第四話 神のお告げ
帝国の玄関口と言われるケーパの町を出発してから七日目の昼下がり、ルーカスたち一行はランデアドーラ帝国の帝都アバスカルに到着した。当初の予定は昨夜の到着だったので半日の遅れである。
帝都の人口はおよそ五百万人と言われ、コートベイシア大陸にある国々の首都の中でも最大規模を誇っていた。ちなみにグレンガルド王国の王都ロンゴリアの住人は百万人ほどである。
「馬車で行くなら通行人の妨げにならないように注意してくれ」
「分かりました」
「ようこそ、帝都アバスカルへ」
さすがに帝都の城門の門兵だけあって御者を務めるクララに見惚れる素振りはなかった。うまく隠しているだけかも知れないが、検問待ちの人数も多いのでそれどころではないのだろう。
城門の内側の兵舎も大きく、不審者などに対応するための騎士たちも忙しなく動いている。そんな様子をキャビンの窓から眺めていると、恰幅がよく身なりもいい商人風の男が燕尾服姿の従者を連れて駆け寄ってきた。
「御者のお嬢さん! お待ち下さい!」
「何でしょう?」
クララが手綱を引いて馬車を停止させる。マリシアはキャビンの中で休憩中だ。
「その馬、ベイシアブラック種ではありませんか?」
「そうですけど?」
「おお! これぞ神の思し召し! トータリス神様、感謝致します!」
「何のことですか?」
「お嬢さん、言い値で構いません。この馬を売って下さい!」
「はい?」
「クララ、大丈夫か?」
ルーカスがキャビンから出てきた。
「御館様、こちらの方が……」
「聞こえていた。名すら名乗らずに不躾な男だと思ってな。馬は売らん。去ね!」
「こ、これは失礼致しました! 私はウィルフレッド・ハロルド、ハロルド商会の会頭を務めております」
「ハロルド商会?」
「御館様、ハロルド商会は帝国で五本の指に入る大商会です」
「そうか。冒険者のルークだ」
「ルーク様がこの馬の持ち主ですか?」
「馬も馬車もな」
「では、この馬をお売り頂けませんでしょうか?」
「売らんと言ったはずだ」
「そこを何とか……」
「口説い! どうしてもと言うなら金貨一千万枚を持ってこい!」
「い、一千万枚!?」
グレンガルド王国の国家予算など足元にも及ばない額である。大商会といえども用意するのはまず不可能だろう。まして馬一頭の代金としては馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
ところがそれでもウィルフレッドは諦めようとはしなかった。
「一括では無理ですが、何年かかってもお支払い致します! ですからどうかお売り下さい!」
さすがにそこまで必死になられると、売る売らないは別として事情だけでも聞いてみたくなった。そこで馬車を通行人の邪魔にならないように脇に停め、すぐ近くにあるというハロルド商会の店に行くことにした。
「改めまして、ハロルド商会の会頭、ウィルフレッド・ハロルドでございます」
通された部屋は非常に豪華で、いくつかあるであろう応接室の中でも特に賓客用だということはすぐに分かった。王太子だった頃は大抵このように扱われていたものだ。
「冒険者ルークだ。それで、何故そこまでしてあの馬を欲しがる?」
「神のお告げがあったのです」
「神のお告げだぁ!?」
「はい。今日からですと十日以内に、聖教会のアバスカル支部にベイシアブラック種の馬を寄進せよと。出来なければハロルド商会は衰退の一途を辿るだろうとも」
「誰から言われたんだ?」
「直接夢で告げられました」
「は!?」
「いえ、ただの夢ではございません。お告げであることの証拠に奇跡を見せると言われ……」
内容はそれまで動くことのなかったある使用人の左腕が、動くようになるというものだった。そして実際に不自由なく動かせるようになったらしい。もっとも彼は胡散臭さしか感じなかった。
「なあ、騙されてるんじゃないのか?」
「神を疑うと罰が当たりますよ」
「旦那様は、それはもう熱心なトータリス聖教信者ですので」
ウィルフレッドの脇に控える燕尾服を着た従者は、半ば諦めたように呟いた。どうやら彼もおかしいと思っているようだ。
実はベイシアブラック種は非常なほど稀少種で、取り引きはほとんどがオークションで行われる。また、帝国領内には棲息していないので、そのオークションさえ開かれることはほとんどないとのことだった。
しかしそこでルーカスは閃いた。これは儲け話に繋がるのではないだろうかと。
あのブラックスターはエリアスが手に入れてきた馬だ。彼に言えば、いや、宵闇衆ならもう一頭くらい何とかなるかも知れない。入手出来れば思いっきり吹っかけてやるか、さもなければ帝都で商売するための後ろ盾を引き受けさせるという手もある。
鑑札の問題が解消されるなら損にはならないだろう。
だがよく考えてみると、ハロルド商会が帝国で五本の指に入るとは言っても、会頭が宗教気触れというのは頂けない。しかも燕尾服従者によればかなり熱心な聖教信者とのことだ。
馬が手に入ったらたんまりせしめて、それ以上の関わりは避けた方がいいだろう。
「分かった」
「それでは!」
「あの馬、ブラックスターは売らん。代わりに別のベイシアブラックが手に入らないか確認しよう」
「ルーク様にはそのような伝手がおありなのですか?」
「まあな。確実に手に入るかどうかは分からないが、入手出来たら売ってやる」
「金貨一千万枚で、ですか?」
「いや、分かっているとは思うがあれは売る気がないから言っただけだ。そうだな、オークションでの相場が金貨五百枚から千枚と聞いたから、二千枚でよければ手を打とうか」
「高値の倍、ですか……」
「嫌ならいい。縁がなかっただけだからな」
「い、いえ! ぜひその額で売って下さい!」
「早まるな。まずは入手可能かどうか確認してからだ」
結果が分かり次第この店を訪ねると伝えて、彼はハロルド商会を後にした。
ところが馬車に戻ってエリアスに連絡をつけるように頼むと、用件を聞いたマリシアとクララはキョトンとして首を傾げながら言うのだった。
「「可能ですよ」」
――あとがき――
金貨一枚は日本円換算で十万円です。
一千万枚だと一兆円になります。
余談ですがグレンガルド王国の国家予算は五十億円と想定してます。
ルーカスがどれだけ吹っかけたか想像出来ましたでしょうか。




