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薔薇のセレンディラ  作者:
第二章 生命ある刺青
33/40

第33話 土人形の選択


「-----っ!」


 声にならない声を上げて、テイが飛び起きた。

 傍らに伏せていた将軍がその手をとって、強く引きながら声をかけた。



「テイ、落ち着きなさい。大丈夫、夢ですよ」


 テイは状況が分からないようで、周囲をきょろきょろと見まわしていた。

 暗い寝台の中。床に就く将軍さまから癒しの力をわけてもらっているうちに、不覚にも一緒になって寝落ちてしまっていたらしい。


 目が覚める寸前に、誰かの悲鳴を聞いたと思った。しばらく思いを巡らせて、それが夢の中で発した自分の声だと気がついた。


「将軍さま……俺、なにか言ってましたか?」

「ひどくうなされていましたよ。『燃やさないで』、と」

「ああ……」


 テイは両手で額を覆った。そうだ。揺り起こされるまで、そんな夢を見ていた。何度くり返しうなされたか分からない、子供のころの夢。

 夢と言っても現実と区別がつかないほど生々しい。今でもまだ手が冷え切って震えていた。


「……夜中に、騒がしくしてすいませんでした。このあとは俺、もう眠りませんから。将軍さまはどうぞ、お休みください」

「あんな悲鳴を聞いてしまったら、しばらく眠れませんよ」


 将軍はテイの前髪をかきあげ、汗に濡れた顔をのぞきこんだ。


「夢見はともかく、顔色はだいぶ良いですね。君が起きているつもりなら、少し話をしましょう」

「はい……」


 テイは半身が不自由な将軍を助けて、寝台に上体を起こさせた。


「さて、せっかくなので。キョウが彫った刺青を見せてもらいましょうか」


 テイは素直に両手を差し出した。そこにはキョウに施された『生命ある刺青』が細々と彫りこまれていた。

 実際は手だけではない。背にも足にも。体中にびっしりとある。


「よくもここまで。相当、時間がかかったでしょう」

「大したことないです」


 テイはふるりと首をふった。


「皮膚に鍼を刻むのは大人でも辛いのに。あんまり、自分を粗末にするような真似は感心しませんねえ」

「そんなことは……」

「ありますよ。君は自分自身の扱いがとても雑です。今回も本当は、食べたらどうなるか知っていたはずです」


 キョウから受けた説明では、そういう話だった。

 処方した毒以外は、少しの追加も命にかかわると。再三、注意していたというのに。

 結局は死の淵をさまようはめになった。


「はい。でも……そんな深い考えがあったわけじゃなくて。頭がぼうっとして、気がついたら口に運んでいたんです」


「喉が火箸を刺したように焼けて、胃の腑がねじれて熱で溶けたでしょう。どんなにか苦しかったでしょうに」


 ついうっかり、というには代償があまりに重い。

 将軍はもう一度、癒すようにテイの肩を撫でた。


「……かつて君の故郷でなにがあったかは、ナダ女王から伺いました」


 陽とはまったく異なるセレンの因習。

 困難な境遇にあったとは思う。それにも負けまいと懸命に努力していることも知っている。


「テイ。君は良い子です。でも死が目前にせまったときに、その誘惑に抗うことができない。まさか、生き残ったことが不満だとでも?」


「不満なんて……そんなの俺に許されない。みんな苦しんで、あんなに苦しんで死んでいったのに」


「君が楽になるために、周囲の人を利用する権利もない。自分が何も知らず渡した毒で君が死んだら、ミルはどうなります? 」


「……ごめんなさい……」


 そんな簡単なことにも、思い至る余裕がなかった。

 テイはうなだれ、寝台の上に両手をついた。


「俺はキョウにも、とりかえしのつかないことをしてしまいました」


 憎しみあい決着がつかないまま、長年にわたって小競り合いを続けてきたマドラ族とモレイラ族。6年前の戦で、その開戦のきっかけを作ったのはテイだった。

 夜の森で遊びながらキョウから聞いた話、情報が、マドラに決定的な利をもたらし。結果としてモレイラは全滅した。

 そうして、キョウ一人だけが生き残って。


「立場は似てるけど、でも俺はただ、死ななかっただけです。あいつは、一族すべての責を負うことになってしまった。どうしたら償えるのか分からないけれど、俺に……」


 俺にできることなら何でもしたい。そんな風に思いつめたテイの言葉を、将軍はやんわりと遮った。


「詳しい人が言うには、この『生命ある刺青(アルタトラ)』の秘術は、施した相手の魂まで支配できる危険なものです。キョウもまた、あなたにとりかえしがつかないことをしようとしていますよ」


「かまいません」


 テイは将軍の夜着にしがみつき、相手を倒さないようそっと、懐に顔をうずめた。


「だったら俺はキョウの操る土人形でいい。心なんていらない。あいつのために働いて、役目が終わったら粉々に崩されて、ただの土に戻りたい……」


 訴える声は震えていた。将軍はテイの身体に寄りかかりながら、その黒髪を握力のない右手でやさしく撫でた。


「君がたとえ土くれの兵士であったとしても、その心は間違いなく人のものです。ひとり戦うことを選んだ友だちを、支えたい気持ちを持っている」


 テイは応えない。かたくなに終わりから目が離せずにいるテイを抱いたまま、将軍はふうと長いため息をついた。


「どうしたら、君の喪があけるのでしょうねえ……」


 けれど、その日はもうそう遠くない気がする。

 そしてその鍵を握っている人物にも、うすうす見当はついているのだった。



◇♦◇♦◇





「ねえ、入って良いかしら?」

「もう終わったよ。やっと完成。テイはもう少し休んだら話せるようになると思う」


 将軍の私室の近く。二人がよく使っている控えの間に、アシャはそっと声をかけて入った。

 中には仮眠に使う小さな寝台がひとつ。今はテイがうつぶせに横たわっている。

 キョウが手にしている血と染料でべっとりと濡れた布を見て、アシャはひええと肩をすくめた。


 まだ安静に、と将軍が念を押すだけあって。

 それまで続けていた服毒を止めても、テイに施された刺青は一向に消える様子がなかった。

 だから、焼き付けの儀をするなら今しかない、とキョウは言う。


「あとはテイ次第なんだけど」

「……テイは納得してるんじゃなかったの?」

「刺青を彫ることにはね。ただ『眠りたくない』と、その一点張りなんだ。それでこの間の夜も喧嘩になったんだけど」


 ああ、あの時。『(チョウ)』の天幕の中で揉み合っていたのは、そんな成り行きだったのか。


「その儀式は眠らないとできないの?」

「文字通り、秘術の炎で魂を焼くんだよ。どんな苦痛だと思う?」

「……ごめん、想像もつかないわ」

「そうだね。きみもいちど、生きたまま竈に押し込まれて骨まで焼かれたら実感できるかもね」


 キョウはほがらかに提案した。試してみたいなんて軽口でも言おうものなら、本当にやりかねない顔だ。

 アシャは話の矛先を変えることにした。


「テイ、どうして眠るのが嫌なのよ」

「……怖い夢を見るんだ」


(そんな理由!?)


 そんな理由でも事実らしい。

 悪夢でうなされるのが嫌なばかりに、今までほとんど眠らない生活を送ってきたのだという。どうりで普段からぼんやりしているわけだ。


「ちゃんと寝ないと、頭おかしくなっちゃうわよ」

「寝ないくらいでカタラは死なない」


 テイはのろのろと寝台から身を起こして、衣類に袖を通していた。答えもかなり投げやりな調子だ。


「死ななきゃ何しても良いわけじゃないでしょ。一体、どんな夢を見るの?オルソ村の夢とか?」


 アシャが聞くと、テイは心底驚いたように息をのんだ。


「何故、知ってる」

「この間、マダラ族の会議に参加させてもらったの。あなたの子供時代の話を聞いたわ」


 よほど予想外の話だったのだろう。テイは呆気にとられた様子でつぶやいた。


「……忌み地の禁を破るなんて。みんななんて無茶を……」

「あたしは『陽』の民だから、あんたたちの掟なんて怖くないわ。だから話してよ、テイ。眠れないくらい怖い夢って、疫病が流行した時のこと?」


 テイは黙り込んだ。かなり抵抗がある話題らしい。

 アシャが顔を近づけてむんとすごむと、ようやくしぶしぶ口を開いた。 


「その……俺は親がいなかったから、村長をしていたおばあに育てられたんだ」


 黒葬病の流行がはじまってからずっと、村人への指示や病人の看病に尽力していて、最後の最後に倒れたのだという。

 そして苦しい息の下で、テイに言い聞かせた。


『自分が死んだら、次はお前の番だ。みんな先にいって待ってるから怖くない。順番だから、大人しく待っていろ』と。


 その話を聞いて、アシャは無言で首をかしげた。

 いくら一人残して逝くからといって、自分が育てたという小さな子供に、次はお前の番だなんて言うだろうか?


「だけど、大人たちが村の外から大勢やってきて『お前はカタラだから病気にはならない』って。俺、『なんだそれ?』……って」


 いきなりだと、そりゃ、思うわよね。

 テイをマドラ領の外で育てた先代の族長も、せめてテイがカタラだってことぐらいは教えておけばよかったのに。


「そんなこと言われても、俺、少しもうれしくなかった」


 テイは無理やり外に連れ出された。そして、家に火が放たれた。

 死に物狂いで抵抗しても、大人の力にはまったく歯が立たず。7歳のテイの見ている前で、次々、家に松明が投げ込まれた。

 ついさっきまで、テイを励ますために声をかけ続けてくれていた。親代わりの村長が、まだ残っている家に。

 乾いた家は、またたく間に赤い炎に包まれていった。


「燃やさないでって頼んだんだ。でも誰も聞いてくれなかった。おばあは病で、もう長くなかった。それでも生きていた。あの時はまだ生きていたのに……っ」


 眠ると、その夜の夢を繰り返し見るのだという。

 アシャは、どう声をかけていいか分からなかった。

 ずい分と酷な話だと思うけれど、それは自分が『陽』の民だからで、セレンでは普通なのかも知れない。

 こっそりとキョウに耳打ちする。


「……マドラ族の対応は、モレイラ的にありなの?」

「巫子でも神官でもない素人が穢れを払うなら、燃やすのが一番だ」


 案の定、キョウは神妙な顔でうなずいた。

 聞くんじゃなかった。

 アシャはげっそりした気分でテイに向き直った。


「あたし、刺青の儀式の間、あんたに付き添っていてあげる。うなされてたら子守唄を歌ってあげるわ。夢も見ないくらいぐっすり眠れるように」


 生きながら焼かれるような苦痛と、肉親と慕う相手が生きながら焼かれた夢と。

 どちらをとるかなんて、テイに選ばせたくない。


「あたしは子守の手伝いもしていたから、寝かしつけには定評があるわよ。テイ、腹を据えなさいよ。あんた巫子になって、なんかやりたい事があるんでしょう?」

「……できるかどうかも分からないけど」

「大切なのは心だよ。モレイラのどんな術も、最後は心が決め手なんだ」


 キョウの励ましは、恐怖心で固まっていたテイの心を動かしたようだ。

 テイはしばらく沈黙したあと、ぽつりと言った。


「……子守唄より、算楽の設問の方がいいな」

「夢の中で問題を解くの?」

「確かに、テイならその方が向いているかもね」


 くすくす笑いながら同意したキョウは、最後の確認とでもいう風にテイに尋ねた。


「やるなら丸一晩は、眠ってもらうよ、テイ。儀式の作法に従うかい?」


 テイはキョウに向き直って、はっきりとうなずいた。



「ああ。やる」


最後までご覧いただきありがとうございました。

次回は第34話『焼き付けの儀』

宜しければまたどうぞお越しください(^^)

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