疑念から婚約発表の準備へ
王弟の作戦を聞き終えたところで、剣の鞘から手をおろしたアンドレイがニッと口角をあげた。
「それなら、確実に証拠を探せます。すぐ動けるように準備しますので」
作戦が成功すると確信しているアンドレイとは反対にルーカスが淡々と王弟に訊ねた。
「だが、それで本当に証拠が出るのか?」
「証拠が出るまで捜索すればいい」
即答したのは王弟ではなく宰相だった。しかも、証拠があると疑っていない様相。
そこにアンドレイが王弟の作戦を支持するように言った。
「聖女を毒殺した証拠がなくとも、汚職や賄賂の痕跡があるはずだ。こちらに何かしらの利益はある」
この国は当初、王政であった。しかし、隣国との戦争が激化し、長期化してくると政権の主体は軍へと移行。王は飾りの存在となり、軍全体に汚職、賄賂が横行した。
結果、国力は低下し、国は腐敗。民は重税と終わりが見えない戦争に苦しんだ。
そんな低迷を極めた国にとって、聖女は文字通り救いとなった。
彗星のごとく現れ、騎士や兵とともに強大な魔法で敵を散らし、荒れた土地を魔力で潤し、怪我で苦しむ人々を分け隔てなく治療した。その姿は伝説となって語り継がれるほどに。
一方、先代の王は密かに根回ししていた政略と、軍が弱っていたところを突いて政権を王側へ奪取。最後の仕上げとして、軍の象徴となっていた聖女が第二王子と結婚することで、軍を王政へ取り入れ、民からの支持を固いものにしようとした。
だが、婚約発表の時に聖女を毒殺され計画は失敗に。実行犯はすぐに捕まったが、裏で指図をした人物、黒幕まではたどり着けず。ただ、軍でしか扱われていない毒や状況から、軍師に就任したばかりのチャペス侯爵が疑われていた。それでも、決定的な証拠がないため聴取することもできないまま時は流れ……
自分を拾い、育てた師匠である聖女を殺した黒幕を見つけたいルーカスにとって、チャペス侯爵の賄賂や横領はどうでもいい。
重要なのは毒殺犯の黒幕であるのか、ないか、のみ。
ルーカスが低い声とともに宰相を睨む。
「軍師は古参の騎士や有力貴族との関係が強い。聖女毒殺の決定的な証拠がなければ、うやむやにされるだけだ」
言葉とともに睨むルーカスに宰相が命令する。
「だからこそ、こちらの動きを察知される前に決行して証拠を掴む。この期を逃したら次はない。明日の夜までに準備を整えろ」
「ハッ!」
アンドレイは頭をさげると、不満が残るルーカスを引きずりながら執務室を出た。
薄暗くなってきた王城の廊下を早足で進むが、ルーカスの歩みは遅い。
その様子にアンドレイが振り返って声をかけた。
「聖女毒殺の黒幕を捕まえるのは、おまえの悲願だろ? それが叶うかもしれないんだぞ」
その言葉に深紅の瞳がサッと周囲を確認した後、目だけを外へ向けた。それだけで何かを察したアンドレイが無言になる。
そのまま二人は一言も言葉を交わすことなく城の外へ出た。
シルフィアがいれば『目だけで語り合う仲! なんて深い愛の証!』と、喜んだだろうが、残念なことにこの場にはいない。
薄暗い影が伸びる中、帰宅する街の人々の中に紛れたところでアンドレイが歩きながらルーカスに訊ねた。
「ここでなら話せるか?」
多種多様な人々が行き交う市井とはいえ、真っ赤な髪の騎士服と真っ黒な髪の魔導師服を着た男が歩くとさすがに目立つ。
『薄紗にて我を水沫とせん』
ルーカスはさりげなく認識疎外魔法と遮音魔法で自分たちを包み、他人に会話を聞かれないようにしてからアンドレイに言った。
「今回の件だが、違和感がなかったか?」
「違和感? どこが?」
隣で首を捻る赤髪に重いため息が落ちる。
「めでたい頭だな」
「前置きはいいから、さっさと言え」
「今回の件は軍師にしては動きが早いし、手際が良すぎる。そもそも、おまえさえも知らなかったオレの婚約情報を、軍師はどこから知った?」
この国では貴族が婚約する場合、書類を王に提出する必要がある。そこで異議を申し出る者がいなければ結婚となるのだが、ルーカスはまだその書類を提出していない。
ワイアットは新しい使用人の採用と婚約書類の手続きで忙しく、そこから情報が漏れたとは考えにくい。ルーカスは当然、誰にも婚約のことは話していない。
「……そういえば、そうだな」
「オレの婚約情報を知るだけの情報網を軍師は持っていない」
「それは、そうだが……待て。その情報を知るだけの情報網を持っている者となると……」
先王は情報戦を得意とした。それは影と呼ばれる密偵を王都だけでなく国中に配置し、様々な情報を集め、操ったからだ。一方で軍も独自の情報網を持っているが、権力が弱くなった今では影ほど情報を集める力はない。
緊張するアンドレイに再び深いため息が落ちる。
「これぐらい言われる前に気づけ。その頭は飾りか? いや、飾りだったか」
「本っ当ぅぅぅぅに! そういうとこだぞ! 俺じゃなかったら、殴られているからな」
怒りに赤髪を逆立てながら黒い魔導師服の胸に人差し指を突き刺す。
しかし、ルーカスは平然としたまま。
「その前に吹き飛ばすだけだ」
言葉とともに黒い手袋をはめた右手を動かす。
それ対して、アンドレイが軽く肩を落として諦めたように言った。
「はい、はい、そうだな。そのよく切れる頭と魔力で、どんな相手でも黙らせてきたからな。で、俺はどう動けばいい?」
史上最年少で魔導師団最強の称号である大魔導師の名を授かった切れ者は、いつも想像の斜め上を軽く飛び越えた大災害を起こしてきた。最終的には、その強大な魔力で強制的に黙らせることが多いが。
「おまえの好きに動け」
予想通りの答えにアンドレイは頷きながら横目で隣を覗いた。
「わかった。で、何を企んでいる?」
そこには感情のない人形のように整った顔が正面を向いていた。暗闇よりも底がない漆黒の髪が風になびき、光のない深紅の瞳がここではない、どこかを見つめる。
「企んでなどいない、が」
言葉を切り、フッと微かに上がる口角。その美しくも不気味さが漂う表情に、何故かアンドレイの背中に寒気が走った。
~※~
翌日。
ルーカスの屋敷は朝から商人が応接室に大量の商品を並べていた。
色鮮やかながらも派手過ぎず、かつ流行をおさえた上品なドレスたちにサラが目を輝かせながらシルフィアに声をかける。
「お嬢様、素晴らしいドレスばかりですよ!」
「……そうね」
興奮を隠さないサラに対して、ソファーに座ったまま本を読み続けるシルフィア。昨日は帰宅してからマギーに淡々と説教をされ続けた上に、罰として本を没収されていた。
そのため今朝から本に釘付けなのだ。
「こちらの色はお嬢様の髪色に映えますし、このデザインは体のラインが綺麗に見えます!」
「……そうね」
「どのドレスにしましょう!?」
「……そうね」
「お任せくださいますか!?」
「……そうね」
本に全集中しており、生返事の連続。
だが、興奮絶頂のサラはまったく気にしていない。思う存分、シルフィアを着飾るため活き活きと品定めをしていく。
「ドレスだけでなくアクセサリーも素敵な物ばかりですわ! この髪飾りはお嬢様の亜麻色の髪にピッタリですし、耳飾りはこれが良いですね! でも、過度に飾っては下品になりますから、そうならないように……そういえば、赤色の宝石はありますか?」
商人から次々と商品を引き出すサラ。
そこで、お財布もとい、この屋敷の主人であるルーカスに視線を移した。実は最初から応接室にいたのだが、気配を消していたため、商品を持ってきた商人でさえ、存在を忘れかけていた。
興奮を抑えるように軽く咳払いをしたサラが粛々と訊ねる。
「予算はいかほどでしょうか?」
「いくらでも。好きにしろ」
その言葉に商人とサラの目が光る。それから、サラの丸い目がルーカスを頭の上からつま先まで、じっくりと観察した。
「失礼ですが、どの服を着て出席されますか?」
「は?」
「お嬢様と並んだ時に一番見栄えが良くなるようにしなければ!」
サラの勢いに押されながらもルーカスが淡々と答える。
「……オレが着るのは魔導師服と決まっている」
「でしたら、小物でお嬢様と揃えましょう」
その言葉に応えるように商人が男物の小物を並べていく。
手が込んだ逸品揃いの品々にサラが腕まくりをして気合いを入れる。
「では、選びますよ!」
こうしてシルフィアが夢中で本を読んでいる間に準備は着々と進んでいった。