元聖女、怒られる
『師匠、本を読まれるなら帰ってからにしてください』
呆れ混りの声の主は半透明な姿のルーカス。
実体はなく魔法で容姿と言葉を飛ばしているだけ。簡単には使えない高度な魔法なのだが、シルフィアは驚くことなく普通に話しかけた。
「どうして、私がいる場所がわかりました?」
『そんなことより、私としては、なぜそこに閉じ込められているのか、の方が気になります』
「別に閉じ込められていませんよ?」
頬に手を当てて不思議そうに首を傾げたシルフィアにルーカスが肩を落とす。
『そうですね。師匠ならいつでも出ることができますから、閉じ込められてはいませんね。ただ、一般的には閉じ込められている状況です』
「あら、ルカに一般常識を教わるなんて。昔を思い出しますわ」
可憐な唇がフフフと懐かしそうに笑う。
平民上がりの男爵令嬢だったが、幼少の時に魔力判定の儀で強大な魔力持ちであることが発覚して、すぐに聖女教育の日々。それが終わると、有無を言わさず軍に連れられて戦地を駆け回っていたため、一般常識など学ぶどころか触れる機会さえなかった。
そのため一般的なことに疎く、ルーカスを拾ってからは常識がないと何度も言われた。
『昔話は帰ってきてからしていただきたいのですが』
「……そうね」
シルフィアが渋々、本を閉じる。
そして、軽く息を吐くと頭を切り替えてルーカスに訊ねた。
「少し気になることがあるので、それを終わらせてから帰ってもいいかしら?」
『遅くなるなら迎えに行きますが?』
「すぐ済みますから大丈夫よ」
白い手が鍵のかかった地下倉庫のドアノブを握る。それだけで施錠してあった鍵が開いた。
「では、行きましょうか」
音もなくドアを開け、壁になるために鍛え上げた身体能力を使い、誰にも見つかることなく二階の奥の部屋へ。
そこは過剰なほどの装飾品とフリルで飾られていた。
アンティークの家具に、豪華な天蓋付きのベッド。大きなぬいぐるみに、煌びやかな宝石。様々な物が乱雑に飾ってある。
父であるワイアットと、母であるドロシーに溺愛されたベルダの部屋。
シルフィアの質素で使用人のような部屋とは正反対。
しかし、シルフィアはまったく気にする様子なく、部屋の中に入って派手な作りの鏡台に触れた。
『綾糸を辿りて夢人をその身に映せ』
詠唱で鏡に映っていた室内がぐにゃりと歪み、黒一色となった。
だが、よく見れば微かに何かある。例えるなら先程までシルフィアがいたような場所。ただし暗すぎて、ほとんど見えない。
「ここにベルダが? どこにいるのでしょう?」
シルフィアが首を捻って観察していると、暗闇の中から甲高い癇癪声が響いた。
『私はワイアット・クライネス伯爵家の令嬢、ベルダ・クライネスですのよ!? このようなことをして、ただで済むと思っていますの!? 早く出しなさい!』
勝気に叫び続けるが、裏に恐怖が滲む。魔力があり魔法も使えるベルダだが、この状況に光球を出す余裕もないらしい。ただ闇雲に叫び続けている。
その様子を鏡越しに眺めながらシルフィアが頬に手を当てて首を傾げた。
「どうしましょう?」
軍師であるチャペス侯爵家の養女に、という話の時点であまり良い感じはしなかったため、何となく気になってベルダの現状を鏡に映しだしたのだが、まさかの状況。
「助けるべきなのでしょうけど……」
ベルダは自分にとって腹違いの妹にはなるが、それだけ。それ以上でも、それ以下でもない。親しい間柄ではないし、腐の同士でもない。
ある意味ベルダの自業自得的なこの状況にどう動くべきか。
悩むシルフィアにルーカスの幻影が声をかける。
『そういえば、何故このような状況に?』
当然の疑問にシルフィアがドロシーから言われたことを話した。
『私の婚約者を軍師の養女にすると? ……詳細はこちらで調べますので、師匠は帰ってきてください』
「お父様に知らせるべきかしら?」
『いえ。私に考えがありますので、黙っていてください』
「わかりました」
シルフィアが屋敷を出ると、太陽が頂上を超えて傾き始めており……
「大変!」
出発をしたのは朝の紅茶の時間だったのに、昼食の時間を軽く過ぎている。本を取りに戻っただけにしては時間がかかりすぎた。
急いでルーカスの屋敷へ帰ると、息を切らしながら走ってきたサラが抱きついた。
「お帰りが遅いので、心配しておりました!」
「ごめんなさい、お父様と少しお話をしていて。用件は無事に終わりました」
そう説明しながら、シルフィアが本を見せる。
茶色の皮に金彩箔押しという豪華な装丁。腐を嗜む淑女たち垂涎な一冊の上に、バラバラだったページは揃え、すぐに読める状態。
歓喜すると思っていたシルフィアだったが、予想に反してサラは静かに首を横に振った。
「お嬢様が無事であったことが一番です」
そうキッパリと言い切った丸い目にはうっすらと涙が浮いており……
「え?」
いつも元気で太陽のようなサラが。弱音や落ち込んだ所をいっさい見せないサラが。
(今にも泣きだしそうな顔になっている!?)
理由が分からないシルフィアはいつもの微笑みを崩して慌てた。
「ど、どうしましたの?」
「なんでもありません!」
サラが叫びながら顔を背け、腕で顔をこする。
(どうして、このようなことに!? こういう場合は、どうすれば……腐の本には強引に引き寄せて抱きしめて聞き出すような場面なのでしょうが、私は殿方ではありませんし……)
シルフィアがワタワタしているとメイド長のマギーの穏やかな声がした。
「お嬢様、サラは本当にお嬢様を心配していたのですよ」
「心配? なぜですか?」
不思議そうに首を捻るシルフィアに対して、マギーが見越していたように肩を落とす。
「お嬢様は昔から自分自身の身について無関心なことが多くあり、私たちは冷や冷やしながら見守っておりました。ですが、それも本日までです。嫁がれる以上、奥方様になられる自覚を持ち、もっとご自身を大事にしてください」
「そう、言われましても……」
食事の時は魔法で毒がないか確認しているし、危険なことをしているつもりもない。そもそも、たいていのことは魔法で対処できてしまう。
ただ、その事実を話せないため、こうした乖離が起きているのだが、当の本人であるシルフィアが気づいていない。
どう言葉を返したらいいのか悩んでいると、黒い髪が頬を撫で、温もりに包まれた。
「師匠がすぐに帰らなかったので、使用人たちが心配したようです。実家での冷遇を考えれば容易に想像できたことでしたし、私が一緒に行っていれば良かったのですが。配慮が足りませんでした」
背後にいるルーカスからの説明を聞いて、シルフィアがやっと状況を理解する。
(帰りが遅いから実家で何かされているのでは、と心配させてしまったのですね)
すぐに帰れたのに、己の欲望に勝てず本を読んでしまった。その結果、心配させてしまうことに。
一歩前に出たシルフィアが深く頭をさげる。
「私の思慮が足りず、心配をかけてしまって、ごめんなさい」
そして、顔をあげると持っていた本をサラへ差し出した。
「先に読んでください」
これには反射的に本を受け取っていたサラが慌てる。
この幻の本を読むことをシルフィアがどれだけ楽しみにしていたか知っているため、すぐに本を突き返した。
「そのようなことできません!」
「いいえ。どうか、先に読んでください」
「ですが……」
そこでシルフィアが恥ずかしそうに目を伏せる。
「実は……帰りが遅くなったのは、我慢できずに本を読んでいたせいなのです。半分ほど読んでしまいました」
気まずい沈黙…………からの、サラとマギーの怒声。
「「お嬢様!!」」
目を吊り上げた二人にシルフィアがますます小さくなる。
「あの、だから、ごめんなさい……」
小さくなっていく声を追いつけるようにサラが迫る。
「謝って済むことと、済まないことがあります! 私がどれだけ心配したか……」
再び丸い目に溜まっていく涙。
「ごめんなさい! だから、その、泣かないで……」
「泣いていません!」
どう見ても泣いているのに、頑なに認めない。こういう場合は、どうすればいいのか。
「あぁ、もう、ルカ!」
解決策が分からないシルフィアが元弟子に助けを求める。
すると、深紅の瞳がにっこりと微笑み……