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薔薇のセレンディラ  作者:
第二章 生命ある刺青
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第21話 ハルタとカタラ

 大陸南路17番『(タツ)』を発って数日。


 アシャたちを乗せた馬車は西へ西へとひた走り、13番『(チョウ)』へと到着したところで夕暮れとなった。


 『頂』は森の中に集落が点在する、林業のさかんな街だ。

 アシャは一人用の馬車から下りて、周囲をきょろきょろ見て歩いた。兵たちは慣れた手つきで作業している。森の中の広場に、天幕をいくつも張って野営するようだった。


 将軍やアシャのためには、近くの小さな宿をひとつ貸し切りにした。

 お供はキョウとテイと、そのほかに見張りや護衛の兵が何人か。身分を考えれば少なすぎる数だ。テイ一人が一個小隊くらいに数えられているのかも知れない。

 テイが将軍さまを大事そうに抱えて歩くのも、すっかり見慣れた光景だ。


 アシャには一人用の部屋があてがわれた。宿の食堂で、名物だとかいう山鳥の串焼きをほおばっていると、給仕をしてくれた主が話しかけてきた。


「お嬢さん『頂』の名木はもうご覧になったかね?」

「名木?……まだよ。着いた時にはもう日が暮れていたから」

「それはもったいない。天にまで届こうかという、『頂』の由来にもなった名高い霊木だ。ぜひ見ていくといいよ」

「へえ……」


 そういえば、とアシャは記憶をたどった。『頂』の崖の上にそびえる古木は、天辺まで登れば両隣の街まで見晴らせるって評判を聞いたことがある。

 珍しい地形だから、ぜひともこの目で見て地図に描きこみたい……のだけれど。アシャは力なくぽと、と串焼きを皿の上に戻した。

 だめだ。今は先を急ぐ旅の途中なんだった。

 アシャはほろ苦くここ数日を振り返った。何かとあわただしく、もう何日もまったく地図を描いていない。せめて、せめて地形観察くらい認めてもらわないと。このままでは禁断症状が出て発狂してしまう。


(将軍さまにお願いしたら、『頂』の霊木見物の許可もらえないかしら。時間はあんまりとれないけど、近くまで行ってちょっと見るくらいなら……)


 ダメもとでお願いしてみるか。

 アシャは思い切って、食堂を出た足で将軍の部屋を訪ねることにした。




 扉の前には警護がいなかった。呼びかけてもまったく反応がない。

 散歩かねがね庭の方にまわってみると、屋外に張り出した広い露台の上に将軍の姿があった。

 ゆったりと椅子に腰かけ夜風を楽しみながら、優雅にくつろいでいる様子だ。はて、とアシャは首を傾げた。


「将軍さま。おひとりですか?」


 声をかけてから気がついた。露台のすぐ近く。庭の草むらの上で、キョウとテイが向かい合っている。


「おや、アシャ。もう夕食はすみましたか?」

「はい。お休み前のご挨拶に……」


 言いながら、その手元を見て驚いた。卓の上に置いてあるのは、どう見ても酒瓶だった。

 

(お酒?将軍さまって、病人なんじゃないの?)


 飲酒なんて、ありか?

 アシャの顔色をよんで、将軍が言い訳をするように言った。


「大丈夫です。今夜はキョウから、少しだけならと許可をもらってますから」


 どっちが主人なんだか。

 アシャはあきれながら将軍に歩み寄り、同じように庭を眺めた。その視線の先。キョウは手に錫杖を、テイは剣を握って立っていた。

 数歩はなれて向き合っているように見えたのもつかの間、すぐに激しい打ち合いが始まった。キョウはいつもの錫杖を、槍のように自在に振るっていた。固い金属がぶつかる音がたてつづけに響いて、暗闇の中に火花が散る。ギインと突き刺さるような音に、アシャは耳を覆って顔をしかめた。


「は、激しいですね」

「ええ、見ているだけでも楽しいでしょう?私がこんな身体で動けないもので、彼らなりに無聊(ぶりょう)をなぐさめてくれるようで」


 将軍という位を考えると、さぞかし武術に長けていたんだろう。テイとキョウ、二人の真剣な稽古は、かつてを思い出すよすがになるのか。


「主思いですね……って、あれ、あの二人は従者じゃないんでしたっけ?」


 それどころか、一緒に暮らしている家族のような口ぶりだった。確かに彼らの関わり合いは、単なる主従というよりもっと近しい気がする。


「あの二人はお客ってことでしたが、セレンみたいな遠い地方と将軍さまと何か特別なつながりがあるんですか?」


 アシャが訊ねると、将軍はすっと流れるような仕草で杯を差し出してきた。アシャはちら、とキョウの方を確認してから酒を注いだ。

 まさか将軍さまに余分に酒をすすめたからといって、こっちに錫杖が飛んできたりはしないだろうけど。


「私個人のつながりではありません。セレンとわが国は長らく交流が絶えていて、新たに友好を結ぶべく、帝が彼らの代表を南都にお招きになった。つまり彼らは国賓なのです」

「国賓……って、あの二人になにか、それなりの身分があるんですか?」

「もちろんです。テイはセレンの王家にあたるマドラ家、ナダ女王の末の弟君です。こちら風に言うと王弟殿下ですね」


 アシャは酒瓶を抱えた手にぎゅっと力をこめた。

 うわあ、あたし王弟殿下に宿の皿洗いや床掃除させちゃったよ!


 内心、たらりと冷や汗をかきながらアシャは重ねて訊ねた。


「じゃあ、キョウも同じ一族なんですか?」

「キョウはまた別。セレン神殿に仕えるモレイラ族のなかでも重要なお役目を担っている才能ある巫子です」


 将軍の説明に、アシャはふんふんとうなずいた。乙女のやわ肌にびびって錫杖の先で威嚇してくるくらいだから、さぞかし才能ある巫子なんだろう。


「アシャ、あなたはあの二人に馴染むのがとても早かった。感心していたのですよ。もともと西の亜人について知識があったのですか?」


 アシャがひとりで納得していると、将軍は楽し気な口調で問うてきた。

 良い酒なんだな。ずいぶんご機嫌だ。この調子なら、うまく話を運べばおでかけも快諾してもらえるかも知れない。


「それほどではないですけど……霊能があって巫子とか神官になるのがハルタ・セレンディラで、とっても強い生まれつきの戦士がカタラ・セレンディラですよね」

「そのとおり。身近なところではキョウがハルタで、テイがカタラです」

「でも将軍さま。だったら、カタラのテイの方が、ハルタのキョウより体力とか剣術ではずっと上のはずですよね?」


 言っているそばから、キョウの突きを受けたテイは、剣を弾き飛ばされて一本とられていた。武術に関してはまったくの素人のアシャにも、二人はほとんど互角のように見える。それどころかキョウの方が、速さと技でテイを圧倒しているような気さえする。


「そうですねえ……」


 将軍はあいまいに返事して、空になった杯を左手の指先でもてあそんでいる。


 ああ、はいはい。おかわりね。

 アシャが勢いよくなみなみ注ぐと、将軍は機嫌よく酒杯を口に運んだ。


「モレイラは武巫子の一族。キョウによると、モレイラの槍術は対カタラ戦を想定したものだそうですよ。たとえ力ではカタラに劣るハルタでも、あのとおり、錫杖をふるうキョウはテイとさえ五分に渡り合います。なかなかの見ものだと思いませんか?」


 心なしか声が弾んでいる。本当に彼らの打ち合いを楽しんでいるようだ。アシャは調子をあわせて提案した。


「マドラ族とモレイラ族で、部族対抗戦とかしたらすごそうですね」

「そうですね。……それができたらどんなに良かったでしょう」


 将軍は声を落とし、ため息をついた。過去形ということは、ろくでもないことがあったということだ。


「なにか問題が?」

「モレイラは数年前に滅びました。ただし模擬戦ではなくマドラとの本物の戦で。キョウはモレイラ族ただ一人の生き残りです」

「ならキョウは戦の……捕虜ってことですか?」

「そうです。戦をしかけたナダ女王の目的はモレイラ殲滅(せんめつ)。捕えられたキョウも処刑されるところを、テイが姉王に助命を嘆願したそうです。今後もしキョウに謀反の意があれば、テイが責任もって対処するという条件つきで」


 それはいったいどこの世界の話なんだ、とアシャは耳を疑いたくなった。

 先刻から激しく打ち合っている二人の様子が、まったく違ったものに見えてくる。

 キョウがマドラ族に逆らえば、命乞いしたテイが責任をとる……つまりキョウにとってテイは。


「テイはナダ女王に任命されたキョウの監視役、かつ処刑人です」


 淡々とした調子で将軍は言い切った。アシャはとっさに言葉が出なかった。

 二人はあんなにいつもつるんでて、すごく仲良さそうに見えるのに。しかも。


「あの、将軍さま。……私にはキョウの方が、テイよりよっぽど強くて、しかもえらそうにいばってるように見えるんですけど。まるっきり立場が逆じゃありません?」


 アシャは素朴な疑問を口にした。一瞬きょとんとした後、将軍はふふっと声を立てて笑った。


「なるほど。確かに、私にもそう見えますよ」


 ですよね。アシャはこくこくうなずいた。

 そんな捕虜とか監視とか、なにかの間違いとしか思えない。

 二人の仲が良いのはもちろんだし。知り合って数日とはいえ。キョウの様子からは、一族全滅とか戦とか捕虜とか、そんな深刻さ暗さはいっさい感じられない。


「小さい時からの遊び友達か、もしくは兄弟分って感じです」

「そう見えるなら、そのように二人と接してあげてください」


 将軍はコン、と乾いた音をたてて、杯を卓の上に置いた。


「カタラとハルタとか、マドラとモレイラとか。そういった住む世界に引き裂かれることなく、二人が友人として仲良く過ごせることは結構なことです。そう思いませんか?」


 そこへまた、ギイン!と固い音が響いた。話の間も延々と続いていた打ち合いの果て、キョウの錫杖に薙ぎ払われたテイが、草の上に思い切りたたきつけられていた。

 そこで決着がついたらしい。キョウがゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。


「結構……ええ、そうですね」


 相槌をうちながら、アシャはじりじりと後退して、軽くなった酒瓶をそっと卓に置いた。稽古を終え、酒の減り具合を確認したキョウが、次にあの錫杖をこっちにむけてくるような展開は御免こうむりたい。


「将軍さま、たいへん興味深い話をありがとうございました。今宵はこれで失礼いたします」


 思いがけず、こみ入った話に突っ込んでしまった。とてもじゃないけれど、『頂』の霊木見物に出かけたいなんて、のんきに言い出せる雰囲気ではない。


「アシャ、ひとつ言い忘れたことがありました」


 大急ぎでその場を去ろうとしたアシャを、将軍が呼び止めた。


「この数日、地図は描いていませんね?」

「は、はい」


 今からまさに、霊木に着想をえて久々に描くつもりになってはいましたが。大丈夫です、未遂です。

 アシャはぎこちなく頷いた。


「製図道具を『経』で処分してきたという話だったので安心していましたが。念のため言っておきます。どこにどんな目があるか分からない。南都に着くまでは、地図作りは絶対に禁止ですよ」


 げ。

 ……あたしに、死ねと?


「いいですね、アシャ?」

「は、はい。もちろんです!」


 アシャは勢いよくぶんぶんと頭を下げ、キョウと入れ替わりにその場を離れた。

 甘かった。なんとなく地図作りはもう、大っぴらに認められたような気分になっていたのだった。

 今でもご禁制はご禁制なのね。そりゃ、そうか。

 かといって、将軍さまのご温情ひとつで首の皮がつながっている現状。ああまではっきり禁止されてしまったら、逆らうわけにはいかない。


 いいわ。もう。

 アシャはさっと頭を切り替え、開き直った。

 どうせしばらくのことだし、後からこっそり一人で出かけちゃおう。地図を描くのではない。下見のために、調査してくるだけだ。


 そっと出かけてすぐに戻ってくれば、ばれることはないわよね?



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