聖女からメイドへ
絢爛豪華な王城の広間の中心で、一人崩れ落ちる聖女。
手より滑り落ちたグラスから葡萄酒が血のように大理石の上を滑る。
喉を焼かれたような熱さと、全身を切り裂く痛み。両手で喉を押さえ、声を出そうとするが、微かな息が漏れるのみ。
回復魔法より早く全身を蝕む毒に苦しみ、助けを求めて白い手を伸ばす。しかし、誰もその手を掴む者はおらず、冷めた視線が降り注ぐのみ。
(……どう、して)
冷たい床へと落ちていく手をせせら笑う声が踏みつけた。
「平民あがりの男爵家の女が殿下の婚約者なんて不釣り合いなのよ」
吐き捨てられた言葉に聖女は朦朧としていく意識の中で理解した。
(あぁ、毒を盛られたのね……)
強大な魔力持ちのため幼少から聖女と祭りあげられ、人々を救うため、言われるがまま戦場を奔走していた。自由などない青春時代を過ごし、気が付けば第二王子のお飾り婚約者に。
傀儡のように生きるだけ。自分の意思を持つことは許されず。
その人生もやっと終わる。
ホッとすると同時に、一つだけ心配事が過ぎった。
(私が死んだら、あの子はどうなるのか……賢い子だから、大丈夫でしょうけど。どうか、私のようにはならないで……自由に……)
救国の聖女、享年20歳。あっけない終わりだった。
~※~
さほど広くない屋敷に中年女の癇癪声が響く。
「シルフィア! ドレスの裾が破れたままじゃない!」
「申し訳ございません、お義母様」
「さっさと直しなさい! このグズ!」
投げつけられたドレスをメイド服を着た少女、シルフィアが慌てて拾う。そこにバシャリと水がかかり、次に色とりどりの花々が降ってきた。
ポタポタを雫を垂らす亜麻色の髪に、蔑みの声がかかる。
「花瓶の水を変えなさいと言ったでしょう? お父様がくださった花が枯れたら、どうするの? まったくノロマなんだから」
頭をさげたシルフィアの前には、義理の母と腹違いの妹が立っていた。翡翠の瞳を閉じ、軽蔑の視線を受けたまま、濡れたドレスを抱きしめる。
「すぐにします」
俯いたまま散らばった花を集め、絨毯に転がる花瓶を持ってそそくさと立ち去った。
そんなシルフィアに義理の母であるドロシーが忌々しげにシワを寄せる。
「魔力もなくて無能なのに、仕事も遅いなんて」
「それでも家に居られるんですから、お母様の優しさに感謝すべきですわ」
愛娘であるベルダの言葉にドロシーの表情が緩む。
「シルフィアもあなたぐらいの聡明さがあれば、良かったのに。そういえば、あなたが食べたがっていた流行りのお菓子が届きましたのよ」
「嬉しい! さっそくお茶にしましょう」
華やかな笑い声を背中で聞きながら、シルフィアは濡れたまま使用人の控室へ駆け込んだ。ドアを背中につけたまま俯き、フッと口角をあげる。
そこに慌てた声が飛んできた。
「まぁ、お嬢様! 早く拭かないと風邪をひかれますわ」
そう言ってすぐにタオルを持ってきたのはメイド長のマギー。シルフィアの実母が存命だった頃から屋敷に勤めており、シルフィアにとって祖母のような存在。
「大丈夫、すぐに乾きますわ」
シルフィアは水をかけられたことも、侮蔑の言葉もまったく気にした様子なく、パチンと指を鳴らした。
濡れていた亜麻色の髪もメイド服もドレスも一瞬でふわふわに。ついでに空だった花瓶にはたっぷりの水。
その光景にマギーが頬に手を当てて首を捻る。
「お嬢様ほど巧みに魔法を使われる方はおりませんのに、どうして判定の儀の時に魔力が検知されなかったのでしょう?」
鋭い指摘にシルフィアはドキリとしながらも、軽く微笑んだ。
「魔法の詠唱もいらないほどの小さな魔力ですから、検知できなかったのでしょう」
「そういうものなのでしょうか?」
「そういうものです」
強く頷いてマギーが魔法に疎いことを逆手に納得させる。
この国の貴族は幼い頃に判定の儀という魔力測定を行う。そこで、魔力量と適正魔法を調べるのだが、魔力の数値が高ければ国から好待遇が受けられ、将来は安泰。そのため、親は少しでも魔力の数値が高くなるように子を育てる。
しかし、前世の記憶と魔力を引き継いでいたシルフィアは、再び聖女として祭り上げられるのを防ぐため、ド根性で強大な魔力を隠した。普通なら根性でどうこうできる魔力量ではないのだが、とにかく頑張った。
結果、魔力0で適正なしの無能と判定。
このことにシルフィアの実父であるワイアットは落胆。
そして、生まれたばかりのベルダへ期待を向けた。それが功を奏したのか、ベルダは判定の儀で平均的な魔力を保有していることが判明。ワイアットとドロシーから溺愛されるように。
一方で、魔力0の無能と判定されたシルフィアは放置され、メイド同然の扱いとなった。
「やはり旦那様にお伝えするべきでは……」
現状を憂いているマギーは事あるごとに何とかしようとするが。
「私は大丈夫ですわ。こうしてマギーや、使用人が優しくしてくれるから。それより、みんなが私に良くしていることが義母の耳に入ったら、そちらの方が危ないと思いますの。暇を出されて、私に冷たくする人しか雇われなくなりますから」
当の本人がこう言うため、誰もどうすることもできず。
シルフィアとしても、魔力のことが発覚して再び聖女となり自由を奪われるぐらいなら、今の生活の方がずっと良いと考えている。
その理由は……
「お嬢様! 続編です! 続編の本が出ました!」
本を高々と掲げたメイド服の少女が飛び込んできた。
赤茶の髪を一つにまとめたメイド、サラはシルフィアとは年が近く、共通の趣味のおかげで友人のように気さくに会話ができる仲。
その報告に今まで大人しくも上品に振る舞っていたシルフィアが胸の前で両手を合わせ、グルンと勢いよく振り返る。
「どの続編ですか!?」
「爽やかな筋肉青年の騎士団長様(♂)と、見目麗しい美丈夫な大魔導師様(♂)のお話です!」
「まぁ! お互いの立場から反発し合いながらも、実力は認め合い、いつの間にか惹かれているのに、最後のところで素直になれずジレジレな関係が素晴らしい作品の続編が! たしか、前作では敵国との戦争で大魔導師が捕まり、敵の将軍から関係を迫られているところで終わりという! ここから騎士団長がどう助けるのか、という展開を想像するだけでパンが三つは食べられる美味しい状況の! その続編ですのね!」
興奮とともにシルフィアが息継ぎなしで一気に語る。これも、すべては作品への愛が生せる技。
今にも小躍りしたい気持ちを抑え、両手に力を入れて耐えつつも、表情は優雅に微笑みを忘れずに。興奮のあまり涎を垂らすなんてもっての他。
「その通りです。まさか、こんなに早く続編が出るとは思っておりませんで、私はまだ心の準備ができておりません」
頬を紅潮させたサラがスッと本を差し出す。
「どうぞ、先にお読みください」
同士からの思わぬ行動にシルフィアが翡翠の目を煌めかせながら丸くする。顔は喜びに輝いているけれど、少しだけ戸惑いと遠慮が混じっていて。
「よろしいの?」
「はい。その間に心の準備をしておきますから」
そのまま本に飛びつきたい気持ちを抑え、静かに両手で本を受け取ると、そのまま力強く抱きしめた。その表情は恍惚に蕩けており、宝石を眺めるようにうっとりしている。
「ありがとう。ネタバレしないように気を付けますわ」
「そこは、重々にお願いいたします。あと、奥方様や旦那様に見つからないように」
実在の人物、しかも高位貴族の子息をモデルにしている内容が多い。そのため、この本が同士以外に見つかれば、すべての本が発禁となり、読んでいた人たちは処罰される可能性も。いや、それ以上に……
「処罰は耐えられますが、本が燃やされるのだけは耐えられません」
「ですよね!」
ガシッと二人が力強く握手をする。
シルフィアは聖女であった前世の時、読む本も魔法書のみに限定されていた。そのため、生まれ変わってから様々な本を読み漁った。その中でも一番心が躍ったのは殿方たちの恋愛。見目麗しい方々の禁断の愛。
想像もしていなかった世界に、沼に、即落ちた。
「早く読んで、感想を伝え合いましょう」
「はい!」
赤茶の髪を一つにまとめ、丸い目を輝かせて頷くメイドのサラ。同じ趣味趣向を持つ腐の同士にして、シルフィアをこの沼へ導いた張本人。
サラがキッパリと話す。
「お嬢様の仕事は私が終わらせておきますので、その間にお読みください」
「わかりましたわ」
同士からの心配りを受け取ったシルフィアは、残りの仕事を任せることに、ほんの少しの申し訳無さを感じつつも己の欲望には勝てず。本を少しでも早く読むために、急いで自室へ飛び込んだ。
今日は昼と夜にも投稿します!
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