つかるはずです!」
自分の予測に絶対の自信を持つシルフィア。
腐小説では騎士団長と大魔導師はお互いの実力を認め合っているものの、表と裏から国を護る騎士団と魔導師団という立場から、互いに敵対視しており不和であることは有名。そのため騎士団長と大魔導師も、顔を合わせればいがみ合っている。
ジレジレの両片思い。お互いを想い合いながらも、立場上それを出せない葛藤。その関係性が尊すぎて、ハラハラしながらも見守り、応援している読者が多い。
(その光景を生で拝見できるなら……)
高鳴る胸の鼓動を抑えながら気配を消して騎士団長を探していると、華々しい広間の中でひときわ賑やかな場所が目に入った。
「もしかして」
色鮮やかなドレスに囲まれた一画。その中心には求めていた人が。
「本の通りですわ!」
思わず声が出てしまい、慌てて扇子で口元を隠しながら部屋の隅へ素早く移動する。それでも、目的の人物から視線は外さずに。
炎のように逆立った赤髪。太い眉に吊り上がった琥珀の瞳。騎士服の上からでも分かる、立派な筋肉。腰から剣をさげ、完璧なほど整った体躯は彫像のように逞しい。
視線だけで敵を射殺すと言われるほどの強面だが、今は穏やかな声で令嬢たちと会話を楽しんでいる。
その光景に背中を壁に張り付けたシルフィアが海溝より深く、宝石より煌めいたため息を漏らす。
「素晴らしいですわぁ……」
騎士団長はもうすぐ30歳という結婚適齢期をとっくに過ぎた年齢。それにも関わらず、いまだに独身。決してモテないわけではなく、むしろ様々な淑女が婚約を申し込んでいる。それなのに、すべて断り未婚だという。
一方の大魔導師も似たような状況。
端正な外見で、申し込まれた婚約は数知れず。だが、すべてを断った上に、28歳という年齢ながらも浮いた話は一度もない。
そのため、二人とも心に決めた人物がいるのではないか、という噂が流れ、それがいつからかお互いを想いあっている、と変化。その噂が腐の心をくすぐり、想像をかきたてる小説が流布された。
壁と一体化しているシルフィアが頬に手を当てて妄想の花畑を広げる。
「きっと大魔導師もこの光景を影から見て、嫉妬や恋慕などの様々な気持ちと葛藤しているのでしょう。あぁ、なんて尊いの……」
淑女に囲まれた騎士団長を影から見つめる大魔導師。しかし、その光景に耐えられなくなり、そっとその場を離れる。そのことに気づいた騎士団長が気配を消して追いかけ、二人は暗がりへ……
(素晴らしすぎます!)
大声で叫びたい衝動を必死に堪え、全身に力を入れて目を閉じ、天井を仰ぐ。
それからキリッとした顔で正面をむいた。
煩悩を断ち切ったような表情だが、脳内では先程の妄想が繰り広げられたまま。あれよ、これよ、とイチャつく二人の展開を幾重にも想像していく。
そこに、前触れなく広間がざわついた。
「おい」
「なんと」
「姿を見せるとは、めずらしい」
「どうされたのかしら」
人々が囁きながら入り口へ視線をむける。
しかし、妄想の世界にどっぷりと浸かっているシルフィアはまったく気づかず、キリッとした表情だが、目だけは今にも蕩けそうなまま妄想の世界を見つめている。たとえ竜巻が起きて屋根が吹き飛ばされても気づきそうにない……の、だが。
「大魔導師が来たぞ」
その一言で、翡翠の瞳が現実に戻った。
亜麻色の髪が揺れ、グルン! と首が飛びそうな勢いで入り口の方を向く。
そこには、真っ黒な魔導師の服を着た美丈夫が不機嫌な顔で立っていた。
襟足だけが長く伸びた漆黒の髪。涼やかな深紅の瞳。まっすぐな鼻筋に薄い唇。精悍な顔立ちと、適度に鍛えられた体が目を惹く。
容姿端麗や眉目秀麗など、どんな言葉でも表現しきれない美しさと逞しさを備えた容姿。
「本の通り……いえ、それ以上のお姿。あの方が大魔導師の……」
と、ここでシルフィアの脳裏に前世の記憶がよみがえった。
聖女として命令されるまま国中を駆けまわっていた頃。
ある日、戦場で倒れていた子どもを拾った。本来なら養子先を探すところだが、その子どもは黒髪と赤目のため、不吉を呼ぶ忌み子と呼ばれ、養い手はおらず。この状況に聖女は周りの反対を押し切って子どもを保護した。
子どもはたぐいまれな魔法の素質があり、聖女は己の魔法技術を惜しみなく教えた。その結果、最初は反発ばかりだった子どもは弟子となり、聖女にだけ懐き、番犬と呼ばれる存在に。それはそれで扱いに苦労したが、聖女の孤独を癒すには十分だった。
そのため、死ぬ時に唯一の心残りにも。
「大魔導師になるなんて……いっぱい頑張ったのね。あとは騎士団長と幸せになってくれれば……」
相手は今の自分より年上だが、つい親目線になってしまい目尻が緩む。
気配を消して見つめていると、深紅の瞳がこちらを向いた。そのままカツカツと足音を鳴らしてやってくる。その行動にシルフィアの魔力が期待と希望で溢れ、こめかみから垂れた亜麻色の髪の端がピョコピョコと揺れた。
(あぁ! 令嬢に囲まれた騎士団長の姿に我慢できず、声をかけるのですね! なんて声をかけるのでしょう? 小説の中でよくあった『女にかまけている時間があるなら、少しでも剣の腕をあげろ(意訳:オレをかまえ)』でしょうか? それとも無言で騎士団長の手を取って……キャー! ぜひ、令嬢たちから奪い去っていただきたいですわ!)
心の中では狂喜乱舞の興奮絶頂。満面の笑顔で扇子を振りかざし、振付けつきで声援を送る。だが、表面には一切出さず、壁となって扇子の下から平然と成り行きを見守るのみ。
そんなシルフィアの前で騎士団長が突進してくる大魔導師に気安く声をかけた。
「おい、ルーカス。そんなに顔を強張らせて、どうした?」
まるで長年の友人のような雰囲気にシルフィアの眉がピクリと動く。
(小説ではいがみ合う関係でしたが、現実は違う……ハッ! いがみ合っていた時期は超えて、友情に見せかけた溺愛期に!? それは、それで最高ですわ! それとも、穏やかな関係になったばかりで、これから愛を育む時期に……そんな貴重な転換期をこの目にできるなんて、なんて僥倖なのでしょう!)
夜空の星より多くの本を読んで鍛えられた妄想力は、幸か不幸か想定外の事態でも即座に補えるほどに。
無表情のまま気配を消して壁となり、ひたすら見守る姿勢を貫いているシルフィアの前で、大魔導師が騎士団長を囲んでいた令嬢たちを蹴散らすように進む。
その光景に腐への期待がますます膨らんでいき……
(これから、大魔導師が欲望のまま騎士団長の手を掴んで広間からさらっていくのですね!)
バラ色の未来に全身が震え、昇天しそうになる意識を必死にとどめる。
「なんて素晴らしい愛なのでしょう……」
自分の妄想に酔うシルフィア。
しかし、ここで想定外のことが起きる。
大魔導師が騎士団長を無視して突き進んできたのだ。迫ってくる黒い魔導師服に思考が止まる。
「え?」
完璧に壁の一部となっているはずなのに。誰にも気づかれていなかったのに。
その証拠として、気配に敏感な騎士団長でさえシルフィアの存在を察知していなかった。微かな驚き混りの琥珀の瞳と視線が合う。
広間の人々が大魔導師の行方と、壁になっていたシルフィアに注目する。
(に、逃げなくては!)
さりげなく一歩踏み出したところで、シルフィアは黒い服に包まれた。