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薔薇のセレンディラ  作者:
第一章 地図を描く少女
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第7話 異郷の客人

 双竜亭の女将の依頼で、追加の客は20人あまり迎えることになった。もともとの予約客や連泊の客もあり、大熊亭はめったにない満室となった。

 部屋数が足りなくて、相部屋を頼んだ常連もいる。アシャは続々と宿に到着する客をてきぱき受け入れ、部屋割りや食事や湯殿の順番を采配していた。

 そんななか帳簿を指折り数えると、夕刻をすぎているのに、追加の客があと2人足りない。

 どこかで道に迷ってでもいるのかと、アシャは首をかしげた。果たしてそんな兵がいるだろうか。


(いや、ちょっと待って。2人?)


 なんとなく嫌な予感がして窓から表の通りを見ると、宿の前に立って、看板を見上げている二人連れに気づいた。それが誰かなんて今さら問うまでもない。見た瞬間にわかってしまった。

 広場で見たとおりの目立ついでたち。長巾で頭部を覆って顔をなかば隠し、手足を細布で巻いた裸足の少年二人。うち一人は神官がもつような、鈴のついた細く長い錫杖を手にしている。

 アシャは天を仰ぎたい気分になった。


(よりによって、なんでこいつらがウチに来るのよ?)


 しかし気づいた以上は放っておくことはできない。異人だろうと亜人だろうと客は客だ。アシャは玄関から顔を出して表に声をかけた。


「その看板がそんなに珍しい?」


 大熊亭の名にちなんで、宿の玄関には黒々として巨大な木彫りの熊の看板がぶら下がっている。両手をあげて今にも飛び掛かってきそうな迫力ある姿だが、牙をむいた口をあんぐりと開け大きな金色の玉をくわえていて、なかなか愛嬌があるとアシャは気に入っている。この宿の顔だ。


「大きな看板だね。あの金の玉とか、なにか意味があるの?」

「そうね。この街の古い伝説よ」


 客からの質問としては定番中の定番。アシャは慣れ切った調子ですらすらと説明した。


「今から500年も前、この街ができたばかりのころ、大きな熊の怪魔が現れて暴れまわったんだって。それをテイセラ神殿の神官さまが黄金の玉の力で鎮めたら、熊は一人の青年の姿になって、その後は改心して、この街の守り神になったそうよ」

「へえ。じゃあこの街では熊が観光の目玉とか?」

「そうでもないわ。伝説っていってもほとんど忘れられてるから」


 そこまで答えてから、あらためてアシャはにっこりと営業用の笑顔をみせた。


「いらっしゃい。異国のお客さん。都から遠路はるばる大熊亭へようこそ」

「まだ何も言ってないのに、よくわかるね」

「おえらい将軍さまの従者でしょう、あなたたち。市場に行ったとき、宿の前に着いたところを見たわ。なかなかの面白い見ものだったわよ」


 陽の言葉が通じてよかったと、内心アシャはほっとしていた。外国語はいくつか話せるけれど、さすがに西の亜人語までは守備範囲外だ。

 もっともアシャの声かけに反応しているのは片方だけで、もう一人はろくに顔を上げもしないで黙り込んでいる。


「そういうきみは?まさかこの宿の料理人?」

「いいえ。この宿の主の娘よ」

「そんな感じだね。なのにお嬢さんが市で仕入れをするの?」

「適材適所っていうでしょ」


 いつものようにぽんぽんと話しながら、アシャは相手をしっかりと値踏みしていた。

 さっきからなめらかに話している少年は、品があって礼儀正しく、物腰も穏やかで、まずまず好感がもてるといっていい。

 それに対して、ずっとぼうっとしたままのもう一人はいったい何なんだろうか。アシャのカンでは、貴人をお人形さんみたいに持ち上げた非常識な怪力の持ち主は、たぶん『こっち』のはずなのだけれど。


「料理人より私が行ったほうがより良い品をより安く仕入れられるの。もちろん今夜は、料理人が腕によりをかけた食事を提供させてもらうわ」

「すごい。やり手なんだね」

「機転と融通が聞いて愛想が良くてそのうえ可愛いからよ。人手はいつも足りないもの。私にできる仕事ならなんでもするわ。男の人を持ち上げる力はないけどね」

「かわりに、僕らが誰なのかを見抜く力はある」


 この子、面白い。アシャは営業用でなくて、にっこりと微笑んだ。


「……あなた、よく見てるわね」

「きみもね」

「でも看板を眺めにきたわけじゃないでしょ。どうぞお入りくださいな」


 アシャは二人を招き入れ、宿の玄関から、隣の待合いの間へと通した。入り口でたらいに水をはって、足を洗う準備をする。


「まずは陽の言葉がお上手なあなたからね」

「お気づかいありがとう」


 とはいえ、それとなく足元を見ると、ほとんど汚れは見えなかった。普段から裸足で過ごしているはずなのに、特に皮膚が荒れている様子もない。よほど歩き方が上手なのだろうか。

 キョウは椅子に腰を下ろし、たらいの水で丁寧に足を清めていた。うつむく長巾の下から、髪がわずかにのぞいている。二人とも同じような恰好で顔も良く見えないので、髪の色で見分けるのが早そうだった。老人のような白い髪をしている方がキョウ。黒髪の方はテイという名だと、キョウが紹介してくれた。暗い色の髪をした陽の民は珍しくないけれど、テイの髪は夜の闇みたいな、艶のある真っ黒な色をしていた。


「あなたはちょっと待っててね」


 アシャが声をかけると、テイはふいと席を立った。

 流暢に話すキョウと違って、テイは一言も口を利かない。アシャの言葉が通じたのかどうか、ぶらぶらと壁際に歩いて行った。

 待合いの間は、受付や食堂が混んでいる時に待機してもらったり、その名のとおり誰かとの待ち合わせに使ったり、宿泊客が自由にくつろいで過ごすための場所だ。壁際の棚には時間つぶしのために、双六や将棋といった遊戯盤や、本棚がずらりと並んでいた。

 その中でテイがまっすぐに手に取ったのは算楽(さんがく)の本だった。

 算楽は、数にまつわる謎ときや、図形にちなんだ問題を楽しむ知的な遊びだ。大人も子供も身分の上下も関係なく、誰でも気軽にはじめられる娯楽として、もうかなり前から南都で大流行している。今では大陸南路20番すべての街に広がって、みなが設問集を読み解いたり自分で考えた問題を出しあったりして、知恵比べを楽しんでいた。

 いずれにしても読むには相応の知識と頭脳が必要だ。亜人にそれがわかるだろうか。アシャはテイが開いた本を、絵本か何かと間違えているのかと思った。


(でも、あたしの『あれ』に目をつけたってことは、ちょっとは算楽の心得があるのかしら?)


 だとしたら、うまく声をかければ、他の客と同じようにまんまと掛けに乗ってくるかも知れない。

 これは好機、とアシャの目がきらりと光る。その目つきはすっかり、狩り場に入ってきた獲物に狙いを定める狩人のそれになっていた。





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