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薔薇のセレンディラ  作者:
第一章 地図を描く少女
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第15話 地図を描く




 どうして地図を描くのか、なんていちいち考えたことはなかった。なにしろいつも時間も材料も足りなくて、ただ夢中で描くだけで精いっぱいの毎日だった。

 かつての自分がどんな意図で印を描きこみ、なんのために残したのか。将軍に問われるまま、心の底のさらに奥底までさらって、アシャは自分でも思いもしなかった場所に辿り着いていた。


「アシャ、あなたのとことんまで貫き通す姿勢。私はきらいではありませんよ。でも『下手だから焼き捨てたい』では、あなたの大切な地図がかわいそうですね」


 思いがけない言葉にアシャは顔をおこした。地図がかわいそう。たとえ何枚裂いて捨てても燃やしても、そんな風に考えたことはなかった。なにか、すごくやさしい言葉をかけられた気がする。


「先ほどは『なにをつまらないことを』という顔をしていましたね。ですが、つまらないなんてとんでもない。危険を理解しながらも手元に残し、自分の出生にまつわる印を署名のかわりに地図に描きこんだ。いかに特別なものであるかが伺えます」


 戸惑うアシャにはおかまいなしに、将軍は変わらずものやわらかな調子で話にけりをつけた。


「おかげで残り半分も埋まりました。確かにそれでは命がけにもなるでしょう。色々と話してくださってありがとうございます」


(は、話はやっと終わったの?今度こそ終えていいの……?)


 罪を犯して尋問されていて、お礼を言われる立場ではないはずなのに。将軍の態度は最初から最後までていねいだった。

 アシャはようやく怒涛の質問が終わったことにほーっと心から安堵しながら、ふかふかの椅子にずるずると横になった。くしくも将軍と同じような姿勢だ。

 テイの手を借りて姿勢を直している相手を見ながら、アシャは不思議な満足感に包まれていた。自分の奥底に眠っていた過去のこだわりは、やっぱり自分以外には何の価値もない、つまらないものだと思うのに。


(この人はあたしの代わりにそれを見つけて、あたしより大切にしてくれたんだ)


 すべて出し尽くして放心した頭のかたすみで、それだけは理解できた。今まで誰も、親爺もヨアンじいさんも友達でさえ、そんな風にアシャに触れてくる人間はいなかった。


「たくさん話して喉が渇いたでしょう。休憩にしましょう。キョウのお茶はおいしいですよ」


 将軍のさそう声と共にほんのりと良い香りがただよう。いつの間にか部屋の外に出ていたキョウが、カタカタと茶器を鳴らしながら運んでくるところだった。






「将軍さま、私、油の実になった気がします」

「ほう?」


 油の実として使われるのは胡桃や幾種類かの豆類。良質な油がたくさんとれて、ススが出ないから油角灯(ランタン)によく使われる。アシャは油しぼり機でぎゅうぎゅう絞られた後の油かすの気分だった。

 相手が相手だけに心してかかるつもりだったのに、まったく歯が立たなかった。力の差がありすぎて、悔しいという気すらおこらない。アシャをさんざんに締めあげておいて、将軍はそ知らぬ顔だ。


「それほど疲れましたか?」

「なんだかへとへとです。それに、将軍さまのお役目のための話ということだったのに、関係ない自分のことばっかりになってしまいました。あんなでよかったのでしょうか?」

「大事なことですよ。自分の過去の作品を不満に思うのは成長の証です。それだけあなたの目が肥えて、技能が発達したということですから」


 署名の話などしたからか、すっかり画家並みに扱われている。地図に関して評価されたり褒められたりしたことのないアシャは、気恥ずかしくてむずむずした。その目の前に、そっと茶器がさしだされた。


「どうぞ」

「ありがとう、キョウ」


 受け取って一息に飲み干した。たしかにお茶は美味しかった。ほどよい温度のおかわりをもらって、今度はゆっくりすすっていると、将軍は懐から白い紙を出してじっと見つめていた。ただし、アシャから見たところ、それはただの白紙だった。


「あの。その紙がどうかされましたか?」

玉示(ぎょくじ)といいます。神託の覚書のようなもので、ここには……ある言葉が書いてあったのですが。預言が成就し役目を終えると自然に消えるのですよ。だから心配ありません。私が求めていたのは、間違いなくあなたのようです」


 消える前には何が書いてあったのだろう。アシャは不思議に思った。テイとキョウは、なにやら関心しきった風でしげしげと白紙をのぞき込んでいる。


「本当にあたし、でいいんですか。将軍さま? 嘘をついているとか思われないんですか」

「私のお役目のほとんどは、人の話を聞くこと。嘘か真かの区別くらいつかないと、仕事になりませんよ」

「信じてくださってありがとうございます。もし疑われても、これ以上どうにも証明できなかったわ」

「そんなことはありませんよ。ものは試しに、描いてみればすぐわかることです。いまここで」


 にっこり。こともなげに提案され、アシャはぎょっとなってお茶をふくところだった。

 考えてもみなかった。誰にも知られないよう、ずっと秘密にしてきた趣味なのに。描いたものを見られただけでもあんなに恥ずかしかったのに。


(人前で、地図を描く!?)


「本来はあなたが来てすぐ、見せてもらおうと思っていました。あなたが言い出さないので先に話を聞いたわけですが……おや、なにか問題でも?」


 なにかもなにも問題だらけだ。だいいち心の準備ってものができていない。キョウとテイだって見ているし……恥ずかしいので将軍さまと二人だけでってお願いするのも、さらにおかしいし。

 アシャはしどろもどろになって答えた。


「だ、だって、持ってるだけで死刑なのに、あの、描いたらさらに罪を重ねるんじゃ……」

「大丈夫。あなたの刑は、(よわい)ひとけたにして最初の一枚を描いた時に確定しています。あとはせいぜい、どの死刑になるか、くらいですね」


 なにがどう大丈夫だというのか。選択肢は死刑かどうかじゃなく、死刑のなかでどの、らしい。

 知りたくもないけれど念のために聞いてみた。


「あの、ちなみに死刑って、選べるほど種類があるんでしょうか?」

「そうですねえ。犯した罪の軽重によって、両手の指でも足りないほどありますよ。あなたならいくつでも、よりどりみどりです」


 そんな特別扱いのなにが嬉しいものだろうか。あまりに緊迫感がなくて、これが冗談なのかどうかまったく判断がつかない。いや絶対に冗談や軽口のたぐいであってほしいのだけれど、ともかく相手の言うとおりにしないとアシャに選択の余地はないのだった。

 やるしかない。お茶を置いたアシャは椅子からすっくと立ち上がり、毅然として言った。



「……描きます!なにか描くものをください!」




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