第35話 石ころと悪夢
光弾の余韻がおさまると、途端に夜気を感じる。
アシャは屋根の大穴から吹き込んでくる外の風が気になった。
「儀式の途中だけど、テイをどこか別の場所に移さない?」
「このままで問題ないよ」
「カタラは雪の中でも眠れる」
キョウもナタンも平然とした顔で、室内に飛び散った瓦礫をせっせと片付けている。アシャの気づかいはまったく無用らしい。
テイはあれだけの騒ぎがあったにもかかわらず、ぐっすり眠っている。肌の上でちらちらと炎が動いているところを見ると、刺青の焼き付けもつつがなく進行しているようだ。
敵は本当にキョウのもと同族だったのか。あやうく、これまで長い間準備を重ねてきた儀式が台無しになるところだった。
もしも、テイが途中で目覚めてしまっていたら……考えるのも恐ろしい。
「とりあえずは撃退できて、テイが無事で良かったわね」
「……目的はおそらく、ぼくです」
片付けがなかなか終わらない。儀式の間おろしていた長い髪を、長巾に包みながらキョウが説明した。
レイというのはキョウの先輩にあたる祭礼の巫子で、大巫子セレイラの再来と言われた天才。10年前に大事な儀式を汚し脱走を企てた罪で、モレイラの神官たちによって処刑されたのだと。
「自分を処刑したモレイラを恨んで、生き残りのキョウに復讐しにきたってこと?」
「……それは、分かりませんが」
「誰が来たかはさほど問題ではありません」
テイが目覚めれば二度と来ないでしょう。
将軍は淡々と言い切った。
そう、問題は誰が来たかではない。
アシャには、将軍の言いたいことが良く分かった。
だってこんなこと、偶然のはずがない。
将軍に『この子の隣は、この世のどこより安全』とまで信頼されているテイが。深い眠りのなか完全に意識を失い、力を発揮できなくなるのは今夜だけ。
今夜、その儀式があることを。
相手がどうやって知り得たのかが問題なのだった。
◇♦◇♦◇
「あ……っふ」
アシャはこらえていたあくびをかみ殺した。
「アシャ、疲れただろう。もう休んでくれていいよ。将軍さまだってお部屋に戻られたんだから」
「あ、ごめんごめん違うの。ちょっと気が抜けて」
焼き付けの儀がぶじ終わり。テイの周りで揺れていた炎が完全に消えてから、しばらく時間がたった。
天井の穴から見える空はまだ真っ暗で。でもわずかに夜明けの気配が近づいている。
このまま自然にテイの目が覚めるのを待てば、そこで本当に儀式は終わりだ。
それに異を唱えたのはナタンだ。
目を細めてテイを見下ろして、
「黒い靄が見える。かなり良くないものだ。あと白い獣も、急に見えるようになった」
キョウに対処しろと言いたいらしい。
マルタ・セレンディラであるナタンは、カタラとハルタと両方の力を備えている。ただキョウのように巫子として修行したわけでないので、本当にただ『見える』だけのようだ。
「白い獣ならわかる。テイの友だちの古代獣だろう。森で遊んでいた頃テイがよく連れていて……たしか名前はシオンといった」
古代獣は人より太古からこの世にある霊格の高い生き物で、今ではとても希少な存在だ。
人にはめったに懐かないのに、テイとはまるで兄弟のようだったと。
キョウは昔を振り返って、感慨深そうに目を細めた。
「途中から姿が見えないとは思っていたんだけど。……今はテイの守護獣になってたんだな」
シオンの名前に反応するように、テイがううんっと顔をゆがめて身じろいだ。少し、うなされているようにも見える。
「黒い靄はかなり古いものだね。『生命ある刺青』の退魔効果でテイの奥から出てきたのなら、それが悪夢の原因かも」
「テイ」
アシャは名前を呼びかけながら、つややかな黒髪に触れた。
そっと頭を撫でると、いったんは落ち着いたようだ。
「……子供のとき、家に火を放たれた夢を見るんだって」
「そうか。そのとき火を放ったのは俺の父親だ」
ナタンの声は固い。
アシャはそれ以上の会話を控えた。
(テイの周囲は、避けたほうが良い話題が多すぎて、やりにくいったらないわね)
それにしても、とアシャは部族会議を振り返った。
あの時ダレンはどう言ったか。
『はじめは赤子や年寄り、次に女や体の弱い者。若い男でさえ10日ともたない』
そこまで深刻な疫病なんて聞いたことがない。そんな病が猛威を振るう中、高齢の村長が最後までテイのそばに残っていたという話も、なんだか腑に落ちない。
10年前。オルソの村では、何が起こっていたんだろう。
テイがまた小さく声を上げた。眠りが浅くなってきたのかも知れない。
(せめて、今どんな夢を見ているのか分かれば)
「夢の中に入れたらいいのに……」
「できるよ、たぶん。やってみる?」
無意識にもらしていたアシャのつぶやきに、キョウはあっさりと応じた。あんまり事も無げに言われたので、逆にアシャの方が驚いたくらいだ。
「ええ。できるの、そんなこと?」
「精神や記憶にはたらきかける術には、相手の同意が大事なんだ。テイはきみに、夢への干渉を認めた。だから、きみなら夢に入れると思う」
「……夢に入って、あたしに何かできるかしら」
「それはきみ次第だね。怖いなら無理にとは言わないけど」
「まさか」
「それでこそだ」
キョウはテイの周りに置いてあった術具の中から、平たい玉を選んでアシャの手に乗せた。
「その玉を間にはさんで、テイと手を重ねて」
とまどいながらも、アシャはキョウの言うとおりにした。
眠るテイの寝台の横に膝をつき、テイの手をしっかり握りしめる。
「アシャ、目を閉じて。何かあったら心のなかで叫べば、ばくに届くから……テイをたのむよ」
まかせてちょうだい、と言い切れるほど自信過剰ではない。行く先は夢のなか。過去は変えられない、けれど。
「やってみる」
キョウとナタンと二人を交互に見て、アシャはぎこちなくうなずいた。
「いまから数を数える。ぼくの声が聞こえなくなったら、もう夢の中にいるからね……」
1,2……というキョウの声は、あっという間に遠くなった。
◇♦◇♦◇
曇天の下に粉雪が舞っていた。
風が強い。雪は積もらずに、どこかへさらさらと吹き流れていく。
アシャが目を開けたのは、周囲をそびえる山に囲まれた、小さな村落の中だった。ここがテイが育ったというオルソ村なのだろう。
見回すと、すぐ近くまで山が迫っていた。人が住める土地はほんの少しのようだ。円形のくぼ地。地図におこしたら面白い形になるような気がする。
そして人の気配は、まったくというほどなかった。
(とんでもなく寒そう……生身でなくて良かったわ。寒さを感じないもの)
さて、これからどうしたものかとアシャが思案していると、白い影が近づいてくるのに気づいた。
(綺麗……これが、テイが子どものころ一緒にいたっていう古代獣ね)
それはアシャが初めて見る美しい生き物だった。
背が高くて大きさは仔馬ほどある。足の長い犬のようにも見えるが、高く伸びた耳や長いふさふさした尻尾は狐にも似ている。
「あなたがシオンね。テイのところまで案内してくれる?」
アシャを出迎えに来た相手は、きゅーんと迷子の子犬のような情けない声をあげた。テイの守護獣というにはちょっと頼りない。
アシャはシオンを道案内に、村の奥へとすすんで行った。
道のわきには数多くの土のふくらみがあり、上には大きな石が乗せてあった。何かのまじないのようにも見えるそれが、ずっと先まで続いている。近くには何かを燃やしたような跡もあった。
(なんだっけ。この形。見たことある気はするんだけど)
アシャはやがて村の中央近くにある小さな家に到着した。テイの家なら村長の住まいということになるが、丸太を組んだだけの質素な造りだ。
裏手には畑地。そこにもでこぼこした土の山があって、大小の石で埋められている。枯れた作物がわずかに、収穫されないまま道端に打ち捨てられていた。
(どうして畑の中に、こんなに沢山の石ころが並んでいるの?)
しばらく眺めていて、アシャはようやく、そのふくらみと石が何であるかに気づきーーーぞっとした。
土山の正体は墓だった。子どもが飼い猫や小鳥のために作る、土を盛って石を乗せただけの簡素な墓。
ただしここで起こったことを考えれば、埋葬されているのは村人に違いない。石の数だけ、誰かがその下に眠っている。
アシャだって宿場町そだち。行き倒れを町はずれに埋める話くらいは知っている。ぞっとしたのはこの村に入ってから見たその数があまりにも尋常ではなく、しかも畑全体にまで及んでいたからだった。
畑地への死者の埋葬が意味するのは、その地の終焉。
二度とそこで作物を育てるつもりがない。その実りを口にする人が、もう誰もいないということ。
「……テイ!」
アシャは小さな家の前へと駆け戻り、扉を開けて思い切り名を呼んだ。こんなところに、もう一秒でもテイを置いておきたくない。
「テイ!どこよ!」
暗い家の中で、奥に座っている人影が振り返った。
やせた、小さな子どもだ。ミルと同じくらいの年頃の、黒髪の男の子。
アシャは家の中の様子に目をこらして、おそるおそる訊ねた。
「……テイ。あなた、そこでなにしてるの……?」
「ぼく、おばあをお世話してるの」
子どもは、感情のない、小さな声で応えた。
床の上に低い寝台が置いてあって、誰かが横たわっている。おそらくはテイを育てたという村長だろう。
けれどそれは。
アシャにはどうしても、干からび、乾ききった遺体にしか見えないのだった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は第36話『開いた窓』
宜しければまたどうぞお越しください(^^)




