軍師からの提案
「どうして、私ではないの!?」
大魔導師からシルフィアに婚約の申し込みがあったことをワイアットから聞いたベルダが荒れていた。
茶色の髪を振り乱し、目につく装飾品を手あたり次第投げるため、花とともに花瓶の破片が散乱し、壁に飾られていた絵画が床に転がり、壁が傷ついていく。
ワイアットでは手に負えないため、ドロシーが優しくなだめる。
「可愛いベルダには、あんな不愛想な男ではなく、もっと良い婚約者を見つけるわ」
「当然よ! ルーカス様以上にカッコよくて、地位がある方にしてよ!」
「それはもちろんよ。ねぇ、あなた?」
「あ、あぁ」
頷いたワイアットだが、大魔導師以上に美形で地位のある人物など浮かばない。いたとしても、平凡な外見のベルダと、特化したものがない伯爵家では相手にされない。
しかも、いきなり大魔導師に使用人を引き抜かれたため人手不足で、そちらの対応もしなければ家が回らない。
(ベルダには悪いが、後回しだな)
無意識に胃を押さえながらベルダのご機嫌取りをドロシーに任せたワイアットは、新しい使用人の募集と婚約の手続きを進めていった。
※
それから、数日して。
執事長から来客の報告があり、ワイアットはブツブツと文句を言いながら応接室へ出向いた。
「この忙しい時に誰が……っ!?」
目的のドアを開けた瞬間、文句はすべて引っ込み、息を呑んだ。
まるで自分の屋敷のように、堂々とソファーに座る50代半ばの男。短めに刈り上げた茶金の髪に鋭い赤茶の目。大きな鷲鼻にゴツゴツとした四角い顔。まっすぐ伸びた背中と、年齢の割に鍛えられた体。
何よりも目立つのは、胸にいくつもの勲章が付いた騎士服。
「あなたはっ!?」
驚愕するワイアットに対して、客人の落ち着いた声が響く。
「お忍びでの訪問のため楽にしてくれ」
「なぜ、軍師であるチャペス侯爵がここに?」
「内密に相談したいことがあってな」
国軍の最高司令官であり、騎士から兵まですべての軍をまとめ、国内では王家に次ぐ力を持つ有力貴族。そんな大物が何故、ここに来たのか。
緊張で固まっているワイアットにチャペス侯爵がニッコリと笑った。
「この度はご息女が大魔導師と婚約されたと耳にしたのだが」
「……は、はい!」
どうにか返事をしながら移動したワイアットは額に緊張の汗をかきながらソファーへ腰をおろした。
一方で、チャペス侯爵が背筋を伸ばしたまま神妙な顔で会話を進める。
「めでたい話に水を差すようだが、今の状況で婚約、結婚されるのは待たれた方が良いかと」
軍師の突然の来訪、というだけでも対応しきれていないのに、このようなことを言われても頭が回らない。
「な、何故です?」
「大魔導師とはいえ、現在の爵位は一代限りの男爵位。このままでは、ご息女に子が生まれても、その子が貴族でいられるか危うく、クライネス伯爵家も万全とは言えない」
その点はワイアットも気になっていた。だが、当の本人である大魔導師に指摘することもできず、渋々流すことに。
そんな状況を読み取ったかのようにチャペス侯爵が提案する。
「なので、婚約前にご息女を私の養女にしてはどうだろう?」
「侯爵家の養女に!?」
驚きの声をあげたワイアットに対して、金茶の髪が鷹揚に揺れて胸の勲章がカチャリと鳴った。
「大魔導師はこれまでの功績も十分ある。そこから侯爵家の血縁となれば、少なくとも伯爵、もしくは侯爵の爵位を与えられるだろう。そうなれば、生まれてくる子もクライネス家も安泰。悪い話ではないと思うが?」
ワイアットからすれば良い事尽くめの提案。だが、権力も財力もすでに持っているチャペス侯爵家がいまさら大魔導師を身内に取り込んだところで得る物はさほどないはず。
人とは、貴族とは、偽善だけで動くような輩ではない。
伯爵家として社交界の裏を知っているワイアットは訝しみながらも表情には出さずに訊ねた。
「たしかに、素晴らしい話、ですが……何故、そこまでしてくださるのですか?」
予想通りとばかりにチャペス侯爵が頷く。
「貴殿が疑問に思うのは、もっともだ。ただ、これは個人の問題ではない。魔導師の中でも一番の力を持つ大魔導師が男爵位というのは国外的に見栄えが悪く、何度か高位の爵位を与えようとしたが本人が拒否してな。対応に苦慮していたのだ。それに、貴族の中には男爵位という身分が低いだけで嫌悪する者もいる。それによって、聖女毒殺事件も起きた」
毒殺という言葉に、ワイアットが息を呑む。
それは貴族の間では知らぬ者はいないほどの大事件だった。
約20年前、今は第一王子に王位を譲った先王が、王として国を統治していた頃のこと。
他国との長い戦争が終焉を迎えようとした時、戦場で騎士や兵以上に活躍したという聖女がいた。その功績により第二王子の婚約者になったのだが、その身分が問題となり騒ぎになる。
その聖女は男爵家の娘だった。
貴族の中でも爵位が一番低い男爵の娘が第二王子の婚約者という前代未聞の大抜擢。批判や否定も噴出したが、戦場で多くの伝説を残した聖女は、兵や騎士からの支持が高く、平民の中には崇める者もいるほど。
それだけの功績がある聖女を男爵位のままにしておくわけにはいかず、かといって女に爵位を授与することもできず。どこか高位の貴族に嫁がせようとしていたところに、第二王子の婚約者にすることを王が独断で決定した。
この電撃発表は文字通り衝撃となって国中を駆け抜けたが、反対したのは一部の貴族のみ。他の貴族は王の決定に口を閉ざし、国民からは歓声とともに歓迎された。
そして、いざ婚約発表のためのパーティーが催された時、事件が起きた。
出席者の一人が聖女の飲み物に毒を混入して殺したのだ。
王城で王子の婚約者が毒殺されるという、王城の警護をしている軍からすれば最悪の失態であり、王からすれば顔に泥を塗られた事態。この事件は腫物を扱うような話となり、いつからか話題に出すのも禁忌となっていた。
黙るワイアットにチャペス侯爵が話を続ける。
「犯人はすぐに捕まったが、その動機は聖女が男爵だったからというもの。もし、聖女が高位貴族であったなら起きなかった事件だ。大魔導師はそう簡単に毒殺などされないだろうが、爵位が原因で似たような事件が起きないとも限らない」
赤茶の目が真摯に訴える。
「これは貴殿のためだけではない。あのような悲惨な事件を起こさせないため、そして国の安定のためでもある。この話を受けてくれないか?」
ここまで言われ、一介の伯爵家でしかないワイアットが断れるわけがない。覚悟を決め、力強く頷く。
「わかりました」
「よし」
同時に立ち上がった二人がローテーブルを挟んで固い握手をした。手を握ったままチャペス侯爵が念押しをするように話す。
「では、必要な申請は私の方で進めておく。私が公表するまで内密にしておくように」
「わかりました」
「実に有意義な時間だった。では、失礼する」
こうして颯爽とクライネス家を後にしたチャペス侯爵。その口元が密かに上がっていたが、その表情を見た者はいなかった。