第23話 生命ある刺青
ああ、楽しかった!
霊木見物から、ごきげんで宿に到着。自室で横になろうとしたアシャは、ふと兵舎から拝借してきた縄のことを思い出した。
今夜はもう遅い。返すのは明朝にするつもりでいた、けれど。
(将軍さまの隊って、装備の管理とかきっちりしてそうよねぇ。数が足りないとすぐに気づかれて問題になるかも)
ええい。迷っている間に返してきた方が早い。それから即、寝よう。
アシャは寝巻姿に上着をはおって、縄を片手にするりと部屋を抜け出した。
近くには将軍さまの休んでいる部屋がある。前を通っても、ことりとも音がしなかった。おつきの二人や夜番は部屋の中にいるのだろうか。
アシャは外に出て、急ぎ足で庭を横切った。
宿の外に広がる森の中。兵舎の天幕がいくつも並んでいる。
見回りを避けながら目指す天幕にたどり着いた時、中から聞こえてきた話し声にアシャはぴたりと動きを止めた。ついさっき、ホウセンを預けて宿の前で別れたところのテイたちの声だ。
(なによあの二人……時間がなくて急ぐようなことを言ってたのに、まだ将軍さまのところに戻ってないの?)
次いで、ガシ、バシンと何かを打つような音が響いた。言い争うような声まで聞こえる。セレンの言葉だから話の内容までは聞き取れなかったものの、かなり激しい口調だった。
やだな。なんだろう。戦や捕虜の話なんて聞いてしまったせいで、ついつい不穏な想像がよぎる。
まさかあの二人、仲良くしているのは人前でだけで、実際には陰で喧嘩してたり険悪な雰囲気なんだったり……なんて、まさかね。
ないない。いくらなんでもそんな仲なんだったら、しばらく一緒にいたらすぐ分かるっていうの。自分で自分の想像のバカバカしさに呆れてしまう。
「ちょっとごめん、入るわよ」
アシャは思い切って幕をめくった。どうせ何事もあるはずがない。縄を置いてさっさと帰ればいい。
中にふみこむと、燭台の光に人影が揺れていた。あれ。あいつらは、どこだ?
アシャが視線をめぐらせたその先にあったのは。
たたんだ予備の天幕を積んだ上、重なりあう姿があった。
横たわったテイを押さえつけるみたいにキョウが馬乗りになって、テイの襟元を大きくはだけさせていた。二人ともいつもの長巾をとって、外に流した黒と白の髪が乱れている。
アシャはばさ、と持っていた縄を足元に落とした。音に気付いて二人が顔をあげた。アシャの姿を見てぎょっとなり、慌てて身を起こしている。
これは……何事もない。いや、ある?どっち?
もう、わけがわかんない。
アシャの口から、疲れきったような、げんなりした声がもれた。
「一体、なにやってんのよ。あんたたち……」
「……『生命ある刺青』?その……刺青を、キョウがテイに彫ってるってこと? あなた、刺青なんて彫れるの?」
「そう。ぼくたちモレイラ族は、子供のころから少しずつ全身に刺青を入れるんだ。そして焼きつけの儀を経て巫子として一人立ちする」
アシャはテイと入れ替わりにたたんだ天幕を積んだ上に腰かけて、キョウの説明を受けていた。ついさっきは動揺しまくっていたくせに、あっという間に立ち直って、腹が立つほどすずしい表情をしている。
「見てもらった方が早いね。こういうものだよ」
キョウはいつも手首に巻いている白布をほどいて、アシャに突き出した。その腕にはびっしりと細かな刺青が彫られていた。炎のような花のような、複雑で神秘的な意匠だ。
アシャは感心して精緻な紋様をながめた。彫るのにどれだけ時間がかかるんだろう。それに肌に針を突き刺して彫るらしいから、そうとうに痛かったはずよね。こんなものが全身にあるなんて。
巫子ってお祈りしてるだけのおきれいな役目かと思っていたのに、モレイラ産の巫子は中々とんでもない。
「アルタトラはこの刺青自体が強力な護符で、あらゆる穢れを退けると言われてる。でも、この刺青にはさらなる力があるんだ」
見て、という合図とともに、キョウの刺青がふわりと燃え上がる。淡い水色の炎は意思をもった生き物のように、アシャの目の前でゆらめきながら渦を描いた。
「わかる?アルタトラは生きているんだ。魂の力を糧に燃えて、命ある限りその炎が消えることはない。モレイラの巫子の証だよ」
そういえば、これまでにもキョウがこの淡い光を使うのを何度か見た覚えがある。あれは『生命ある刺青』が燃えている光だったのか。
「それって『経』にいたとき、私にもつけてくれたもの?」
「そう。少しの間なら他に炎を移すことができる。でもずっとは無理だよ。只人は魂の力が弱いから、生命を吸い取られて衰弱死してしまう」
それはそれは事後承諾で、いとも簡単に物騒なものをつけてくださってありがとうございます、だ。
しかも今度はそれを、テイの身体に彫っているのだという。よりによってマドラの王族のテイに、滅亡したというモレイラ族の巫子の証の刺青を。
ああややこしい。
アシャは頭をかかえたくなった。
仲たがいしているわけでないのは良かったけど、本当に、一体二人してなにをやっているんだろう?
「テイはカタラで生命力が強いから、彫っても大丈夫なの?」
「わからない。衰弱することはないだろうけど、アルタトラとして実際に使い物になるかどうか。何しろ一族以外にこれを彫った前例がない。ぼくにもまったく未知の領域だよ」
アシャは、床の上でひざを抱えてちぢこまるように座っているテイを見下ろした。襟元はまだ大きく乱れたままだ。
「それって、あんたが彫ってくれってキョウに頼んだの?」
テイは急に声をかけられたことに怯んだようにびくっとしながらも、おずおずとうなずいた。
「どうして?」
「……どうしても……」
返事があるだけ進歩したものの、会話にならないのは相変わらずだ。
「ともかくテイに頼まれて彫ってたわけね。問題がなければそれでいいんじゃない?」
「とんでもない。問題だらけさ」
キョウは憤然としてテイを強引に立たせると、片袖を抜いて肩から腕までを大きくむき出しにさせた。
「ちょ、ちょっと」
乙女の前でなにすんのよ、なんて、抗議をするヒマもない。
思わず目を背けようとしたものの、あらわになったテイの肌の上の刺青を見て、アシャはおやと目をみはった。テイの刺青はキョウよりも紋様が簡素で色が薄い。しかもところどころ……消えかけている?
「なにこれ。失敗?」
「違う!!」
瞬時にきっぱりと否定されて、思わずアシャは首をすくめた。
だって、比べるとあんまりに残念な仕上がりなんだもの。ついつい正直な感想がでちゃったのよね。
「ぼくはちゃんと彫ってる!……でもテイの身体、カタラの治癒力が邪魔するんだ。彫るそばから消してしまうんだよ。刺青は、普通は一度彫ったら一生残るものなのに、テイの場合は一月ともたない」
「は、はあ」
自分のせいにされるなんて侮辱だ、失敬なとでも言わんばかりの、キョウのあまりの勢いに、アシャは相槌をうつのがやっとだった。
アシャは再度、テイを見た。キョウに腕をつかまれたテイは、師匠に叱責されてる弟子みたいな表情で、見るからにしょんぼりとうなだれている。
な、なんだか不憫な感じ?
「ねえ、テイ。それって自分の意思で、刺青が消えないよううまくできないの?」
「……体が勝手にやってることだから、どうしようもないだろ」
「だって自分の体でしょう?」
「じゃあ、お前はどうなんだよ。髪の毛や爪を、自分の意思で止めたりのばしたりできるのか?」
「それは、できないけど……」
確かに、体が勝手にやってることは自分自身でも制御不能だ。アシャはしぶしぶ口ごもった。
生意気に、テイにしては珍しくまともなことを言うものだ。
それにしてもカタラ・セレンディラなんて。聞いた話では、人の域をこえた生命力とか、体力に、回復力。もっとも完璧に近い生命とか呼ばれてるくせに、その実、刺青もまともに彫れないなんて。
なんて融通がきかない面倒くさい体なのかしら。
「それで、せっかく痛い思いして時間かけて彫ってるわけでしょう。なにか消えないようにする方法ないの?」
「……これでも、さんざん試行錯誤したんだよ。彫る紋様をできるかぎり減らして、彫り方を工夫して染料を強くして……でも駄目だった。途中で消えてしまうから完成までたどりつけない。それで……今は仕方なく、薬を飲ませてテイの回復力を削ってる。刺青の染料を異物として分解してしまう、そのカタラの治癒力が働かないように……」
キョウの口ぶりは重い。
アシャはいや待て、何かおかしいぞ、と首をかしげた。
刺青も消せないくらい消耗させてるって、それ薬じゃなくて普通に毒っていうよね?
もともと毒に強いカタラを、その人並はずれた治癒力のさらに上をいく猛毒で弱らせてるってこと?
刺青のためだけに?
だんだん話の雲行きがあやしくなってきたわね。
アシャは内心で、盛大にため息をついた。
ああ失敗した。
やっぱり縄なんて放っておいて、さっさと寝てしまえばよかった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は第24番『キョウの提案』
宜しければまたどうぞお越しください(^^)




