第29話 月夜の疾走
ともかく急ぐ。
将軍さまをいかに早く連れ帰られるかどうかに、テイの命がかかっている。
早く、早くとそれしか頭になかった。
夜道の暗さも慣れない道も、いまはなんの妨げにも感じなかった。
林の中を駆け抜け、長い石畳の道を走破し、アシャたちは宮城へ向かって走り続けた。
やがて、むかう先に壮麗な南都の内門が見えてくる。
「おい」
後ろから声をかけてきたダレンは、馬の手綱をアシャに放ってきた。
「持っていろ。このまま止まらないでまっすぐ走れ」
言うなりひょいと馬から飛び降りて、自分の足で駆けだした。
ナタンも無言で同じようにその後を追う。
全力で疾走する馬をみるみる引き離して、二人はさらに先まで走っていってしまった。
愛馬を駆りながら、アシャは真剣に疑問に思った。
(カタラって、馬に乗る意味あるのかしら?)
南都には街のなかにもいくつもの門がある。
高くそびえる頑丈な門が、アシャの行く手にみるみる近づいてきた。
手に汗を握りながら、それでも言われた通り速度を落とさず駆けていく。
内門はひとりでに開いてアシャたちを迎え入れた。
誰何の声もなく、足止めもされず。
守備がまったく機能していない。
(あの二人の仕業かしら。便利なんてもんじゃないわね)
疾走しながら門を潜り抜けると、すぐまた背後でごおんと重い鉄の扉が閉まる音が響いた。
「次の門も今の通りに」
走っている馬の背に、ダレンとナタンが飛び乗ってきた。二人とも全力疾走して一仕事した後なのに、平然とした表情をしている。
(カタラがもうあと2,3人いたら、南都の城ごと落せるんじゃない?)
アシャは半ば本気でそう考えていた。
都の大路を駆け抜け最後の城門にさしかかったとき。
ふいに先頭を走っていたナタンが手を上げて鋭く一行を制した。
「止まれ」
アシャは周囲を見回した。
特になにも障害物はない。誰もいない。
「どうしたのよ。早く行きましょう」
「駄目だ。このまま進むと良くない物に捉えられる」
急かすアシャに、ナタンは頑なに首を振った。
「ナタンはマルタなんだ」
ナタンの言葉を横からタレスが補足した。
マルタ・セレンディラは、ハルタとカタラと両方の恩寵をもっている。
ナタンはいつも、他の仲間には見えない、特別な視界でものを見ているらしい。
ナタンは頷き、途方もなく大きな花びらのようなものが、ゆっくり回りながら宮城全体を覆っているようだと説明した。
「正体は知れんがあれは絶対に触れられない。避けながら進むしかないな。馬はここまでだ」
「ここから歩き? まだ将軍さまが、このお城のどこにいるかも分からないのに……」
(この馬鹿みたいに広大なお城で、今から門番か、兵士の詰め所を探して、身分証を見せて取次ぎをお願いして返事を待って……翌朝どころか昼までかかるわね)
「ちなみにあなたたち、どうするつもりだったの?」
「適当な兵を捕まえて、できるだけ偉そうな官に繋がせて、そいつにリールセン卿のところまで案内させる」
ダレンが淡々と答えた。もちろん力づくってことなんだろう。
他に方法がなければそれも止むないが、できれば騒ぎは避けたいアシャだ。
「ごめん、ちょっとだけ待って」
アシャは目を閉じて、必死にこれまでの記憶を呼び起こした。
昼間、馬車の中から見えた景色。何方向からか見た、山の斜面にそってそびえる宮城の姿。
そして今、月明りの下、所々のかがり火と共に浮かび上がる漆黒の威容。すべての縮尺をあわせてそれらを脳裏でひとつに重ね合わせる。
アシャの頭の中で、宮城の図面がすっくと立ちあがった。
(城の北側は分からないけれど、将軍さまはお月見をすると言っていた。なら必ず部屋の窓はこちら側を向いているはず)
宮城の奥向きに近く、かなりの高階層。
そして、テイが飛びついたという木立が近くにある……頭の中の図面で条件にかなう場所を探しながら視線を走らせていたアシャは、暗闇の中にひとつの灯りを見つけてすっと指さした。
「あそこ! あの奥の宮に渡殿でつながってる棟の上から二番目の階、一つだけ灯りのついている窓を見て!」
「ああ?分かるかよ、そんなんで」
タレスが文句を言った。
けれどアシャに導かれて同じ方向を見たナタンは、目を細めてぽつりと言った。
「お前の指す方向に、ハルタがいる」
そういえば今夜は誰かと月見するって言ってたんだっけ。
あの珍獣牧場主。ここでもセレンディラと一緒なのね。
アシャは確信とともに断言した。
「絶対それだわ!」
「相手のタイカを捉えた。行くぞ。舌をかむなよ」
すぐ耳元でダレンの声がした。
え、と思ったとたんに、アシャは体が宙にぽおんと放り上げられるのを感じた。『頂』で体験した、カタラの空中疾走ふたたびだ。
高い塀も掘も屋根も、一切ものともせず。ぐいぐいと矢のような勢いで、高所へと荒っぽく運ばれていく。
(あああ!また、こうなるのね!)
今回は悲鳴をあげる余裕すらなく。
アシャは歯を食いしばって、目がぐるぐる回りそうな跳躍の衝撃を、必死に耐えるしかなかった。
4人は目指す部屋への最短距離を、まっしぐらに進んで行った。
◇♦◇♦◇
「……将軍さま!!!」
焦燥と、移動の衝撃と。
半泣きになって窓から飛び込むと、月明りに照らされた青白い室内には、二人の人影があった。
ひとりは広々とした部屋の中、座り心地のよさそうなゆったりした座椅子に腰かけた将軍で。
もう一人はその傍らに座す、テイセラ神官の装束をつけた若い男性だった。この人がハルタなのか。
卓の上には、キョウが見たら目をむきそうな大きな酒瓶が置いてある。杯は二つ、その隣に伏せて置いてあった。
驚いて窓の方を振り向いた将軍の手には、白い紙が握られていて、そこには大きく太い字で「飲むな」と。
(確かにこれから先を考えると、飲んでない方が絶対いいわよね)
さすが帝。と、アシャが助言の的確さに感心した瞬間、文字はふっと消えて白紙に戻った。
これが、キョウが感銘うけてた玉示の霊威……って、それどころではなかった。将軍さまを連れ帰らなきゃ。
いきなり窓から飛び込んできた賊の顔を確認して、将軍はあっけにとられた様子だった。それでも素晴らしい自制心を見せて、驚きは隠せないながらも穏やかに訊ねてくる。
「まさか、アシャですか。それに皆も。……これはいったい、何事ですか?あなた達、どうやってここへ?」
「テイが毒で倒れたんです。うっかり毒のキノコを食べて!!」
アシャは肩で息をつきながら全力で訴えた。
こんなに切迫した状況なのに、台詞のマヌケさが心底情けない。
ああああテイの馬鹿。
案の定、返ってきたのは失笑をこらえるような声だった。
「何を言うかと思えば……カタラを毒で倒すなら、セレン山麓すべての茸が必要では?」
「でも、本当なんです!床の上が真っ赤に染まるくらい、体の中身がぜんぶ出ちゃうくらい血を吐いて、もう息してなくて心臓も止まりかけてて……将軍さまでないと助けられないってキョウが……っ」
「……これは、ただ事ではないようですね」
それまで黙っていた神官がふいに口を開いた。
「お行きなさい。後の手配は僕がします。そのかわり、落ち着いたら詳しい話を聞かせてもらいますよ、カイル」
カイルって誰だっけ?と一瞬首をひねりかけ、次いでそれがリールセン将軍の本名だったと思い出す。
アシャは相手をまじまじと見た。将軍さまを名前で呼ぶ人を、初めて見た気がする。
しかも、なんだかずい分と上からな物言いだ。
「わかりました。アシャ、急ぎましょう。……すぐに馬車の支度を」
「いま人を呼びます」
将軍の指示を受けて席を立とうとした相手を、アシャはすばやく制した。
「そんな余裕はないわ。色々ごめんなさい、ごめんなさい!本当にごめんなさい!!誰か知らないけど後はお願いします!!!」
アシャは窓にとりついて、天井から床まで伸びている長い幕を思い切り引っ張った。
幕を固定していた金具がはじけて、部屋中にガシャガシャと飛び散る。アシャは幕をたぐり寄せて、勢いよくばっと開いた。
「さあ、将軍さま。行きましょう!」
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は第30話『部族会への招き』
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