第6話 五枚の地図
「将軍さまのお気持ち、たしかに承りました。どうぞ私たちにお任せください」
キョウもテイも、見た目どおりの子供ではない。ただ安穏とすごしてきた陽の民とは、踏んできた場数が桁違いだろう。とはいえこんな遠方まで連れてきておいて改めて頼むのも今さらな話なのだが、二人は快く請け負ってくれた。
「本来は客人であるあなた方二人を、私の仕事に駆り出すのは非常に心ぐるしい。折をみていずれナダ王にもご挨拶します」
恐縮しながら将軍が詫びる。テイは気にするなという風にふるふると首をふった。改めて卓の上の地図に視線をおとし、指をさす。
「俺たちは平気だから気にしないで……ところでこれが、地図?何に使うんですか?」
「公路図と同じですよ。より詳細に地理や道順を調べるのに使うものです。地図の見方は分かりますか?」
「なんとなく……」
二人は広げられた地図を、不思議そうに眺めている。
「これは本来、陽の国では、ごく限られた人間しか持つことが許されないものです。あなた方も初見では理解しにくいでしょう」
仮に、文字を知らずに育った者に長じてから文字を教えようとしても、そもそも文字というものを理解できないという。地図にも同じことがいえるだろうと将軍は考えたのだった。キョウは静かに首をふった。
「それもありますが、もともと我々セレンの民は地図を使いませんから」
「そうでした。公路図すら持たないそうですね」
「ええ。どんな遠くに行っても、体の中にタイカがあるので、道に迷うなどということはありません。道のりを学ぶにしても口頭で十分です」
「タイカ……渡り鳥の本能のようなものですか?」
「はい。タイカがセレンの民を導きます。我々には旅をするのにどんな手だても道標も必要ないのです」
隣の街に行くにも公路図を頼りにする陽の民と比べると、実に羨ましい力だった。しかし、タイカのない自分たちはセレンの民と同じわけにはいかない。
「我々はこういった地図がないと、満足にどこにも行けないのです。ただし公路図以外はすべて、厳しく取り締まられていますが」
「陽の民は、こういった品をわざわざ命がけで作って隠したり、禁じたり、探したり……将軍さまには失礼ですが、なんだか奇妙な習わしという気がします」
「いきなり理解しようとしても無理でしょう。ご禁制とはいえ、我々にはどうしても国土図が必要な場合があります。こういった地図は、王宮の奥にある地図院、専用の工房で、極秘裏に作られています。地図師や測量士や彩色をする絵師……多くの専門家の手によって、長い時間をかけてようやく一枚の地図が完成するのです」
その宮廷の地図職人を辞した老人が、この経の街で暮らしているという。出所不明の謎の地図と、まったく無関係とは思えなかった。今後の参考になればと、将軍はここ数年の調査の成果を、詳しく二人に説明して聞かせた。
「その老人は生まれ故郷に帰ってきたわけですが身内はすでになく。宿屋の組合が面倒をみていたようです」
「それほど極秘の仕事をしていた職人を、退職したからといってそのまま市井に戻したのですか?」
キョウはあきれたように目を丸くしている。将軍は苦笑した。
「言いたいことはわかりますよ。もちろんそういった職人は任を解かれた後も、箝口令がしかれ、国の厳しい管理下に置かれています。こちらで調べたところその老人は、病の治療のために別の街へと移送される途中、がけ崩れにあって馬車ごと川に落ちて死亡したということになっています」
実際には奇しくも命拾いをし、自力で生まれ故郷に帰っていたわけだ。もともと高齢で病の身でもあったから、遺体の確認までするほど徹底的な捜索はなされなかったのかも知れなかった。キョウは納得したようにうなずいた。
「貴重な手がかりというわけですね。それと先ほど、将軍さま側には2枚の地図があるというお話でしたが」
「はい。もう1枚には……『描いてはならないもの』が描いてあったので。私ですら持ちだすことは許されませんでした。王宮奥深く、厳重に保管されています」
「描いてはならないもの……って、機密?」
「そう。くれぐれも、ここだけの話にしてくださいね、テイ」
そう念おしして、将軍は卓の上の地図を取り上げると二人に差しだした。
「本物の地図を所持するには、大変な責任と危険が伴います。あなた方にこれを託するのは……もちろんセレンディラからその意に反してこれを奪える者がいるとは思わないからですが……この街にはまだどんな脅威が潜んでいるか分かりません。くれぐれも管理には注意するように」
「ありがとうございます」
恭しく受け取ったキョウは、地図を小さく丸めてもとの筒の中に納めた。
「私たちにはセレンの恩寵があります。必ずや将軍さまのお心にかなうようにつとめます」
「頼みますよ。それと……セレンの霊威には敬意を払いますが、我々にも帝のご加護があります」
将軍はもう1枚、今度は4つ折りになった白い紙を二人に見せた。透かし入りの雅な紙を開くと、中には黒々として踊るような大胆な字で『大熊に注意』と書いてある。
二人とも目をぱちりと瞬かせ、その紙に書かれた文字に注目した。特にセレンの地から来た巫子であるキョウは、あまりに異なった文化に接して、ぽかんとした顔になってしまっている。
「あの、将軍さま?失礼ですがこちらが、ご加護というと?」
「ええ。玉示といいます。帝からのたいへんありがたいお言葉、助言です」
将軍はにっこりと笑みながら説明した。キョウが戸惑い、困惑するのは当然のこと。こんな乱暴に紙に殴り書きした文字を見て、いきなりありがたがれと言っても無理があるだろう。
けれど、テイの反応は予想と違っていた。
「なるほど。わかった。心当たり、ある」
「テイ?」
「おやおや」
テイがうなずいたので、これにはキョウはもちろん、将軍も驚いた。
玉示にはいつも必要最小限か、それ以下の文言しか書かれていない。きわめて貴重な情報や警告であるにも関わらず、せっかく賜ってもなかなか解けない残念な暗号となっている。
「この玉示の意味がわかったのですか?」
「テイ、いつの間に?」
将軍とキョウにまじまじと見つめられて、テイは恥ずかしそうにうつむいた。たどたどしい声で説明する。
「あ、あの。今朝、この街を見回っている時に……おかしな娘を、見つけたので。たぶんそれと関わりが……」
「ほう、おかしな娘、ですか」
「テイ。おかしいって、身なりが?様子が?それともまさか……」
「えっと……宿屋の裏壁にはりついて、にやにや笑ってた」
「頭か……かわいそうに」
「いやいや、二人とも待ちなさい」
テイの話に興味をひかれた将軍は、先走りかけた二人のやりとりをひとまず落ち着かせた。
これまでは少しでも工房に関わりのある場所や、なにかしらの職人の集団をあたってきていた。当然、男ばかりだ。娘、とは意外だったけれど、陽の民よりはるかに優れたセレンディラであるテイがこう言うなら、まずはその線から調査してみてもいいだろう。膠着したいまの状態を前にすすめるための、なにか新しい手がかりが見つかるかも知れない。
「とても興味深いですね。よろしい、テイにお任せしましょう。あなた方の働きに心から期待していますよ」
将軍の信頼と穏やかな励ましの声に、少年二人は深く頭を下げた。