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薔薇のセレンディラ  作者:
第一章 地図を描く少女
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第19話 将軍の伝言

 大熊亭で、テイがアシャに一方的に叱られていたころ。


 背中に金色の太い三つ編みを揺らしながら、双竜亭にもアシャが帰ってきた。軽やかな足取りで、宿の最奥にある貴賓室にむかう。


「ただいま戻りました。将軍さま」


 部屋の奥で、椅子に深く腰掛けて図面を眺めていた将軍は、顔を起こしてにこやかにほほ笑んだ。


「やあ、これは私でも見分けがつきませんね。素晴らしい」

「ありがとうございます。でもこれは、ほんの初歩的な目くらましですよ」


 アシャに化けていたキョウは、くすくすと笑いながら術を解いた。

 いつものいでたちに戻るとともに錫杖がすっと手元に現れ、白い髪がふわりと広がった。


 将軍の命により。脅迫文にあった指定の場所には、アシャに代わってキョウが赴いていた。

 アシャの姿になりひとり双竜亭を出ると、案の定、誰かが後をつけてきたので、そのまま敵の本拠地まで探りあてるつもりだったのだが。


「目的地に着く前から、数人がかりで抑え込まれそうになったので、この錫杖で片っ端から打ちのめしてきました」

「おやおや。勇ましい」

「テイみたいな相手のために鍛えた槍術なので、陽の民に使うのは気が引けるのですが……婦女子ひとりに大勢でくる輩なら、こちらも遠慮しません」


 キョウの錫杖は、本来は、霊力を集中するための術具として使う。その先端は槍のようになっていて、実戦的な武器にもなるのだった。


「それで十分ですよ。大熊亭の主も見つかったと?」

「ええ、二人同じ場所で。犯人はやはり、昨日まで大熊亭に泊まっていた馴染み客だそうです。いま、シドさまとトランさまが取り調べていらっしゃいます」


 シドというのは将軍の腹心の武官で、同じくトランは従軍医官の資格も兼ねもった有能な部下だ。


 将軍が、あつく信頼する二人に都を任せずこの『経』にまで伴ってきたことに、当初キョウはそこまでと驚いていた。今となっては結果的に、正しい判断だったのだなと感心する。


「宿の主たち二人の記憶はどうしましょう?」

「消せるなら消してください」

「かしこまりました」


 キョウは淡々と引き受けた。

 報告によると、誘拐された二人はよほど恐ろしい思いをしてきたらしい。記憶を消せばよけいな危険は去るし、楽になると言えば容易に『同意』するだろう。


「犯人がもっていた大量の毒物もすべて回収しました。井戸を使えなくして民衆を恐慌状態にしたうえで、我々と取引しようと目論んでいたようです。危ない所でしたね、将軍さま」


 それほどアシャやアシャの地図が欲しかったのだろうか。目的のためになら、どれだけの人間を巻き込んでも平気だったのだろうか。

 アシャの言うとおり、まともな神経とは思えない。


「キョウのおかげで助かりました。それに今回は『彼ら』のやり口も非常に雑でした。我々に先を越されてアシャを奪われたと、よほど焦ったのでしょう」

「将軍さまのご指示が的確だったので、ことなきを得ることができたのですね」

「それも、この地図があってのことです」


 将軍は、ずっと眺めていた図面を、キョウにむけて机に放った。

 それは大熊亭への帰りがけに、『なにかのお役に立てれば』とアシャが描き残していったこの『経』の市街図だった。

 そこには『経』の街を縦横にはしる道路と目印になる建物、井戸や水くみ場の位置から水路の配置までが、簡素な線でしかし丁寧に描きこまれていた。

 アシャはそれを、国土図を描いて見せた時よりもさらに素早く、さらさらっとまた一息に完成させて将軍に提供してくれたのだった。


「彼女がその市街図を描いた時、将軍さまのお顔、完全にひきつってらっしゃいましたよ」

「……よく見ていましたね」

「今度はもう、あなたさまを椅子から落とすわけにいきませんから」


 楽し気にキョウに揶揄されて、将軍は深々とため息をついた。


「神殿や役所に保管されていた図面も見ましたが、古くて正直、使い物になりませんでした。アシャが描いた市街図は当然ながら最新のもので、他とは比べ物にならないほど詳細で正確で……まったく。こんなものを即興で描かれると、我々は仕事にならないんですよ……」


 呻くように言って額を押さえている。

 今回はその市街図のおかげで仕事が非常にはかどったわけなのだが、キョウには将軍がいわんとするところが良く分かった。

 いくら刑の重さで脅してみても、無駄なのだ。アシャは息でもするように自然に、無邪気に、機密である地理情報を誰の目にも明らかにしてしまう。


 地図をもたないセレンの民にとっても、なかなか関心するアシャの能力。陽の民にとってはどれだけの価値で、脅威なのか。

 それはさぞかし頭も痛むだろう。


「将軍さま、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「どうしました?」

「彼女の……アシャのことです。将軍さまはずっと、薔薇の地図師の謎を探ってきたと仰っていた」

「そのとおりです」

「長年かけて突き止めたその正体が、想定されていた組織的な犯罪などではなく、彼女ひとりの、それもいわば行き過ぎた趣味……というか、度し難い熱意が原因で……驚かれましたか?それとも、失望されたり、お腹立ちでいらっしゃいますか?」

「この結末に驚かない者はいないでしょう」


 将軍は苦笑し、左手を上げて身体を起こすよう合図した。

 キョウは将軍の背中に手をまわし両足を床にそろえ、将軍が椅子に腰かけ直すのを手伝った。

 今まで体勢が苦しかったのか、将軍は深々と息をつきながら続けた。


「……しかし、別に失望も立腹もしていませんよ。薔薇の地図師より5枚の地図より、私はもっと途方もないものを見つけたのだと思っています」

「そうなんですね」


 キョウはほっとした。

 テイのいうとおり非常識で頭のおかしな娘だとは思うが、こうやって知り合ってしまった以上、ご法定とおりに処刑などされたら後味の悪い思いをするに違いない。

 このことを教えてやればテイも喜ぶだろう。意外なほどアシャを気にかけて懐いているようだから。


「いずれ都に戻って落ち着いたら『彼ら』についてや私の仕事のことももっと詳しく説明しましょう。それで、アシャのほうはどんな様子ですか?」

「ぼくの護符をわけ与えました。悪しき心を持つ者には、アシャの姿は見えません。テイも傍についていますしご安心ください」

「それはよかった」

「将軍さまはこの後どうされますか?」


 キョウが訊ねると、将軍はしばし思案する顔になった。


「……早急にこの街を離れた方が良いでしょうね。なにより地図師発見の報とこれらの新しい地図を、一刻も早く帝のもとへお届けしたい」

「アシャはどうしますか?」

「このままこの街に置いておくわけにはいかないでしょう」


 今度は即答だった。


「では改めて場を設けて、ともに都に来るように説得されますか?」

「いや、そんな必要はないでしょう」

「彼女が、将軍さまのお誘いを断る可能性はないと?」

「ええ」


 キョウには正直、理解できかねる近寄りがたい娘なのだが、将軍にはアシャの考えや行動が予想できているらしい。


 都から運んできた、特注の椅子の背に寄りかかりながら、将軍は自信たっぷりの様子でほほえんだ。


「いまから私が言うとおりに、彼女に伝えてください 」






 客を迎える準備がすべて終わった昼下がり、キョウに連れられて、ノドが大熊亭に帰ってきた。センの父親もちゃんと一緒に戻ってきたらしい。

 はらはらしながら過ごしていたアシャは、ずかずかと入ってきた普段とまるで変わりない親爺の姿を見てほっと安堵の息を吐いた。


「本当に、無事でよかったわ。一体、いままでどこでどう過ごしていたのよ、親爺?」

「それがなあ、まったく覚えがないんだあ」


 ノドはさっきまで一杯やっていたみたいな赤ら顔で、しきりに首をひねっている。まる三日あまり不在にして、その間の記憶がないなんて。そんなことがあるだろうか?


 アシャはちら、とキョウの表情を伺った。

 もしかして、あなたのしわざ?と視線で問う。


 うつむいた長巾の下には、淡い水色の澄んだ瞳と、神殿の女神像みたいな静かで柔和な笑顔があるばかりだった。


「よくわからんから、とりあえず相談がてら隣で飲んでくるわ」


 たったいま帰ってきたばかりなのに、すぐまた出かけて行こうとする。

 あわてて押しとどめた奉公人たちに、宿が忙しいんだから働いてくれと力づくで引き戻されていた。

 みんな元気そうでなによりだ。


 アシャは改めてキョウに向き直った。


「ありがとう……あなたたちが親爺を助けてくれたのね」

「いいえ、僕はなにも」

「わかったわ。あとでちゃんと、将軍さまにお礼に伺うから」

「そうですね。そしてその、将軍さまから伝言を預かってきました」

「聞くわ」


 きた。

 アシャは胸の前でぎゅっと拳を握った。

 キョウはこほん、と軽く咳払いして、口を開いた。


「……アシャ、改めて、あなたを南都へお招きしたい。ただし命の危険がある旅です。もう二度とこの街に帰れないかも知れません。準備にはどれくらい時間がかかりますか?」


 キョウの口から告げられた、それが将軍さまからの伝言だった。

 アシャは一瞬だけ考え、ついできっぱりと答えた。



「四半刻」







ちなみに『四半刻』は30分です。



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