第十二話 帝国の玄関口
「昨夜は本当に申し訳ありませんでした」
翌朝、宿を出る準備をしていたところに、セルジオが四人の女性使用人を引き連れて部屋にやってきた。仕方なしに手を止めて彼らを招き入れる。
「いえいえ、どうかお気になさらずに」
「よくお休みになられましたか?」
「ええ、とても快適でした。な、ロレーナ」
「お布団、ふかふかだった」
「それはよかった」
「こんな豪華な部屋を本当によかったのですか?」
「ええ、構いません。それとこれらは昨日のお詫びです」
セルジオの言葉で使用人たちがそれぞれ両手に持っていた紙袋を、ルーカスとロレーナの前に置いた。
「これは?」
「ロルダンとは別の店員がロレーナさんの様子を見ておりましてね。商品を見て楽しそうにされていたとのことでしたので、似合いそうな服を取り揃えて持って参りました」
「えっ!?」
「ちゃんと尻尾も出せるように、ワンピースやボトムの後ろは加工しておきましたよ」
「そ、そうですか。代金は……?」
「もちろん頂きません。これもお詫びとしてお受け取り下さい。ルークさんのマジックボックスなら入りますよね?」
「ええ、まあ。それにしてもセルジオさんにはお詫びされてばかりです」
「はっはっはっ! 未来の大商人に悪い印象は残したくありませんので」
「俺はのんびり細々とやっていくつもりなんですけどね」
「さて、世界がそれを許しますことやら」
「買い被らないで下さい」
「おっと、出発の準備をなされていたご様子。これ以上は邪魔になるでしょうから私たちは引き上げるとしましょうか」
「色々とありがとうございました」
「帝国に行かれてもクアドロ商会をどうぞよろしくお願いします」
ゲルンはグレンガルド王国とランデアドーラ帝国との国境に近い町だ。発てば四半刻(約三十分)もかからずに帝国領に入ることが出来る。
町を出て人目につかないところでエリアスから馬と馬車を受け取り、マリシアとクララを御者に据えて検問所に向かえばいい。ルーカスとロレーナの身分証はその時に渡されることになっていた。
むろん偽造されたもので、名前はルーカスではなくルークと記されている。職業は商人となっているはずだ。さらに検問所の帝国警備兵も宵闇衆の配下の者とのことなので、入国手続きはスムーズに終えることが出来るだろう。
「我が主よ、キャビンはこんな感じでいかがでござるか?」
「上出来だ。馬は……まさか!?」
「ベイシアブラックという品種でござる」
「そんな稀少種を!? 大きくて力が強く、主への忠誠心が非常に強いと言われているんだったか」
「左様。馬車を引く速度も通常より二倍近く速いでござるよ」
以前王家が招かれたオークションに出品されていたが、その時は金貨千枚で競り落とされた記憶がある。後で聞いたところによると、ベイシアブラックは最低でも金貨五百枚の値が付くそうだ。
ルーカスはこの馬をブラックスターと名付けた。
一方キャビンの方は元の姿の名残が全くない、というより全面板張りで小屋のように変えられていた。もっとも煙突があるのは暖房を備えていることを示しており、少々高価な馬車なら珍しくはない外観だ。
これならちょっと金持ちの商人くらいに見られるだろう。
「御館様、こちらが身分証になります」
「木製か」
「王家の物と比べたら見窄らしいでしょうが、我慢なさって下さい」
「いやいや十分だよ、マリシア。ほら、ロレーナの分だ」
「ルー兄とお揃い!」
「そうだな。なくさないようにしろよ」
「ルー兄、預かってて」
「検問所を過ぎたら預かろう」
身分証の大きさは貴族も平民も共通の手のひらサイズの長方形で、さらにコートベイシア大陸にある全ての国で同じ規格となっていた。異なるのはその材質であり、平民以下は木製が一般的。金持ちや商人などにはチークル材と呼ばれる暗金褐色の高級木材が好んで使われている。
一方下級貴族の身分証は多くが鉄製で、伯爵位以上の貴族のそれは金や銀を用いて作られていた。ちなみにグレンガルド王家の身分証は白金製である。ルーカスの王太子としての身分証はすでにマジックボックスの肥やしと化していたが。
なお貴族と商人、冒険者は国や都市、町を跨いで移動する機会があるので身分証は必携だったが、平民以下の者は特に必要に駆られない限り持つ者は少なかった。
「帝国に入ればもう仮面を外しても大丈夫だな」
彼の顔を見たことがある者もいるだろうが、木で出来た馬車に乗った青年と王国の王太子を同一人物だと思う者はまずいないだろう。彼はそれまで着け続けていた額から鼻頭の上まで隠れる白い仮面を外した。
「御館様、一刻(約二時間)ほどでケーパという町に到着します」
ルーカスたちを乗せた馬車は無事に国境を越えて帝国領に入った。しかしゲルンの町があるため、国境の帝国側には警備隊の駐屯地くらいしかない。
「今日はケーパで一泊だな」
「ゲルンほど大きな町ではありませんが、帝国の玄関口だけあって冒険者組合や商業組合など、各種組合の支部は揃ってますね」
「ひとまず商業組合への登録を済ませてしまおうか」
「冒険者組合にも登録もなさった方がよろしいかと」
「マリシア、それは何故だ?」
「今後商売をされるおつもりなら魔物を狩って素材を集めたり、盗賊に対抗する必要があるのではないでしょうか」
「確かにその通りだが」
「魔物を狩る権利は襲われたりした場合などの非常時以外、軍と冒険者にしか認められておりません。盗賊も捕らえるだけなら問題ありませんが、殺したとなれば軍の兵士か警備隊、もしくは冒険者でなければ罪に問われます」
「なるほど」
力のない商人は基本的に護衛として冒険者を雇うのが一般的である。法の中身の細かいところに違いはあっても、これも各国の共通事項だった。
「王国の王太子だった俺が帝国の冒険者か」
「御館様は御館様、我々宵闇衆にとっては何も変わってはおりません」
「マリシアはいい女だな。結婚するか?」
「お、御館様!?」
「すまん、冗談だ」
「もう! 御館様なんて知りません!」
「ルー兄、私はルー兄と結婚する!」
「そうかそうか。ロレーナ、俺は嬉しいぞ」
「うん!」
マリシアの言葉通りケーパはゲルンほど大きな町ではなかったが、強固な城壁に囲まれていて要塞のようである。ただ、予定通り門兵は宵闇衆の配下の者だったので、ほとんど検査なしに門を通された。
時刻は昼を少し過ぎたところだったが、空きがなくなってからでは遅いとのことで、先に宿を確保するというクララの提案に乗ることにした。
「御館様、四人で一室ですが中に部屋が二つあるとのことです。そちらでよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「かしこまりました」
馬車を置くスペースもあり、別料金だが馬の面倒も見てくれるとのことだったのでむしろ都合がいい。四人はその宿の食堂で昼食を済ませると、まずは商業組合に向かうのだった。




