第9話 テイの初手
『テイ、きみは、きみって奴は、自分がなにをしたか分かってるのか?』
案内された部屋に入って二人きりになった途端、キョウは冷静さをたもちながらも静かに声を震わせてテイにかみついた。テイは聞こえないふりをするつもりか、黙って横を向いている。キョウはかまわず小言を並べつづけた。
『将軍さまから、地図は大事なものだから、くれぐれも管理には注意するように言われただろう。持ってるだけでも死刑というご禁制の品だ。他人の目から隠すべきものを、自分から見せびらかしてどうする?』
『だけど将軍さまは、俺に任せるって、言った』
テイはぼそぼそと反論を試みる。そのささやかな声は、憤然となったキョウの勢いにはまるで勝てず、ちいさな木の葉のように吹き飛ばされていた。
『だからって、あんな誰が見ているか分からない場所で!』
『他には誰もいなかった、と思う』
『いなくて当たり前だ。どういうつもりだって訊いてるんだ』
『説明するのは難しい。でもあの娘が鍵だ。地図を見せれば必ず動く』
テイがどうにかふみとどまって細々と訴えると、キョウはようやく思案する顔になった。
『鍵って……将軍さまの玉至にあった助言のことか?たしかにこの宿の前に、大熊の看板はあったけど』
『それだけじゃない。あの娘が作ったという賭け算楽の本を読んだ。ひどい。あんな問題じゃ、ふつうの旅人や商人なんて誰も答えられない』
『でたらめだったのか』
『逆』
テイはふるりと首をふった。
『とくに図形の問題がよくできてた。三角形や内接円や、長さや面積……あれなら地図だって描けるだろう』
『つまり、この地図を作っている組織に、彼女が関係あると?』
『関係はわからないけど……彼女の問題は、ぱっと見は簡単で、これなら解けると錯覚してしまう。客は賭けに乗るだろう。でも実際は相当ひねった作りになってる』
娘の作った算楽の問題の、内容がよほど高度だったらしい。算楽好きのテイは、珍しく興奮気味の顔をしていた。
『きみがそこまで言うなんて、よほどなんだね』
流行は知っていてもテイほど算楽に興味のないキョウは、設問集の水準よりもその用途のほうがよほど気になった。あの商売上手な看板娘は、誰も解けないような超難問を作って客に賭けをしかけているのか。なかなか良い性格をしている。
『僕には算楽の良し悪しは分からないけど……本当に、そんな問題を彼女が?』
『ああ。あの娘をこの宿の裏庭で見たときには、何をしているのか分からなかった。今なら、分かる。あれは地図を描いていたんだ。おそろしく早かった』
『地図って……そんな。描ける、ものなのか?』
半信半疑なキョウに、テイは黙ってうなずいた。キョウは首をひねった。たしかに如才ない娘だとは感じたが、果たして、そこまで特異な能力を秘めているのだろうか。
『そういえば、宮廷地図師のことを聞いた時のとぼけっぷりは見事だったな。テイも見たろう。将軍さまが先に教えて下さらなかったら、あのまま誤魔化されていたかも知れないな』
挨拶にきた双竜亭の女将と、あっという間にうちとけて。この街に住んでいた地図師の情報を、将軍はすんなりと手に入れていた。どんな暮らしぶりだったのか。誰が中心になって世話をしていたのか。女将との世間話がてら、内輪の事情をすいすい引き出す様子を、二人は感心して見守っていたものだ。
『なにしろあの将軍さまだから……あのときのお話の巧みだったこと』
『俺たちはそうはいかない。うかつにつつくと警戒される。あの娘から来るようにしむけないと』
『それでこれ見よがしに地図を出したのか。……きみは昔からせっかちなのか何なのか、初手から王手を打つような真似をする』
『あとは相手の出方しだいだ。夜を待つ』
テイはそう言って、部屋のすみの簡素な寝台にごろりと横になった。しばらくの沈黙ののち、キョウはぽつりと話しかけた。
『テイ、眠るふりだけじゃなくて、たまには本当に眠りなよ』
『……俺は眠らなくても平気だ』
『きみは本当は、とても弱っているはずなんだ。休める時には、できるだけ身体を休養させたほうがいい』
『努力はする、けど。……苦手なんだ』
『それは何回も聞いた。もっと努力しろ』
『……はあ』
キョウの毅然とした指示に、テイのため息が力なく応じる。
『ところでその、あくどい問題。きみは解けたのかい?』
『当然』
そっけなく言うと、テイは無理やりふわあとあくびをして目を閉じた。キョウはその足元に腰を下ろすと、錫杖を傍らに立てかけてしずかに瞑想をはじめた。