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薔薇のセレンディラ  作者:
第一章 地図を描く少女
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第20話 都への出発

 アシャは急ぎ足で、屋根裏の自分の部屋に駆けあがった。

 ほとんど寝に帰るだけの部屋だから、大したものは置いていない。


 まずは背負い袋に着替えや愛用のひざ掛けを入れる。それから手控え帳、鏡や櫛といった日用品をぽんぽんと詰め込んだ。

 残りは宿のみんなで適当に処分してもらおう。


(……さて、問題は、地図製作の道具をどうするかよね?)


 しばらく迷ったあと、アシャはそれらを全ていったん処分してしまうことにした。都に行くならきっと、今よりもっと良い道具が手に入るだろう。

 ものさしや分度器やぶんまわし。廃材を利用して作った素人臭い品々は、どれももう過去の遺物だ。


 アシャは天井裏や床下に隠してあった自作の道具をかき集め、両手にかかえて階下に駆け降りた。走り回るアシャを、キョウとテイが目を丸くして見ている。

 アシャはかまわず、手に持った道具すべてを厨房の(かまど)に突っ込んだ 。


 鉄の扉を閉めると、炎の中でパンパンと激しく爆ぜている気配がする。まるでお祝いの爆竹が鳴り響いてるみたいな音だ。

 アシャは目を閉じて耳をすませた。


 どうせならうんと派手に、にぎやかに鳴って欲しい。

 きれいさっぱり燃えて飛び散って、何もかもを新しくはじめたい。


 そこへ、ノドが顔を出した。


「うるせえな。おい、何の騒ぎだ?」

「ちょうどよかった。親爺。あたし行くわ」

「なんだあ、やぶからぼうに。行くってどこへ?」

「それは分かんないけど、ここにはもういられないの。地図を描いてることがお上にバレたのよ」


 くどくど言わなくても、それで十分に通じたらしい。

 酒びたりで赤らんだノドの顔色が、見る見るうちに紫に変わった。


 このとおり、アシャの地図を、ただの一度も認めてくれない親だった。常に反対され叱られていた。描きかけの地図を破られ、くしゃくしゃに丸められ、この竈に放り込んで焼かれたことだって一度や二度ではない。


(結果的に、それで守ってもらってたってことなのよねえ。だからって感謝する気にはなれないけど)


 もしも許されて、もっと大っぴらに地図を描いていたら、今ごろどうなっていたかわからない。

 自分自身もこの宿も、この街も。

 そんな大事(おおごと)にする気なんて、これっぽちもなかったのに。


「おい、お前、そんな……」

「大丈夫。ご禁制やぶりは死罪らしいけど、いますぐ命までは取られないみたい。けど、自分でやったことのケリは自分でつけなきゃね。だから、私を探しに来た都の将軍さまのお世話になることにしたの」


 都へ行って。

 そして、今度こそ、思いっきり地図を描くのだ。

 いつか万国全図にも手が届くように。


「ともかく、あたしがここにいると、色々と厄介なのよ。もう戻らないかもしれないけど、元気でね。お酒は控えて悪いところは医者にみせて喧嘩はほどほどに、博打(ばくち)はもう足を洗ってね。ちゃんと腰をおちつけてサボらず仕事して、みんなに迷惑かけないで。都について落ち着いたら手紙書くわ」

「手紙なんかいらんからお前はもう地図を描くな!」

「死んでもいやよ」


 悪態をつくノドに、アシャはにっこりと笑った。

 今となっては、こんなものを描くなとさんざんにくらってきた拳骨すら懐かしい。


「アシャ、このまま将軍さまのもとへ行って、本当にいいのか?」


 二人のやり取りを黙って見守っていたキョウが、ふいに尋ねてきた。

 何を今さら。アシャは首をかしげた。


「いいに決まってるじゃないの。何か問題あるの?」

「きみはまだ、ギリギリ選ぶことができる……と、思う。この街で今までどおり宿の看板娘をして、いずれは恋人をつくって結婚して平穏に……そんな未来をあっさり捨ててしまって後悔しない?」


 アシャは胸の前で腕をくみ、眉を吊り上げて聞き返した。


「あなたがいうのはつまり、あたしがこの街に残って、地図とは一切縁を切って、誰かに見つからないかびくびく息をひそめて暮らすってこと?冗談じゃないわ。そんな生活になんの価値があるのよ」


 一応これも、キョウなりの善意の問いかけなのだとは思う。

 将軍さまの伝言のとおり、都に行けばかなりな危険もあるんだろう。軍に地図が必要というなら、そういう戦地がらみの仕事もあるのかも知れない。


 とはいえ、あれだけ思いのたけを訴えてきたのにまだこんな調子。アシャはがっくりした。

 テイはと見ると、もっと悪い。話についてきているのかどうかも怪しい、ぽかんとした間の抜けた顔で立っている。


 まさか、目を開けたまま寝てるんじゃないでしょうね?

 アシャが目覚ましに大声で話しかけようとすると、何かを察したようにさっとキョウの後ろに逃げて行ってしまった。

 どうやら『ちゃんと話せないなら黙ってろ』と言ったのを間にうけて、とうとうセレンの言葉でさえまともに口がきけなくなってしまったらしい。


(なんて、要領のわるい……こいつほんっと馬鹿なのかしら?)


 どいつもこいつも。

 何が西の亜人よ。

 何がセレンディラよ。

 アシャははーーーっと深い息をついたあと、一気に力説した。


「あのね。あたしは、この先にあるのが子供や孫に囲まれた何不自由ない暮らしでも、 火がポンポン燃えるなかを駆け回るような暮らしでも、どっちだっていいのよ。行きつく先が戦場でも、思いっきり地図が描けるならかまわないわ。そこが私の生きる場所よ。好きなことがしたいの。生きるってそういうことでしょ?」


 絶句する二人にアシャがふん、と鼻息を荒くてしていると、表からガラガラと馬車の音が聞こえてきた。

 アシャは厨房からぱっと走り出て、窓に飛びつくようにして外を見た。表の道には、大熊亭には不似合いなほど壮麗な馬車が停まっていた。


「じゃあね、みんな」


 しめっぽい別れなど御免だ。

 宿にむかって軽やかに挨拶して、すぐに開いた馬車の扉にアシャは迷わず乗り込んだ 。中には将軍が、半分身体を倒したような姿勢でゆったりと座っていた。沢山のふっくらした枕にはさまれて、乳母車のなかの赤ん坊みたいになっている。


「お待たせしましたか?」

「いいえ、ちっとも」


 アシャは首を振りながら荷物を下に置いた。

 敷き詰められた絨毯で、足元がふかふかしている。馬車の床の方が、大熊亭のいっとう良い客室よりはるかに上等できれいだった。


「慌ただしくしてすいませんね。家族とのお別れは十分にできましたか」

「ええ。おかげさまで」

「それはなによりでした」


 将軍にすすめられて正面の椅子に腰を下ろす。アシャが座ってすぐ、馬車は静かに走り出していた。アシャはまずまっさきに頭を下げた。


「キョウに聞きました。親爺たちを監禁していた賊を捕えて下さったとか。本当にありがとうございました。それに、あまりの早業にとっても驚きました」

「どういたしまして。ただ、今回のことは、大陸南路に横たわる巨大な百足(むかで)の足一本をつぶしたにすぎません」


 まだまだということのようだ。

 とはいえキョウに聞いた話では、敵は大量の毒物を用意していたとか。もし使われていたら『(タツ)』の民の多くが、神経毒の後遺症で生涯苦しむ羽目になっていたらしい。


 麻痺した体で歩いていた貴人を指さし笑った街の人々が、あやうくそろって同じ体になる処だったのだ。


「あの、すいませんでした」

「はい? なにがですか?」

「将軍さまが双竜亭に到着されたとき、……その、街のみんなが勝手なこと言って笑ったりして」


 知らないうちに危機におちいって、知らないうちに命を助けてもらった。街の人間すべてにかわってお礼と、なによりお詫びをしたかった。

 アシャの謝罪を受けて、将軍は事もなげにふうわりと微笑んだ。


「ああ別にかまいませんよ。どこでもあんなものです」

「そんな。腹が立たないんですか。私だったらあんな大勢に見られて勝手なこと言われたら、すっごい腹立つかと! 」

「どう感じるかは人それぞれです」


 握りこぶしで憤るアシャを、将軍はやんわりといなした。


「私にとって耐えがたいことは、まったく別のところにあります。だから私の体のことで、なにも気を使うことはないんですよ。放っておいてもいいですし、助けてもらったらそれはそれで助かります」

「……わかりました」


 そんな風に言われてはそれ以上なにも言えない。アシャは仕方なく引き下がった。

 それにしても、将軍さまのお世話を生きがいみたいにしているキョウがいるのだから、アシャの出番なんてほとんどないだろう。


 いつの間にか周囲から騎馬兵が集まってきて、アシャたちが乗った馬車を守るように並走し始めていた。その中には頭にぐるっと長巾を巻き付けたキョウとテイの姿もあった。


「窮屈でしょう。外に出たいですか?」

「いえ、大丈夫です」

「隣の街に着いたら、軍は解いて護衛兵だけ残します。だいぶ身軽になりますよ」


 念のため、ということだろうか。テイとキョウの二人がいれば、それすらも不要なはずだった。

 馬車の窓から、アシャは二人を眺めた。

 こうして見ると、長巾で頭部が隠れていても、どちらがどちらかはっきり分かる。キョウは針金の芯が入ったような姿勢をしているし、どんな時でもテイは気だるげだ。馬から落っこちないか、見ていてひやひやする。

 同じような恰好で、区別がつかないと思ったのが嘘のようだ。


「あの二人はどこまで一緒に行くんですか?」

「最後までです。彼らは私の屋敷の、大切な客人なのです」

「将軍さまの……客人? お城の従者じゃなくってですか?」

「ええ。私の城は別にありますが、普段は理由あって国境の森のほとりに建つ小さな屋敷で、彼らと一緒に暮らしているんですよ」


 え。なんだ、それ……っ。

 アシャは窓の格子に額を打ち付けそうになった。

 将軍がにこやかにだめ押しをした。


「これからは四人で仲良く暮らしましょう」


(そういうことは、早く言え!!)


 早まったかと焦るアシャの呻きを、重なり合う馬蹄の響きがかき消した。

 振り返ればたちのぼる土煙のなか、小さくなった『経』の街の門が、みるみる遠ざかっていった。





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