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薔薇のセレンディラ  作者:
第二章 生命ある刺青
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第22話 樹上の仲直り

 そして、夜更け。


 アシャは大熊亭から連れてきた愛馬、ホウセンを駆って、暗い森の中を疾走していた。


 行く先を照らすのは月明りだけ。あとは持ち前のカンをたよりに、目指すは『(チョウ)』の霊木だ。

 おおよその道筋は宿の主に聞いて分かっている。なんといっても、あんな目立つ道標はない。


 夜道に慣れたホウセンは、初めての道でもまったく怯むことなく順調に快走していた。それがいきなり何者かが前方を遮ったのに驚き、ひいんと激しい嘶き声をあげる。


「どうどう」


 竿立ちになったホウセンを、アシャは手綱を引いて落ちつかせた。


「きみね……」


森の中からさく、さくと裸足で草を踏んで現れたのはキョウだった。その隣にはテイ。二人だけで馬の姿はない。


「今さらだけど、きみ軍に捕らわれてる自覚ある?脱走は死罪だって知ってるのかな」

「いやねえ。脱走なんてするつもりないわ。ちょっと夜の散歩に出ただけよ。なんでもかんでも極刑にもってかないで」

「きみの行動が極刑方面に偏ってるんだよ。陽の法規のせいじゃない」


 キョウが呆れた声で言い返してきた。アシャは肩をすくめてみせた。


「本当に散歩なのよ。せっかくここまできたんだもの。有名な『頂』の霊木の天辺に上ってみたくって」

「こんな夜中に?」

「いつも宿の仕事が終わった後、親爺の目を盗んで出かけてるから。大体こんな時間になっちゃうのよ」


 じゃあね、と二人をその場に残し、アシャはもう一度ホウセンを走らせた。

 夕食のあと聞いた『テイはキョウの監視役……』という将軍さまの声が耳のなかによみがえる。

 アシャはぶるぶると首をふって暗い考えを振り切った。だからって別にこれまでと何も変わりはしない。こうやって二人仲良くあたしの監視をしているうちは、平和ってことじゃない。


 しばらく進むと、森の中の道は急に細くなって、行き止まりにさしかかった。その先は断罪絶壁になっているという話だ。めざす霊木は目の前。ただしこちらと崖との間には、狭いけれど深い谷が口を開けているようだった。

 アシャは付近を見まわした。

 少し遠回りすれば橋があるようだけど。そんな迂回していたら、確実に朝までに宿に戻れないわね……これは、やるしかないか。


 アシャがホウセンを下り崖まで歩いていくと、先回りしたキョウとテイがそこで待っていた。徒歩なのに、アシャの馬より先に着いているなんて。ハルタもカタラも、セレンディラなんてつくづく非常識な脚力の生き物だ。


 アシャは二人を無視して、月の光の下、そびえる霊木を仰ぎ見た。もともと森の中にそびえていた古木が、何百年も前に地震があって、その木の周りだけさらに高くまで隆起したらしい。


「無理しないで。きみにはこの谷を越えられないだろ。それにあんなに高い崖や木を、どうやって登るつもり?」

「兵舎の天幕から縄を借りてきたわ。対岸からでも縄を打てばなんとか渡れる」

「きみ、そんなことまでできるのか?」

「賭け算楽のカタに客から教わったの。うちの宿の常連だった、もと山賊のおじさんからね」

「あの宿の客層はだいぶ問題があるな……」


 どう言われようと、地形を調べるためには実際に足を運ぶのが一番。時間短縮のため、道なき道を目標まで直線距離ですすむことだってざらだった。客に習った技術はどれも調査に欠かせないものだ。


「あたしは投げ縄も木登りも、なんなら綱渡りだってやるわよ」

「まったく、きみは地図のためなら……」

「なんだってやるのよーーーーっ!」


 キョウの台詞をひったくって、アシャは重しをつけてぶるんぶるん振るっていた縄を、目の前の崖に投げつけた。

 対岸の木に引っかかった縄を、二度、三度引っ張ってみて手ごたえを確かめる。

 うん。いけそうだ。あとは縄をどこかに固定して渡るだけ。


「頑張っているところ、せっかくだけど。ぼくらは早く将軍さまのところに帰りたい」


 キョウの声がすぐ後ろで聞こえた、と思った瞬間。

 アシャは体がふわっと浮くのを感じた。握っていた縄が手から離れ、宙に放り出されるような気味悪い感覚に鳥肌がたつ。


「き、きゃあああーーーーーーーーーっ!」


 ざざざっと身の回りで木々の梢がこすれて鳴るなか、アシャの身体はぐんぐんと引き上げられていた。そして、ようやく振動がぴた、と止まる。目を開けたアシャが見たのは、広々とした森林をはるか眼下にのぞむ景色だった。


「ええ……もう、木の上?ここって霊木の天辺なの?」


 崖を軽々と飛び越え、アシャを樹上まであっという間に運んできたのはテイだった。テイは無言でうなずき、抱えていたアシャの身体をそっと枝の上に下ろした。アシャはおそるおそる自分の足で立とうとして、ふらついてテイにしがみついた。


 さすがにこの高さはちょっといやかなり怖い。それ以上に興奮で足元が震えていた。

 頭の上には月しかない。あとは見渡す限り夜空だけ。すべての世界がアシャの足の下にあった。


「すごい。私たち、このあたりで一番高い所にいるのね!」

「これを見たかったんだろう? 納得したら大人しく宿に帰るんだよ」


 わずかに遅れて到着したキョウが、テイやアシャの下方にある枝から、やれやれといった調子で声をかけてくる。


「助かったけど、ちょっと予定が狂ったわね。もう一刻ほどあとなら、東の空があかるくなって、地上がもっとよく見えるのに」

「そこまでつきあう気はないな」


 そう言うと、キョウの手首に淡い水色の光が灯った。双竜亭でも見たその光は、見る間に枝々の間に長くのびていつもの錫杖へと姿を変えた。


「瞬きしないで、しっかり見るんだよ」


 キョウが錫杖を高くかかげる。その先から伸びた光はまっすぐに天に昇っていき、アシャたちの頭上にぱあっと白い大きな光の輪を描いた。


「わあっ……きれい」


 光はすぐに砕け散り、ぱりぱりと火花のように輝きながら地上へと降り注いでいった。それはほんの数秒のできごとだったけれど、アシャには十分だ。月明りだけでは見えなかった景色が、ハルタの術で闇のなかくっきり浮かび上がっていた。

 山の稜線も流れる川も、アシャが頭の中で想像していた姿とまったくかわらない。

 それを確認できただけでも、ここまで無理して出むいてきたかいがある。


「ありがとう、キョウ」

「どういたしまして」


 キョウがにっこりと笑み返してきた。アシャはテイにも向き直って感謝した。テイはここまで連れて上がってくれただけでなく、アシャが落ちないようにずっと支えてくれていた。


「あなたも。ありがとう、テイ」

「……え?」

「ありがとうって言ったのよ。ほら。こういう時はどういうの?」

「ど……どういたし、まして……」


 蚊の鳴くような声でテイが答えた。アシャはにんまりした。

 まあ、ちゃんと返事ができただけで上出来だ。セレンじゃなくて陽の言葉だったし、今晩はこれくらいで勘弁してやろう。


「ねえ、アシャ。提案なんだけど」


 二人のやりとりを見ていたキョウが、下から声をかけてきた。


「なあに、キョウ?」

「きみが地図を描くために情報を集めてまわる必要があるなら、ぼくらもできるだけ協力するから、こんな風に勝手に抜け出すのはもう止めてもらえないかな」

「つまり。先に相談すれば、あなたたちが今みたいに力を貸してくれるってこと?」

「内容にもよるけど。できるだけのことは、する。将軍さまに報告するかどうかはこっちで判断するから。何かする時は必ず、ぼくらに事前に相談してほしい」


それは願ってもない申し出だった。彼らの力がアシャにとってどれだけ頼りになるかは、今しがた証明された通りだ。


「わかったわ。次からはそうする」

「ぜひともそう頼みたいね」

「大丈夫よ。あたしだって本当は、こそこそしてるのは性にあわないの。どうせなら描くものもやってることも何でもばーんと世の中に出して、みんなに知ってもらいたいわ」

「どうぞお好きに。時と場所と場合と、あと出す物が合法で相手が適切かさえ考えてくれれば、ぼくは止めないよ」


キョウの言いぐさにアシャは苦笑した。


 口ではお好きにと言いながら、それだけ条件を絞ったら、全力で制止してるのと変わらない。前に腹を立てた勢いで、寝巻をはだけさせた姿で迫ったのをいまだ根に持って警戒しているらしい。

 アシャは胸をはって断言した。


「あのねえ。あの時は特別、頭に血が上ってたの。あんなこともうしないわ。あたし『経』の街ではこれでも、身持ちが固いので有名なのよ」


「本当か……?」


 わざとらしいテイのため息が、月が輝く明るい夜空に上っていった。











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