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薔薇のセレンディラ  作者:
第一章 地図を描く少女
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第5話 静かなる戦

「将軍さま。ようやく(タツ)に着きましたね。ここまでの長旅おつかれさまでした」


 優しくねぎらう声とともに、瀟洒な卓の上にそっと茶器が置かれる。花の香りのする薬湯を、将軍と呼ばれた男は左手で口元にはこび、乾いた喉をうるおした。温度も濃さも申し分ない。ほう、と体の緊張がとけていくのを感じる。


「ありがとう。キョウ。生き返る心地がします」


 着いたばかりだというのに、部屋の中は、明かりも調度も家具の位置も、完璧に整えられていた。まるで、南都の自分の屋敷でくつろいでいるような居心地の良さだ。

 もっともこの旅の間中、どこの街に滞在してもずっとそうだった。行軍に先行して動き、あれこれと手配してくれているのだろう。こういった隅々まで行き届いた細やかな気づかいは、キョウの得意とするところだ。


「今よりもっと体の具合が悪いころ、ここより遠い19番『(サイ)』まで旅したことがあります。その時と比べると、あなた方二人につきっきりで世話してもらえて、とても快適な旅でした」

「そう仰っていただけて光栄です」


 美しい刺繡をほどこされた長椅子にゆったりと身を預けた将軍は、恐縮してはにかむ少年二人に鷹揚にねぎらいの声をかけた。


「二人とももう、楽にしなさい」


 将軍がそう促すと、二人は素直に従っておずおずと長巾を解いた。

 キョウの雪のように白く長い髪が、ふわりと崩れて細い腰まで落ちてきた。少し離れた場所に立つもう一人の少年……テイも、布に包まれていた豊かな黒髪をするりと背に流して、いかにもすっきりしたという風に頭をふるっていた。

 将軍がふと顔を上げて問う。


「おや。なぜテイはそんなに離れているんですか?」

「反省させています」


 キョウがすかさず答えを返した。テイを横目でにらみながら鞭でもふるうような調子で言う。


「あんな大勢の目の前で、考えなしな真似を」

「ああ」


 それで納得した。キョウにぴしりと言われて、テイはしょぼんと首をすくめている。


「将軍さま。……怒ってますか?」

「べつに怒っていませんよ。テイにはいつも運んでもらって助かっています」

「それにしても、人目のない所に限るように常々言っているんですが」


 どうやら宿の門前での一件で、キョウからテイに、教育的指導があったらしい。しょうがないですよ、と。将軍はやんわりなだめた。

 ここまで軍を率いてきたのは、もともと半分は陽動のためだ。衆目をひく派手な動きは、作戦の目的にかなっている。


「筋骨隆々とした大男ならともかく、テイのようにほっそりした子が軽々と私を持ち上げるのだから。観客には実に痛快な見ものだったでしょう」


 キョウが怒ってくれる気持ちも良くわかる。とはいえ、テイを責めるのはかわいそうだった。なにしろ日常茶飯事。まともに歩けもしない様を見かねた誰かに、抱いて運んでもらうのはいつものことなのだから。


「なにしろ私ときたら、いまだに亀にも追いこされる有様ですから」


 おどけた口調で苦笑して、将軍は残りの薬湯を飲み干した。空になった器を茶盆に受けながら、キョウは細い眉を寄せ表情をくもらせる。


「おいたわしい。そのお身体でご無理をなさって、こんな長旅を」

「お役目ですから甘いことばかり言っていられません。とはいえ、私は10日ほどで到着する心づもりでしたが。出立前に千年様が、行きは13日かかると断言されたら本当に13日でしたね。さすがというか」


 大陸南路20番を南都から東に。街から街へと、徒歩ならそれぞれ一日ずつかかる距離。馬ならその半分の旅程のはずだった。

 はやる気持ちとはうらはらにして、悪天候や、関所の都合で足止めされる日もあり。お役目上、あまり早くに先ぶれを出すわけにもいかなかったから、あちこちの街で、さぞかし負担をかけてきたのだろうと思う。


「将軍さまの、お身体への負担が心配です。こんなちいさな街に、これほど多くの兵が必要でしたか?」

「街の外で宿営させている兵たちは、『彼ら』に対する牽制と、万一の時の手勢として使うために連れてきました。……そうならないことを祈るばかりです」

「将軍さまがよく仰る『彼ら』が、この街にも来ていると?」

「そう思って間違いないと思います。そのために備えたのが騎兵三百と兵二千、これ以上はイドリスを刺激して、本当に戦になってしまう。ですが、私の本命はあなたがた二人です」


 キョウもテイも、将軍の話にじっと耳を傾けていた。どちらも控えめな子たちだ。これまでも聞きたいことは山ほどあったろうに、こちらから切り出すのを待って、ただ黙って従ってくれている。


「今回のこと。まだきちんと説明していませんでしたね」


 長椅子に横たわった将軍は、白い鳥が翼を広げた豪奢な刺繍の上で身じろいだ。すぐに気づいたキョウが脇から上体を支える。


「二人とも、手を」


 かたわらへと手まねき、さし伸べた左手を、二人の手がそっと握り返してきた。一見して普通の少年でしかないこの二人の手がどれほどの力を秘めているのか、知るものはまだ少ない。


「あなた方のセレンディラとしての力をお借りしたい。どうか動けない私に代わり、この街で私の耳目となり手足となって働いてほしいのです」

「将軍さまの仰せのとおりに」


 キョウが優しくこたえ、テイは無言でこくりとうなずいた。


「では、まずこれを見てください」


 将軍は懐から細い筒を取り出した。受け取ったキョウが、中から紙片を取り出すと丁寧に広げて卓の上に乗せた。


「二人とも。これが何か分かりますか?」


 少年二人は不思議そうに首をかしげている。

 卓の上にあるのは、大陸南路の6番『イツ』から17番『タツ』までを描いた地図だった。ただし公路図ではない。地形にそって正確に、大陸南路の半ばほどを見事に俯瞰した絵地図だった。


「これはご禁制の『地図』です」

「地図?これが?」

「ええ。めったにない機会なので、よく見てください」


 促しながら、将軍自身も改めて、ほれぼれと眺める。

 素晴らしいできばえの地図だった。

 公道や河川の方位や縮尺、森林地帯との位置関係。神殿や砦や街の配置。それらすべて、王立工房の最新の技術を駆使しても及ばないと。宮城の地図師たちが口をそろえて絶賛していたという。

 問題はこれが、どこで誰が作ったものか、まったく知れないということだ。


「本来は宮城から外に出してはならないものですが、今回の任務にあたって特別にお借りしてきました」


 そこまで話して、将軍はふうと息をついた。これほど手にあまった案件はかつてないからだ。打つ手が尽きたとはいえ、キョウとテイは西の亜人、いわば部外者。しかも将軍の目にはまだ子供としかうつらない二人に、助力を求めるのは正直気が重かった。


「この製作者不明の地図が、南都で発見されたのは今から3年ほど前です。少なくとも5枚の存在が確認されています。地図は、その真価を知るものによって奪いあいになりその後、散逸しました。こちらの手に残ったのは、この地図を含めた2枚。1枚は『彼ら』の手に。残る2枚は人から人の手に渡っているようで、追跡は続けているもののいまだに所在不明となっています」

「3年かけて調べて、それほど何の成果もないということですか?」

「ええ。お恥ずかしい限りですが」


 率直なキョウの問いに、将軍は本当に恥ずかしそうに片手で頬をおさえた。

 これまでのことが、質の悪い夢であったなら、どんなによかっただろう。

 地図を作ったのは何者か。仲間の存在やその潜伏地は。そもそも、どんな目的でこんな地図が作られたのか。どれほど調べても皆目つかめなかった。さらには極秘裏に捜査をすすめていた部下までが、何人も行方知れずになっている。

 当初は『彼ら』の仕業かと思っていた。調べをすすめるうちに、『彼ら』もまた、こちらと同じように地図を追っているのだと分かった。部下たちは、その過程で巻き添えになったのだ。


「少なくとも私が守護する南都で、地図作りなどという反逆行為を見逃しはしません。どこか遠くの街から都へと持ち込まれたのです。我々は都から東へ東へとわずかな手がかりを遡って、とうとうこの(タツ)に辿り着きました。5枚はおそらく、この街のどこかで作られたと確信しています」


 問題はそこから先だった。求める地図のありかも、情報の流れも、すべてこの街で止まってしまっていた。行き詰まり、ついには不自由な身をおして、自身がこの、大陸南路の果て近い街まで赴いてこなければならぬほどに。

 将軍は長椅子の上から少年たちを見上げ、強い口調で言い放った。


「ここが正念場です。我々はなんとしてもこの(タツ)の街で、禁制破りの大罪人を捕えなければなりません。相手が誰で、どんな目的であろうと容赦はいらない。帝と国家に仇なす凶賊を、今度こそ一網打尽にするのです」







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