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薔薇のセレンディラ  作者:
第一章 地図を描く少女
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第18話 アシャの鬱憤

 なんだか色々、大事(おおごと)になったみたいに思うけど。

 いや実際、かなりな大事のはずなのに。


 アシャは拘束されることもなく、拍子抜けするくらいあっさりと帰宅を許された。


 市場を通って大熊亭へ抜ける道を、アシャは早足でずんずん進んでいた。振り向かなくても、少し離れてテイが着いてきているのがわかる。


 双竜亭を出る時、テイは黙って近づいてきて、アシャにむかって小さくうなずいてみせた。大丈夫だから、って言っている風に見えた。


 テイがいれば安全だと、将軍さまは保証してくれた。その気づかいはありがたくもあるし、余計な世話でもある。

 できるならあの場に残って、詳しく話を聞きたかったのに。

 かわりにもらったのは、奇妙な枷だ。

 双竜亭を出る前、キョウはアシャの手をとって、やんわりと両のてのひらで包んだ。


「念のため、きみに御守りをつけておくね」


 そう告げるやいなや、白い布を巻いたキョウの手首に、淡い水色の炎がふわりと浮かび上がった。

 炎はたちまち蛇のように細長く伸びて、アシャの腕へと巻きついてきた。


「わ、燃えてる……!」


 そう見えるだけで感触はないし、もちろん熱くもない。

 ただ、あっと驚いて手を引いた時には、もう炎は消えてしまった後だった。

 歩きながらしげしげと眺めていても、どこにもそれらしい跡はないけれど。

 たとえ居場所は離れても、なんらかの監視か干渉はあるのだと思っていた方がよさそうだった。






「ただいまーーー!」


 大熊亭に戻ってまず、いつも親爺が座っている帳場を確認する。

 案の定、まだノドは戻ってきていなかった。


 アシャは、困り顔で帰りを待っていた奉公人たちに、黙って長い時間不在にしたことを詫びた。

 それから帳簿を片手に今夜の客の予定を説明して、次々と受け入れの準備を手配する。


 それから半刻もしないうち、街の警護にあたる憲兵台の役人がやってきた。

 役人と、経街庁の雇われ庶官と二人一組で宿のあちこちを調べられ、指示があるまで井戸を使わないよう固く言いつけられる。厨房の井戸にも厳重に蓋をされてしまった。

 宿の前の道を、駆けていく騎馬の音が響いている。憲兵が誰何する声や、ざわざわとした話し声が聞こえてくる。いつもは賑やかな『経』の街は、一転してものものしい雰囲気に包まれていた。


 アシャは帰り際に耳にした、将軍さまの指示を思い出した。


「まずは水源を調べます。念のためすべての井戸を一つ残らず確認させましょう。それがすむまで、汲み置き以外の水を飲むことは許しません 」


 しかも井戸の線は選択肢のひとつであって、他に考えられる可能性もすべて抑えるとの話だった。


 将軍さまはいとも簡単に言っていたけど。都からいきなり来て、しかもこの街のすべてに及んで、それらを実行するなんて。


 ぜったい不可能としか思えなかったのに。

 それなのに。権力って……すごい。


 この調子で、行方の知れなくなった親爺たち二人もあっさり見つけ出してくれるような気がする。 

 やればできるもんなのね。アシャは素直に感心した。

 さすがは将軍さま、あたしの地図を認めてくださっただけのことはある。それは嬉しいんだけど。


 この街に軍がくると聞いてからの……それ以前に、どうして地図が禁じられているのかすら謎と知ってからの、わだかまりが消えない。


 いつも本当に知りたいことは知らされなくて。何かが起こっているのに、しかも今回はどうも自分が大きく関わっているみたいなのに、それでもカヤの外に置かれてしまって。


(どうせあたしなんて、怪力もなければ不思議の術もない。ちょっと地図が描けるだけの、ただの小娘ですもんね)


 そんな風に割り切ろうにも、やっぱり気分は晴れないのだった。

 悔しい。けれど、どうにもならない。

 アシャのモヤモヤは胸いっぱいに沸き立っていた。

 みてなさい。いつか、みんなの度肝を抜くような地図を描いて、世の中をあっと驚かせてやるわ! 


 そのためには、まず事態の回復から。

 そしていまのところ自分の役割は、宿の仕事だ。

 

「ちょうど汲み置きが切れてたんだわ……」


 こんなことになると知っていれば、朝のうちに井戸から水がめにたっぷりと運んでおいたのに。

 アシャはひとりごちながら厨房をぼんやりと見まわした。


 吟味し、使い慣れた道具。

 磨きぬいた鍋。愛用の竈。

 目を閉じていてもどこに何があるかわかる。どれも愛着のあるものばかりだ。

 ここがアシャの暮らしの中心だった。

 この場所で、どれだけの時間を過ごしたことだろう。

 けれど、大切なものと引きかえにしてまで残しておきたいものではない。


 本当に失いたくないものは何なのか。絶対に手放してはいけないものは何なのか。

 アシャはすでに選んでしまっていた。


『水、ここでいいのか』


 ふいに声がかかって振り向くと、厨房へ入ってきたテイが、抱えていた大きな水がめをゆっくりと床に下ろすところだった。

 かすかに、ずし、と重々しい音が響いた。

 中身が空の状態でも、大人が二人がかりで持ち上げる宿で一番大きな水がめだ。それをテイは、水でいっぱいに満たしてひとりで運んできたのだった。


「だ、大丈夫なの、それ 」

『この水は安全だ。役人が確認した 』

「いま水って言った?いや、水じゃなくてあんたが」


 いくらセレンディラのテイが怪力でも、こんな重いものを持って手足や体が曲がってしまわないのか。

 さすがに心配になって確認したのだが、テイはけろりとしている。アシャは心配するのが馬鹿らしくなった。


『ほかに何か必要なものは?』

「ないわ。それとテイ。あんた、本当はあたしの言葉、ちゃんと分かるんでしょう。陽の言葉、しゃべれるわよね?」


 アシャは立てつづけに質問した。

 双竜亭でアシャが将軍さまの質問に答えている間、テイはちゃんと、やりとりの中身を理解している様子だった。

 将軍さまが椅子から落ちかけた時も、危ないと、陽の国の言葉で話しかけていた。

 ああいう時とっさに出るくらい、話せるのを伏せていることを忘れるくらい、テイはとっくに陽の国の言葉に馴染んでいるのだ。


「あんたがどうして、言葉を分からないふりしてるのかは知らないわ。理由まで無理に聞こうとは思わないし」


 いきなり食ってかかられて、テイはびっくりした顔でまじまじとアシャを見た。

 ほら、やっぱり陽の言葉でも通じてるんじゃないの。

 アシャはふんっと鼻息を荒くした。


 テイが大熊亭まで着いてきたのは、将軍の指示だけが理由ではない。

 ちゃんとアシャの身を案じて、そばに着いてくれているようなのは何となく伝わってきていた。


(けれど、だからこそ、ここは譲るわけにいかないのよ)


 アシャは語気を強くして、テイに真正面から向き直った。


「でも、あたしは世の中を知りたいの。地図を描くっていうことは、世の中ぜんぶと繋がってその真実の姿を知ることよ。だから隣の人間とさえまともに繋がれないような奴なんて、お呼びじゃないの。わかる?」


 テイが息をのむのがわかった。

 アシャはかまわずきっぱりと言い切った。




「あたしと話す気があるのならちゃんと話して。それができないならいっそ黙ってなさいよ、テイ!」







テイの性格は、現代モノなら『コミュ障』の四文字で表現できるのに;



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